庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

災害に強い村    村人の知恵に期待    

2018年07月12日 | 熊本地震


西日本の大雨水害のニュースが流れると  胸がふさがる

被災された皆さんに  かける言葉は ないに等しい

「辛いですね」

まわりの状況も 自分の状況も  今後の生活も 

只々「辛い」事だらけですよね



災害に会うと  災害から真に解放されるには  長い時間がかかる

2年が経過した西原村  修復は進んできた

農家の生産量はまだ半分ほどだと聞いたが

西原村は未来を見ている気がしている  大変でないわけがない でも

みんなの歯を食いしばった顔が  決して下を見てはいない

「二部屋だけの小さい家を建てたのよ」笑って話してくれた友の目には うっすらと涙がみえた

大きな立派な家に住んでいた友  「いまの家で十分よ」と言う 

災害にあったから気づいた多くのこと  災害が持ち去った多くのこと

そのどちらもが  西原村の財産となる



南阿蘇村を通った時 走る車から撮影した写真



山 川 畑 田んぼ  写しながら改めて気づいた  村人の知恵


2018年4月
南阿蘇村と阿蘇市を繋ぐ道路から撮影

農道 水路 畑  山の斜面は滑り落ちていた





畑や田んぼを修復しただけでは  農業はできない

山や川の修復も必要だし  

人は数百年かけて  山を切り開き  水を引き 畑を耕してきた

多くの村人の知恵が  この風景を作ってきた

災害に強い村を  新しい風景を  生きているうちに見たいなあ 






宙組お披露目公演     天は赤い河のほとり

2018年07月07日 | 観劇
6月半ばに東京に戻り

宙組 真風凉帆 星風まどかのお披露目公演に行ってきました

劇場近くは 工事が終了して広場が完成し


ベンチが新しくできたので 待ちあわせに便利





新しいビル まだ足を踏み入れてはいません



シャンテ前は 相変わらず 女性たちでいっぱい



日比谷シャンテの1階はカフェに改装されたところが多く  

観劇の楽しみ方も増えたかなあ



東京宝塚劇場前


宙組  天は赤い河のほとり シトラスの風

主演の二人が 初々しいです

  


公演が終了して外に出ると

夕闇が訪れ

そんな中  出待ちの人たちが出入口の横に並んでいます

歩道が広場になってやりやすくなったのかしら



午前中に 月組の「フィッツジェラルド最後の1日」を見た後だったので

帰りの電車を長く感じながら  観劇日を終了






梅雨の合間に赤い花が

2018年07月04日 | 山野草
梅雨の合間に庭に出ると

目に映るのは赤い花

キョウガノコ



さつきの花があちこちで咲きます  山ツツジも







ホタルブクロ

ツクシマツモト






雨の中に 赤い花が

特に 目立って見えませんか



6月の花 アジサイ

2018年07月01日 | 花木
今年もアジサイは咲きました

かなり整理をしたつもりです  

枝を落とし 株を根元からきりましたが

減ったようには見えません 





























40年かけてつくられた山野草の花園    南小国の山深くに

2018年06月26日 | 山野草

驚きの花園  感嘆の60分



個人で育てたそうです  手入れが行き届いています。

2018年6月3日 快晴 南小国のIさんの山を訪ねました 
杉山の小道をIさんが案内してくれました。


黄花クリンソウが満開でした


半日蔭の杉林  標高1000メートル近い高地  

木々のあいだに射す強い日差し  
きれいな花園を写し取ることができなくて残念


足元にはミヤコワスレが咲き誇っています



山アジサイは今から7月いっぱいは見頃とのこと



ピンクの山芍薬が華やか
今日が満開とのこと  一日花なので明日は散ってしまうから





クマガイソウ

白花ショウブ

モダンな葉のテンナンショウ

白花日本シャクナゲ

黄エビネ

紫のセンダイハギ  改良種とのこと

アザミとヤツシロソウ




もう一度写真を取り直しに  行きたい

花園の妖しいほどの美しさ  植物の凛とした姿 

山深い南小国の誇り高い花々  

クリンソウと並んでハナシノブが見事に咲き誇っていましたが

写したフォトは失敗だらけで  残念です

Ⅰさん ありがとうございました  

    



白糸草の咲く草原

2018年06月26日 | 山野草
6月に入ると西原村のあちこちで田植えが行われる



水路が修復された所は 水がはられているが

放置された田んぼもまだ多くある


修復が行われた土手

新しいブロックは修復され場所


梅雨入り前  晴れたある日

外輪山の草原を通って南小国に向かうと

根子岳 高岳が地平線に浮かんで見える

広々とした草原にはリゾート施設もある



道路わきの土手には  白糸草が


自然に咲いている花を見たのは初めてだった

可憐な白い花は 走っている車からは見つけられないだろう


草に埋もれている


車から降りて 写真を撮る




オグルマソウも咲いていた


「俵山にも咲いている」と 山の管理人だったHさんに教えてもらったが

まだその場所に行っていない   

来年は 白糸草を探して 歩いてみたいと思う

オシロイバナとも呼ばれるシライトソウ  緑の中で粉おしろいの香りを放つていた 





 


2018年5月5日  俵山にハイキング

2018年06月22日 | 俵山


2018年5月5日 快晴 

俵山ハイキング

11時「萌の里」で弁当を買い 駐車場横の登山道を上り始める。

5分ほど登ると


駐車場は下方になり 熊本平野が見渡せる


前方の風景  なだらかそうに見えるが急坂である

左は北に当たる  鞍岳が見える


右は南に当たる  一ノ峰が見える


春リンドウの花が咲いていた


2年前の地震で山には多くの亀裂ができた

登山道は尾根伝いの道である 

山の石は激しく揺れ  地面との間に多くの隙間を作った


2年たっているが亀裂は登山道からでも見つけられる


草の間に数カ所の亀裂が見える



地面が水面のように揺れたのか

草原に波紋のような亀裂が残っていた


俵山は頂上まで草地だった  私が子供のころは

私が杉の植樹に気が付いたのは40数年前    

それより以前は、というより西原村の山はどこも草原だった
  

大きく崩れた山肌  あの頃植樹された杉 火山灰の山肌を滑ったのだ





ここからは有明海も見える  ぼんやりと雲仙普賢岳が金峰山の向こうに

視界の良い時は普賢岳がくっきり黒々と浮かんでいる



帰りの道  牧場の中を歩くことになる


地震の時も地震後も赤牛は放牧されている

東風の谷(こちのたに)と呼ばれる湧水が牧場の上にある  地震で配水管が壊れた

牧場主は牛の飲み水を 毎日 下から運んでいた



ここは水無川である  この岩の100メートルくらい上に山の神の岩がある
この二つの大岩がまるで神殿の門に見える  丸い河原石を敷き詰めた川底がまっすぐに山の神に届く

前を通る時に わずかな冷気を感じる  真っ暗な神殿の道をじっとのぞくが  長居はおことわり


もとの「萌えの里」の駐車場に帰って来たのは午後3時になっていた。

行きは急な登り  帰りは長い下り坂 

半日コースのハイキングだった

2018年5月の庭    緑に映える花

2018年06月20日 | 
5月になると庭は一変する

歩けないほどに草丈が伸びる

半夏生は膝ほどに成長した


母の蔓バラがさいた



アジサイの季節が始まる










アサマフウロ


北海道のフウロソウ



曙フウロも多くの花をつけ


夏萩


ウツギ


山ツツジ


クサイチゴ  根を張りまわす困り者


山椒の実  今年も収穫済み


アスチルベ


ハナシノブ  阿蘇草原の花  九州の固有種




5月になると来年の花の準備をする

冬の間に傷んでしまった花を整理する

梅雨の前の雨じたくなど  なんとなく忙しい

熊本を去る日が近づくから  仕舞えておかねばならない事だらけ


2018年4月庭の花(2)

2018年06月18日 | 
4月の庭

日本シャクナゲ

根腐れを起こしていた  

黒く変色していた根、幹、枝、葉を水洗いして  その後消毒

鉢に戻すとみるみる元気になり花を開いた



テッセン


日本オダマキ


黒フウロ  赤く見えているが本当は黒い花

白フウロ(曙フウロ)


庭に少なくなったアザミ



クリンソウ



シャクヤク  この後雨に打たれて首が垂れてしまう


オオマツヨイグサ


ボタン  やっと一つ花が咲いた

毎年テッポウ虫から幹に穴をあけられている



オオデマリ この木も数年前にぽっきりと折れたが  新芽が出て3年目


ミヤコワスレ




ツツジ 咲き始めて1週間後



八重のユキヤナギ



西洋オダマキ


ウラシマソウ


庭の手入れをしなくてはいけないと反省の日々

花たちは1年ごとに代わる  変わる

次の春に出会えるように 

もっときれいな庭にする  想いはあるけど



2018年4月の庭の花(1)

2018年06月17日 | 


熊本に来たのは4月に入ってから

八重桜は残っていた



ボケ  満開


庭はクサノオで被われ


スミレがあちこちに



シャガ いたるところに姿を見せて


イチリンソウ


ニリンソウ

山吹と白花山吹



ハナニラ 


チクシカラマツ


ツルハナシノブ


サクラソウ




日本オダマキ


山芍薬


イカリソウ


リュウキンカ


シラユキゲシ


ミツマタ  椿  ツツジ  フジ  





山吹草  咲き始めた頃


4月の庭  魅惑的な季節

一日  一日  姿を変えていく植物

胸の奥で かすかにざわめくものがある



  

南阿蘇村の温泉へ    癒しの風景はいつでも見頃です

2018年06月11日 | 温泉


西原村から高森方面へ向かって車で走る  

俵山トンネルを抜ける一本道




久木野村に出る



久木野の温泉はいまだ閉鎖中



地震で山はかなり傷んだ



高岳の稜線が見えてくる

「阿蘇望の里」を左下に見る





薄く中岳の煙が見えている  



猫岳のろうそく岩が見えてくる



「四季の森温泉」に到着する  宿泊施設にもなっている

西原村から20分 山々を見ながら走るだけで 

温泉に浸ったようなゆったり気分になる 

癒しの風景とわたしは言っている

エビネラン

2018年06月11日 | 
今年もエビネの花が咲いた

母の命日の前後は花が満開



私は庭でエビネの赤い花を探す

母が大事にしていた花は消えてしまったのか

紅色のエビネの花は



黄色の花を 母は「弟の形見」だと言っていた

三種ばかり黄エビネはあるが どれが叔父からもらったものか 私は知らない 



ピンクの私のお気に入りの花は少し先に咲く

次々に花が開いて   

暫く花の前にしゃがみ込んでしまう  4月半ば








桜を見るために病院から一時帰宅をした母のことを

又思い出してしまう

「今度はエビネが満開の時に帰ってこようね」

そう声をかけたが  返事はなかった

あの日  母は体が痛くてつらかったのだ

そして あの時  母は別れを決めていた


この頃  わたしは

エビネの紅色の花にどこかでひょっこり出会う気がするのです。








4月の草原   草に隠れてしまった黄スミレ

2018年05月23日 | 山野草



4月26日二重の峠に友人を案内

先に来た時より10日ほど経っています  

大葉ギボシの葉が目立つ緑の草原  強い風に揺れて  まぶしい草の波



花の写真は取れてのでしょうか


東京から農業ボランティアをするために  西原村に来てくてた友人

東京に帰る日にやっと晴れたので   黄スミレを見せたくて  二重の峠に案内したのでした

友人は西原村百笑応援団に賛同してくれたのです

多くの事を学んだといってくれました

「百笑応援団」のホームページ  覗いてみてください



黄スミレは咲いていました  


外輪山のミルクロードを車で走ると   九重も見えます

瀬の本高原を走って黒川温泉 杖立温泉  筋湯温泉  湯布院へも行けます

ちょっとだけ黒川温泉によりました









時間がなくて歩いただけでした  

「 不十分な案内で ごめんなさい  もう一度ゆっくり熊本に来てくださいね 」


もちろん前日には阿蘇の温泉に入りましたよ


西原村の農業はまだまだ生産量がもとに戻ってはいませんが

水路や畑の補修は進んでいます   新しい家も次々に建っています

西原村は元気です

2018年4月二重の峠     黄すみれは変わりなく咲いてた

2018年05月13日 | 山野草


4月13日快晴  二重の峠に行きました



山焼きが終わって一月位立っているでしょう

黄スミレの姿を見つけやすい時期です

草丈が高くなると小さなスミレは隠されてしまいます









遠くの山肌が黄色くみえます





黄すみれの間に点々と白いスミレが見えました

それは肥後スミレ  黄スミレよりわずかに遅れて咲くのでしょうか

今年は一週間遅く二重の峠を訪ねたので  肥後スミレの時期と重なったのでしょう











アザミ  大場ショウマ  ゼンマイ  ギボシ  テンナンショウ

春の草花が顔をだしています

ここは車を止めて山道を歩くことのできる唯一の場所です

六義園  衣通姫(そとおりひめ)がまもる和歌の庭

2018年03月30日 | 広場と公園


特別名勝「六義園」は東京都文京区本駒込にあります。

徳川綱吉の側用人であった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園したものです。



庭の枝垂桜が有名です。 見にゆく機会がなく過ごしてきたので、今年の花見を楽しみにしていましたが

予定した散策の日はあいにくの冷たい雨でした。




降りしきる雨の中

ボランティアガイドの方のお話を聞いて、ただただ驚き

そして  この庭の作られた理由に興味が 湧いたのでした。



柳沢吉保が造った当時、ここは紀国(和歌山)の風景を現した庭でした。



吉保は庭を散策する前に  必ず和歌の神様である玉津姫神社に参拝したそうです。

和歌三神とは 住吉明神(山辺赤人) 柿本人麻呂  玉津島明神(衣通姫)ですが

この庭は玉津島明神(そとおりひめ)を祭っています。

六義園は和歌にちなんで造形された回遊式築山泉水庭園でした。


玉津姫神社は 正門からみて右手奥にありました。。






この小高い築山の奥に社は建っていましたが 現在はありません

神社付近は吉保が築園した当時の形を失ってしまった場所だと説明されました。


社の正面までは右手の道を数十歩歩くのですが  雨でぬかるんでいるため神社跡を確認するのは断念。





玉津姫神社(そとおりひめ)の拝殿の後方には藤代坂(藤代山)があります。

参拝すれば神社と重なって藤代坂は見えていたでしょう。

藤代坂のある藤代山は、標高が35メートルあり 山手線沿線の関内では2番目に高い山だそうです。


池を掘り 土砂を積み上げて 造られた人工の藤代坂(藤代山)



小高い藤代山


藤代坂といえば 万葉集の巻二 挽歌の最初の歌

有馬皇子が自ら死を悼んで読んだ  あの歌しかありません

皇子は藤代坂で 殺害されました


六義園における玉津姫神社エリヤは衣通姫伝説をもとに作られていたそうです


衣通姫  有馬皇子 悲運の二人


有馬皇子が愛した高貴な女性は  万葉集の中で衣通姫と重ねて書かれています

吉保は二人の関係を  庭の中で語っている  




もう一つ二人の関係を形にしたと思われる場所があります。



中之島 (和歌の浦にある中の島からとられた名前) 

手前の芝生は元は砂地  砂の流出を防ぐために杭を打ち芝を植えたと説明されました。

砂地は 和歌の浦と呼ばれています。


中の島には片男波と命名された場所が造られ 石の造形が美しい島となっています。

中の島には 妹山(いもやま)と背山(せのやま)が作られておりますが 間に「隔て石」がたっています。

ガイドの方に綱吉のために造ったと説明されましたが  

男子ができずに苦しんだ綱吉のためとは  納得いかない説明でした。

高貴な女性は 有馬皇子を「我せこ」と呼び 藤代坂まで追っかけてきたのです。

その後の二人の運命を想像すれば 隔て石こそ 物語を伝えています。



他の和歌に関係する風景も  紀国ゆかりの地となっています。




吉野山(紀ノ川の上流)

持統天皇が何度も行幸したところ   

かっては桜が植えられていたそうですが  現在はつつじに代わっていると説明されました。




紀ノ川の下流をイメージして作られています。



紀ノ川の上流のイメージで作られたと説明されました。



明治になって庭園は没収され  岩崎家が買い取りました。

岩崎家の趣味が加えられて 庭は変貌していますが


柳沢吉保の和歌に寄せる並々ならぬ思いは十分に残されています。

八十八首の歌を取り上げたそうです。  吉保筆「六義園記」読みたいです。


思いがけなく 出会った柳沢吉保 

彼は古今伝授を授かりました 吉保は和歌の神様(そとおりひめ)を 庭で語っていると確信します。



万葉集の柿本人麻呂 持統天皇 有馬皇子 衣通姫に興味を持っている方には


ぶろぐ  「気ままに何処でも万葉集」

をお勧めします。 わたしの 愛読ブログです。

だれがいつ 何のために万 葉集を編纂したのか  誰の手を経て今に残されたのか

    万葉集を歌物語として読んでください