ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

ハバロフスク紀行⑱シナゴーグ

2007年09月22日 | ハバロフスク紀行
前回のつづき

市場を後にした私は、今度は駅から見て右側の方に進みました。途中で見つけたかわいいお堂。



5人入ったらいっぱいって感じです。ここでもミサ行うのかしらん?

通りすがりの男性に「地球の歩き方」のシナゴーグの写真を見せて「Где(どこですか)?」と聞いてみました。男性は手振りで向こう側を指しました。近いところにあるようです。喜びいさんで歩いていくと・・・、



おーっ、ダビデの星ではありませんか。ユダヤ民族のシンボルです。建物をぐるっと一回りしてみました。



これもなんかで見たシンボリックなもの。何だったかなあ?

↓建物の表側です。「地球の歩き方」によればこの建物はユダヤ人協会の物のようです。



↓その向かって左の建物がシナゴーグのようです。





↓入り口のプレートです。1番上はロシア語ですが、あとはヘブライ文字です。



なんて書いてあるのでしょうか?下から3行目にイーディッシュとあるのはわかります。

その時向こうから・・・。



正真正銘のユダヤ人っぽい人が歩いてきました。

つづく
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ハバロフスク紀行⑰ビロビジャンの市場

2007年09月21日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

併記されたプレートを縦に並べてみました。いずれ詳しくご説明いたします。結構なトリックが。



コーヒーショップの看板です。店名っぽいのが併記されています。最後の文字が一致しないように思えますが・・・。



駅の前には線路と平行した道です。つまり右に行くか左に行くしかないんです。あまり考えなかった末に左に行く事にしました。少し行ったところを右に曲がると市場がありました。



ひと山百円って感じです。



何かの実ですね。





おっ、そろばんです。



ひまわりの種も売っています。



これは何の種でしょうか?



買ってみました。食べてみましょう。



まぢぃ

つづく
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ハバロフスク紀行⑯ビロビジャンに着く

2007年09月20日 | ハバロフスク紀行
前回の続き


ビロビジャンはユダヤ自治州の主都なのですが、ここでユダヤ自治州とは何かという事をウィキペディアより。

「ユダヤ自治州は、ロシア連邦を構成する唯一の自治州。極東連邦管区に位置する。面積36,000平方キロ、人口212,000人。民族構成はロシア人、ウクライナ人、朝鮮人が多く、ユダヤ人は全体の2%に過ぎない。鉱業、林業、農業が主要産業。首都はビロビジャン。

地理 南と西はアムール川を隔てて中国黒竜江省と接し、北はロシア極東連邦管区のハバロフスク地方、西はアムール州に接する。夏は蒸し暑く、冬は酷寒の過酷な自然環境である。

歴史 1858年清から割譲される。ウラジーミル・レーニンの社会主義民族政策により、1928年アムール川沿岸の中ソ国境地帯にユダヤ民族区が設置され、ロシアやウクライナから多数のユダヤ人が移住した。社会主義的な枠組みのなかでユダヤ人の文化的自治をめざすもので、イディッシュ語の学校や新聞が作られた。1930年代に入るとユダヤ自治区に昇格した。しかし1930年代後半にヨシフ・スターリンの大粛清によりユダヤ人指導者は逮捕・投獄され、ユダヤ文化は迫害された。このためユダヤ人人口は減少し、ソ連崩壊後の新移民政策によりさらに多くのユダヤ人がドイツに出国した。ただ現在はユダヤ文化復活の政策が取られており、一時廃刊になった新聞「ビロビジャンの星(der birobidzhaner shtern)」にもイディッシュ語版が復活、イディッシュ語のラジオ放送も行われている。」


最近ウィキペディアの信憑性がとやかく言われているので、その辺はご考慮を。けれどもレーニンによって強制移住させられた人たちの末裔の住むところということは言えそうです。

さてハバロフスク紀行に話を戻しますが、樹ばかりの風景を2時間近く見続けたのですが、12時半ごろぽつぽつと家が見え始めてきました。



そうするとまもなく列車は減速し始めました。ビロビジャン駅到着です。



地下通路なんてありません。線路を堂々と横切りました。

構内に列車が1列停まっています。



ビロビジャンとハバロフスクの定期便のようです。実働しているのかしらん。

↓さらば、いとしの列車よ。モスクワに向かうのでしょうか?



駅舎ののネームプレートを見ると、おっ、キリル文字とヘブライ文字の併記です。



中国の朝鮮族自治区の街を思い出してしまいました。あそこの看板も中国語とハングルの併記でした。

なんだかワクワクしてきました。

つづく
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ハバロフスク紀行⑮これってシベリア鉄道じゃない?

2007年09月19日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

到着した列車には№が記されていたのだが、私の乗る3号車は最後尾であった。はるか向うだ。乗れなかったら大変と走ってそこに行った。車両に乗ったところでキップをチェック。ははーん、改札しないからここで点検なのね。私の場合は「паспорт(パスポート)」といわれたので、パスポートも提示する。乗車を許可された。

うわっ、コンパートメントだ。



私の席は下の段の進行方向に向かった席。一番いい席じゃありませんか。前のベッドにはやはりハバロフスクから乗ってきた男性が。あとすでに乗っていた男女が同じ個室に。

さてここでハバロフスクとビロビジャンの地理的関係について記しておきます。グーグルでбиробиджанを検索するとなんと地図が出てきました。



左上の青丸つけたところがハバロフスク、赤丸がビロビジャンです。日本の地図に重ね合わせてみるとちょうど札幌と新得(←事後訂正)ぐらいです。ハバロフスク⇔ビロビジャンは1万2千円程度だったのですが、札幌⇔新得を調べてみるとやはり特急で1万2千円程度です。あの時は高いと思ったけれど、まあ妥当なのかな?ちなみに所要時間は両方とも2時間ちょっとです。

さて話を列車の中に戻すと、ハバロフスク駅を出発すると間もなく田園風景が始まった。しばらくするとシーツが配られた。



前の男性は「いらない」という感じで受け取らなかったが、私は訳わからなかったので受け取っておいた。シーツが配られるということは夜行列車ということか。しかも袋にはモスクワの文字がある。えーっ、そうするとこの列車っていわゆるシベリア鉄道?モスクワまで行くのかしらん。あこがれていたあのシベリア鉄道にちょっとだけだけれど乗っているということ?

さらにしばらくするとお茶売りが回って来た。8(×5が円相当)ルーブル。



お菓子は?とポーズされたが、断った。車窓の風景だが、家は全くない。ひたすら木の世界。



むかし学校でシベリアタイガって習ったが、これの事をいうのだろうか?

つづく

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ハバロフスク紀行⑭3日目の朝

2007年09月17日 | ハバロフスク紀行
前回の続き

ハバロフスクも3日目となった。今日はユダヤ人自治州の首都ビロビジャンだ。まずはホテルでの朝食。バイキングのメニューは昨日と全く同じ。



おいしかった。やはりオートミール粥とフレープがおいしい。

9:00ホテルを出る。パトカー発見。



ハバロフスク来て初めて警察官見た。治安は安定しているように思える。

ハバロフスク駅に行くため、教会前からトロリーバスに乗る。



出勤する人たちっていう感じ。レーニン広場前で路面電車に乗り換え。程なくしてハバロフスク駅前に到着。



これだけ乗り物の乗り方がわかってくると移動もしやすい。

駅前のこの像の主は、間違いなくハバロフスクの開拓者ハバロフだ。このウェブ作っている時にわかった。なぜなら下にхабаровハバロフって書いてあるのわかったから。



キップ売り場。



昨日ビューローのナースチャさんから、「ビロビジャン行きの列車は4番線」って聞いていた。さてどこから入るのだろう?警備員っぽいおじさんに切符見せながら聞いてみた。「Где(どこですか)?」「○○четыре(4番線)」

そうじゃなくって、4番線にどういくかっていうことなんだ。結局おじさんの手ぶりで地下を通って行けということがわかった。改札っていうのはないようだ。4番線に出ると列車を待つ人がたくさんいた。ナースチャさんに聞いて3号車というのはわかっていた。はたしてうまく乗れるだろうか。



列車が来た。車体に番号がふってある。うわあ3号車は最後尾だ。

続く

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