ある牧師から

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令和6年(ネ) 第2683号 損害賠償請求控訴事件、同第38号 同附帯控訴事件 (原審・東京地方裁判所和3年(ワ)第33995号) 2

2024年12月03日 | 法律

5 投稿2について

(1) 社会的評価を低下させるか否かについて

ア 原判決の「第3当裁判所の判断」の4 (1) 記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、侵害部分2は、侵害部分2の前で摘示された体験に基づく事実を前提とした上での意見、 論評を述べたものである旨主張する。

 しかし、侵害部分2は、 控訴人が無軌道な思考の持ち主によって運営され、まともな事業を営めない旨、 社会性を逸脱する傾向を有する旨が記載されているところ、これらの事項は、いずれも証拠により立証可能な事項というべきであるから、事実を摘示したものというべきである。

 また、被控訴人は、侵害部分2を含む原ブログの一般読者はクリスチャンであり、張牧師や同人が立ち上げた控訴人を含むメディア関連企業等の共同体について関心を有する者であって、本件声明等の内容を把握していることからすれば、控訴人の社会的評価は低下しない旨主張する。

 しかし、本件各投稿は、一般ユーザーを対象とするSNSサービスにより広く公開されている上、本件各投稿が引用した原ブログも、大手プロバイダーが運営するブログサービスが利用され、その情報は広く一般に公開されているから、原ブログの一般読者を上記のようなクリスチャンに限定するのは相当とはいえない。

 さらに、被控訴人は、侵害部分2は記事作成時の現状ではなく平成17年頃の状況を踏まえた表現である旨主張する。

 しかしながら、 原記事2には、 過去の出来事に関する記載もあるが、侵害部分2は「今、色々なところでクリスチャントゥデイの主張を目にすることができます。ここまで問題になるとは驚きましたがその時が来たようです。」との表現から始まっており、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、投稿2が行われた当時の事実を記載しているものと解するのが自然である。

 したがって、被控訴人の上記の各主張は、いずれも採用することができない。

(2) 違法性の有無について

ア 次のとおり補正するほか、原判決の 「第3 当裁判所の判断」の4 (2) 記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 原判決の補正

 19頁8行目冒頭から20頁3行目末尾までを次のように改める。

「イ 真実性

(ア)前記認定のとおり、 ①控訴人は、平成15年の設立当時、 張牧師が設立した韓国クリスチャントゥデイ等からの資金援助を受け、張牧師の信仰に関わりのある高柳が代表取締役となったこと(認定事実 (1))、②控訴人や張牧師の関連組織の活動には、張牧師の信奉者が「使役」として無償で従事し、 寄付や借財を求められることがあったこと (認定事実 (3) ウ) ③控訴人の従業員の中には、張牧師の示唆により、 東京ソフィア教会に所属することを明らかにしないで淀橋教会に通った者がいたこと (認定事実 (3) エ) ④張牧師が、平成16年から平成18年までの間頃、 控訴人が発信する記事の内容等について指示をすることがあったこと (認定事実 (5) ア) が認められ、また、証拠(乙47・13~15枚目) によれば、 ⑤張牧師の信奉者と思われる者が、平成20年10月に、チャットを通じて、 高柳及び矢田を含む当時の控訴人の関係者に対し、張牧師の発言であるとして、被控訴人が執筆した控訴人に関する記事に対する対抗手段として、控訴人も反論の記事を書くよう求めたことがあったことが認められる。

 また、証拠(甲27、乙150) によれば、控訴人は、設立された当初から、資金繰りに困難を来し、正社員といえる従業員はおらず、 高柳は役員報酬を得ておらず、 張牧師の信奉者の無償の労働提供を得て活動する状況にあり、 平成18年ないし平成19年の頃になっ

ても、売上げは年間200~300万円程度であったことが認められる。

(イ)上記(ア)の事実によれば、控訴人は、その設立当初から数年の間において、張牧師の宗教組織と人的・物的なつながりがあり、張牧師の信奉者の無償活動に依拠していて事業活動が低調な時期があったことは否定し難い。 しかしながら、 投稿2が行われた平成31年当時における状況は必ずしも明らかではなく、むしろ、 控訴人は、 平成23年7月、代表取締役が高柳から矢田に変更され、峯野牧師が控訴人の取締役会長に就任するなどの変化があり(75)、その事業活動についても、平成30年頃には、 従業員として複数の記者が存在し、必ずしも張牧師やその関係者の宗教的影響を受けることなく報道に従事していて(認定事実 (7) ア)、インターネット上の情報媒体として相当数の読者を確保するまでになっていたこと(認定事実 (9)) が認められる。

 以上の諸点を考慮すると、投稿2が行われた平成31年当時においては、侵害部分2が摘示する事実の重要な部分、すなわち、 控訴人 が無軌道な思考の持ち主によって運営され、まともな事業を営めず、社会性を逸脱する傾向を有するとの点は、いずれも真実であるとの証明がされたとはいえない。

(ウ)以上によれば、被控訴人が侵害部分2を引用、摘示したことについては、 違法性は阻却されない。」

ウ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、真実性の根拠として、 ①ウェスレアン・ホーリネス教団が令和2年に作成した最終報告 (認定事実 (10) ウ)、②日本福音同盟の総主事が作成した陳述書(乙155。 総主事が令和6年8月に峯野牧師と面談した際、峯野牧師は、かつて張牧師から控訴人のスタッフである高柳をよろしくと言われたことがあると述べ、 また、 張牧師との連絡窓口は矢田であると述べた旨のもの)、③◇◇らによる従業員声明(認定事実 (7) ア)を挙げる。

 しかしながら、①の最終報告は、 張牧師を再臨主とする教義が組織的に教えられていたという疑念を払しょくできないことや、 財務状況が健全でないことをいうにとどまり、③の従業員声明も、同様の疑惑等を指摘するにとどまる。 また、②の陳述書は、張牧師が日本で控訴人の設立に関与し、 高柳や矢田と連絡をとっていることを示すにとどまる。そうすると、これらの証拠により、控訴人が、 平成31年当時、無軌道な思考の持ち主によって運営され、まともな事業を営めない状態にあったことを推認することはできない。

 したがって、被控訴人の上記の指摘は、上記の判断を左右するものとはいえない。

(3) 故意又は過失の有無について

ア 原判決の 「第3 当裁判所の判断」 の4(3) 記載のとおりであるから、これを引用する。 ただし、原判決 20頁 8行目冒頭から24行目末尾までを次のように改める。

「前記(2) イ (イ)のとおり、控訴人は、その設立当初から数年の間において、張牧師の宗教組織と人的・物的なつながりがあり、張牧師の信奉者の無償活動に依拠していて事業活動が低調な時期があったことは否定し難く、被控訴人が脱会者の証言記録等に基づいてこれらの事実を真実と信じたことには相応の理由がある。

 しかしながら、これらは、原記事2の作成時から約10年ないし15年前の事実であり、同様の状況が継続しているかどうかについては、別途調査を要する事柄であると言わざるを得ない。 そして、被控訴人が、平成31年当時における控訴人の経営状況や組織体制につき、調査を尽くしたことを認めるに足りる証拠はない。」

イ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、平成30年、 ◇◇から、控訴人は取締役会を開いたことがなかったこと、 控訴人の収支決算書の数字に矛盾があり多額の負債を抱え破綻状況であったことなどの情報を得ていたと主張し、それに沿う陳述書(乙156)を提出する。

 しかしながら、被控訴人が得ていた上記の情報は、 そのことから直ちに、 控訴人がまともな事業を営めないことを裏付けるのに十分なものとまではいえず、他に侵害部分2に関する事実に関して調査を尽くしたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

 したがって、被控訴人の上記主張は、上記アの判断を左右するものとはいえない。

(4) まとめ

 以上により、 投稿2については、控訴人の主張する不法行為が成立する。

6 投稿3 (侵害部分3) について

(1) 控訴人の社会的評価を低下させるか否かについて

ア 原判決の「第3 当裁判所の判断」の5(1) 記載のとおりであるからこれを引用する。 ただし、 21頁13行目の「侵害部分3 (2) は」の次に「韓国クリスチャントゥデイ日本支局設立の頃である控訴人の草創期における関係者の体験談として」を加える。

イ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、侵害部分3 (1)及び(2)に関し、 「詐欺師顔負けの劇場型詐欺」、「法を犯して警察が介入」、「詐欺的な方法」 という表現は、いずれも、意見、 論評である旨主張する。 しかし、これらは、いずれも、「詐欺」 や 「法を犯す行為」 をしたという証拠により立証可能な事柄に言及するものであり、事実を摘示するものというべきである。

 したがって、被控訴人の上記主張は採用できない。

ウ 当審における控訴人の補充主張について

 控訴人は、侵害部分3 (3) に関し、 宣教師個人に関する事実の摘示ではなく、その所属する組織である 「共同体」ないしそれに属するとされた控訴人に関する事実の摘示である旨主張する。しかし、侵害部分3 (3) の文言に照らすと、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、「共同体」の宣教師が信者に対して行っている統制行為に関する事実を摘示していると解するのが自然であり、 控訴人に関する摘示事実とみることは困難である。

 したがって、控訴人の上記主張は採用できない。

(2)違法性の有無について

ア 次のとおり補正するほか、原判決の 「第3 当裁判所の判断」の5 (2) 記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 原判決の補正

 23頁4行目冒頭から10行目末尾までを次のように改める。

「(ウ)他方で、控訴人が設立された平成15年から平成19年頃までの間、当時学生であった者を含む張牧師の信奉者が、宣教師らの要請に応じて「使役」の名目の下に控訴人を含む関連組織の活動に無償で従事し、活動の維持のため、 寄付や借財を求められることがあり (認定事実 (1) (3) ウ)、控訴人を含む関連組織は、その資金調達を信奉者の寄付や借財に頼り、その事業活動に対して労働の対価を正当に支払わなかったものと認められる。 そうすると、 上記期間における控訴人を含む張牧師の 「共同体」 について、侵害部分3 (1) が 「法的なことはどうでもよい」 とする点、侵害部分3 (2) が 「困れば借金をすればよい」との感覚であったとする点は、いずれも、その重要な部分において真実に合致するものというべきである。」

ウ 当審における控訴人の補充主張について

 控訴人は、侵害部分3 (1) のうち「法的なことはどうでもよい」 とする表現、侵害部分3 (2) のうち 「困れば借金をすればよい」 との感覚であったとする表現については、真実性が認められない旨主張する。

 しかし、侵害部分3 (1)及び(2)については、その直前の見出しである「韓国クリスチャントゥデイ日本支局設立時の記憶」 との記載からして、控訴人草創期の運営状況について記載したものとみるべきであり、そのような前提の下では、上記各点については、真実性が認められることは、前記引用に係る原判決の 「第3 当裁判所の判断」 の5 (2) イ (ウ) 当裁判所の判断」の5(2)イ(ウ) (前記イの補正後のもの)で説示したとおりである。

 したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。

エ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、侵害部分3 (1) のうち 「詐欺師顔負けの劇場型詐欺がスタートしていきました」、 「法を犯して警察が介入したとしても (中略)信者個人がやったことにすれば逃げきれます」 とする表現、侵害部分3 (2) のうち 「詐欺的な方法で1円でも多く金を得ればよい」とする表現について、これらの真実性の立証対象は、「法を軽視し、違法行為の責任を関係者たる個人に転嫁し、 借金や詐欺的な手法等での金銭獲得を容認する組織感覚を有していた」 かどうかであり、このことを前提とすれば、真実性の立証はなされているとみるべきである旨主張する。

 しかし、当該事実の立証対象については、摘示事実の字義に照らせば、「詐欺行為」、「犯罪行為」に及んでいたか否かをも含むものとみることが相当であるから、被控訴人の上記主張は採用することはできない。

(3)故意又は過失の有無について

ア 原判決の「第3 当裁判所の判断」の5 (3) 記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、投稿3の掲載に際して、 〇〇、 □□らの証言記録を入手していたこと(乙157) や、 控訴人の上部機関や関連組織であると主張するところの別法人が詐欺及びマネーロンダリング等の容疑で起訴されるなどの報道記事(乙91、92)に接していたことを挙げて、侵害部分を真実であると信じたことについて故意又は過失はない旨主張する。

 しかし、被控訴人指摘の上記証拠は、控訴人が組織として 「詐欺行為」や「犯罪行為」を行っていたとの事実に関して言及するものではなく、これらの証拠は、侵害部分3のうち、 控訴人が組織的な詐欺行為に及び、詐欺的な手法での金銭獲得を容認し、違法行為の責任を関係者たる個人に転嫁していた事実を根拠づけるものとはいえない。

 したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

(4) まとめ

 原判決の 「第3 当裁判所の判断」の5 (4) 記載のとおりであるから、これを引用する。

7 投稿4について

(1) 控訴人の社会的評価を低下させるか否かについて

 原判決の 「第3 当裁判所の判断」 の6 (1) 記載のとおりであるから、これを引用する。

(2)違法性の有無について

ア 公共目的及び公益性について

 原判決の「第3 当裁判所の判断」の6(2) ア記載のとおりであるから、これを引用する。

イ 真実性について

(ア) 侵害部分4 (2) について

a 前記認定によれば、 ①平成14年頃から平成15年頃にかけて、東京ソフィア教会等の宣教師等の中には、 〇〇や□□など、 後に控訴人の活動に従事することになる者に対し、 張牧師が再臨のキリストであると示唆する講義を行う者がいたこと (認定事実 (3) ア)、②〇〇及び□□は、平成16年ないし平成17年頃に東京ソフィア教会に通いつつ、異端信仰であることを疑われないように、 淀橋教会の礼拝に通っていたこと、東京ソフィア教会の伝道師等であり、控訴人の代表者であった高柳は、控訴人の設立後、淀橋教会に通ったことがあること、控訴人の現在の代表者である矢田は、かつて東京ソフィア教会に属していたが、平成17年から淀橋教会に転籍し、 同教会に通うようになったこと(認定事実 (3) エ) が認められる。

b もっとも、 原記事4の「体験談」において、侵害部分4 (2) の投稿内容(「淀橋教会に (中略) 信者たちが計画的に送り込まれていた、その実態」)に対応するのは、侵害部分4 (1) の上の段落であるところ、当該段落には、 「2010年だったか11年の初頭に共同体の宣教師が宣言した」 との記載があることからすると、侵害部分4 (2) の指摘する事実は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、平成22年から平成23年頃に「派遣」された人物をいうものと解される。

 しかるに、上記a②の事実は、これと時点を異にするものである上、上記時点において〇〇や□□は脱会していたから (認定事実 (3)ア)、これらの者の証言をもって、上記平成22年ないし平成23年の事実を直ちに推認することはできない。 そして、他に、この頃において張牧師の信奉者が淀橋教会に計画的に送り込まれていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

c 以上によれば、侵害部分4 (2) については、重要な部分につき真実であるとの証明がされたとはいえない。

(イ)侵害部分4 (1) について

 控訴人は、平成19年5月、 控訴人ウェブサイトにおいて、張牧師は再臨のキリストではない旨、 控訴人としての見解を表明しており (認定事実 (5) ウ)、また、高柳と矢田は、本件訴訟において、張牧師が再臨のキリストである旨の信仰を有しておらず、 模範的なキリスト教徒を装って淀橋教会の峯野牧師を騙したことはない旨を陳述している(甲48、49)。 さらに、峯野牧師は、矢田には異端的な言動や行動が見られたことはない旨を陳述している (甲50、 認定事実 (10) )。

 以上のとおり、控訴人の新旧の代表者が、 異端信仰を有していないことを公にしており、峯野牧師においてもそのことを偽りのないものと判断して尊重していることに加え、ここで争点とされている事項が個人の信仰の自由又は宗教的行為の自由に関わる事柄であり、私人間の民事訴訟で争われる場合であっても慎重に判断されるべきものであることをも勘案すると、上記 (7) a 1及び2の事情をもってしても、峯野牧師と直接の面識のある控訴人の役員が、 平成14年頃から投稿4が行われた令和元年8月頃までの間において継続的に、異端信仰を秘して、峯野牧師を騙したとの事実 (侵害事実4 (1)) を真実と認めることはできないというべきである。

 以上によれば、侵害部分4 (1) については、重要な部分につき真実であるとの証明がされたとはいえない。

(ウ)当審における被控訴人の補充主張について

 被控訴人は、侵害部分4 (1) につき、 ①経験豊富な宗教家であっても、真の信仰を隠している信者の嘘を見抜くことは容易ではなく、峯野牧師の陳述書(甲50)を重視すべきではないこと、②高柳は張牧師が設立したとする教団(オリベットアッセンブリー教団。 乙63)の牧師であり、矢田は東京ソフィア教会の後続とされる教会にも出入りしていることなどからして、 高柳や矢田の陳述書は信用できない旨主張し、これに沿うものとして、張牧師の関連組織で活動していた者(△△など) の証言記録(乙157)を提出する。

 しかしながら、上記①の峯野牧師の認識に不合理な点があるとは認められない。また、上記②の高柳の地位や矢田の行動は、両名が未だ張牧師との関係を維持していることをうかがわせるものの、異端信仰を秘して峯野牧師を騙しているとの事実を直ちに帰結するものとまではいえず、疑惑の域を出るものではない。 そして、このことは、被控訴人が提出した上記の証言記録や日本基督教団等に属する牧師の陳述書等(乙158~160) を勘案したとしても、同様である。 したがって、被控訴人の上記主張は、上記(イ)の判断を左右するものではない。

ウ 小括

 したがって、被控訴人が侵害部分4を引用、摘示したことについては、違法性は阻却されない。

(3)故意・過失の有無について

 被控訴人は、侵害部分4の内容は、元信者の証言記録と一致していたから、真実であると信じたことについて故意又は過失はない旨主張する。

 しかしながら、侵害部分4 (2) については、前記(2)イ (ア)において説示したとおり、侵害部分4 (2) が引用する原記事4の体験談が言及している平成22年ないし平成23年頃の事実は、 〇〇らの証言記録の範囲外のものであるから、別途調査を要する事柄であると言わざるを得ない。そして、被控訴人が、投稿4が行われた当時における控訴人の経営状況や組織体制につき、調査を尽くしたことを認めるに足りる証拠はない。

 また、侵害部分4 (1) は、控訴人の役員の信仰の内容という個人の内心の領域に関する事実が前提となっているところ、その真実性については、前記(2)イ (イ)において説示したとおり、慎重な判断を要するというべきであるから、元信者の証言記録を入手したことのみでは、調査を尽くしたとはいえない。

 この点に関し、被控訴人本人は、被控訴人が平成30年4月に淀橋教会を訪問し、峯野牧師に対して同牧師が控訴人に騙されていることを説明した折に、同牧師は、異端信仰を否定する矢田の発言を信用していることがうかがわれる様子があった旨の供述をするが (乙164、 被控訴人本人12、13、23頁)、そのことは、直ちに矢田が異端信仰を有することを裏付ける事情とはいえず、上記被控訴人本人の供述によって、真実と信じたことにつき相当の理由が具備されたものとみることはできない。

 したがって、被控訴人が、侵害部分4が摘示する事実の重要な部分を真実であると信じたことについて、 相当な理由があると認められず、被控訴人が投稿4においてこれを引用、摘示したことには過失がなかったとはいえない。

(4) まとめ

 以上により、投稿4については、 控訴人の主張する不法行為が成立する。

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