ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

マタイによる福音書7章1~5節

2021年06月20日 | 説教要旨

「自分の目の中の丸太」

丸太は大きいですが、のこぎりで丸太を切るとおがくずが出ます。その一粒はとても小さなものです。イエス様は「兄弟(他の人)の目の中にあるおがくずは見えるのに、自分の中の丸太には気がつかないのか」と言われました。ここでの丸太とおがくずはあやまちのことです。

人間は皆、自分は他の人よりも正しいと思うそうです。でもそれは、自分の目の中に丸太のような大きなあやまちがあることに気がつかないということなのです。他人の、おがくずのように小さいあやまちの悪口を言う性質があるのが私たちです。

イエス様は、「自分の目の中にある丸太のような大きなあやまちを取り除きなさい。そうすれば他の人の目の中の小さなおがくずを取り除くことが出来る」と言われました。目の中の丸太は、イエス様の十字架によって取り除いていただくしかありません。ですから目の中の丸太を取り除きなさいと言うことは、私の十字架の元に来なさいということなのです。

イエス様の十字架の元にいれば、そして罪を赦していただいていることを実感できれば、他の人のあやまちを赦せるようになるという意味です。罪を赦されるということは、目の中の丸太を取り除いていただくことなのです。そして他の人のおがくずを取り除きましょう。

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