ウクレレとSwing(スヰング)音盤

Take A Holy Day -Summer- (1991) / Tokyo Hot Club Band with Herb Ohta


東京ホット倶楽部バンド とオータサンの共演盤。1991年には本アルバムの発表にあわせ両者共演によるジョイント・コンサートも東京で開催されたようだ。

本作で初めて試されたバイオリンをフィーチャーしたアコースティック・スイングというフォーマットは、その後90年代前半までの時期におけるオータサンの何枚かのアルバムにおいて、何度も踏襲される事になる。

この時期、オータサンは公式なステージネームを地元ハワイ向けにはOhta-San、国際マーケット向けにはHerb Ohta名義を使い分けていたようだが、息子さんのジュニアがHerb Ohta Jr.として同じウクレレ奏者としてデビューし、徐々に活躍の場を広げてくるようになると「紛らわしい」という事で、後にあっさりと元のOhta-San名義に戻している。このためOhta-San(Herb Ohta)といった注釈付きの折衷案まで含めて、リリースの時期やレーベルによってこの後両方の名義が混在してゆく事態となった。

01 Lazy Summer
02 MAGPIE
03 POINCIANA
04 MALIA
05 I Remember April
06 WISHES
07 Torque “Flite”
08 Ebb Tide
09 Take A Holiday
10 My Melancholy Baby
11 SOLITUDE

90年代はウクレレがそれまでの長い冬の時代を経て、ハワイではジャワイアン音楽(ハワイ式レゲエ)が音楽シーンを席巻し、カアウ・クレーター・ボーイズの出現によりウクレレが「リズムにもソロにもイケるハワイの楽器」、として再び若者の熱い注目を浴びるようになる。この従来のハワイアンとは異なる新しい流れが、のちにジェイクなど新世代のスーパー・テクニックを有するスター・プレーヤー達の登場へと繋がってゆく。

いっぽう同じころ、日本でもじわじわとウクレレが注目を浴びつつあった。それはサザン(・オールスターズ)の関口氏等が中心となり、芸能人という立場を最大限利用し積極的にメディアで露出するなどしてブームの仕掛人となって、「ゆるい。だが、そこがいい」という特異なキャラクターを持つ楽器として、ミュージシャンだけでなく、タレントや女優、クリエーターや文化人まで巻き込んだ活動を展開してゆく。狂乱のバブル景気が崩壊し、それまでのイケイケの日本から個性を尊重する時代へとトレンドは変わりつつあった。オータサンの人柄もウクレレの醸し出すイメージにピッタリ一致していた。こうした背景が大きな後押しとなり、オータサンは「ウクレレの神様」として脚光を浴びる。

本作はその胎動期、日本の音楽業界で「これからウクレレが来る(かもしれない)!」と予感されていたであろう時代の作品で、当時は国内のCDショップで入手できるオータサンの音源はまだ限られていたという事情もあってか、こうした日本のアーチストとのコラボレーション作品が積極的に制作された。同年には俳優の竹中直人が監督した映画「無能の人」サントラでゴンチチとの共演も果たしている。



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