ガワ萌ヱ日報

わずかな情報と膨大な妄想で構成された、ガワ萌ヱな人のためのWEB壁新聞です。

幽明遥けく隔つとも・・・

2014年05月08日 15時11分41秒 | 告知
 


この一文は先代の白い綿毛の猫を亡くした時に、
知人が送ってくれた手紙に記されていた、小説「野菊の墓」の一節である。
明治の美文調であるが、現代人でも大まかな意味は理解できるであろう。
ワタシ自身はこの小説を読んだことはないのだが、
少女漫画化されたものを見たことがあるので、
物語の起承転結はざっくりとではあるが記憶している、

主人公であるとある男子学生が、
年上の従姉妹である民子に抱いた初恋の物語で、
当然その淡い想いが叶うことはなく、民子は別の男と結婚させられ、
その後若くして先立ってしまう・・・というような筋書きである。

しかしながら、その悲しい初恋の物語は、
主人公にとっては生涯忘れがたいものであり、
表題のごとく、あの世とこの世に分け隔てられようとも、
尚もこの心は民子の元を去らぬ・・・と続くのである。


ワタシはこの手紙を今も常に持ち歩いている。
何度も読み返すためではなく、
ワタシの心が今も綿毛の子の元にあるからである。


あの子の遺骨を土に還す決心をするまでに、二度の桜を見た。
散り急ぐ花びらが、行き急ぐ猫のさまに似て見えた。
しかしひとたび地に落ちた花びらが二度と再び枝に戻ることがないように、
去年の花と今年の花は同じようで同じではないのだ。
そしてどれほど祈ろうとも、どれほど待ち続けようとも、
あの魂がこの遺骨に戻ってくることはないとようやく悟ったのだ。

この点において、ワタシは如何なる魔術もまじないも、
そしてそれを盲信する人をも笑うことはできない。
ワタシ自身が復活の呪文と儀式の奇跡を切望していたのだから。

地に落ちた花びらが、やがて地の養分となって別の花を咲かせるように、
あの子はいずれまた猫か人か、
あるいは草花となってこの世に生まれてくるだろう。
その魂がまだ黄泉にあるのならばそこでの冥福を、
生まれ変わる途上にあるのならばより良き転生を、
すでに来世にあるのならば、そこでの幸せを祈る。

願わくばその愛らしい姿と優しい魂にふさわしい来世でありますように。

We are seperated so far in this and the other world,
  but my mind will never leave from your bosom forever.





蝋梅の咲く頃

2014年02月06日 16時20分28秒 | 告知


梅の花に僅かに薔薇の艶やかさを加えたような、
蝋梅の甘い香りが漂う季節になると、
平均寿命まで生きた場合、その四分の一を共に過ごしたことになる、
あの白い猫のことを思い出す。

昨年のちょうど今頃、最早回復を望めぬ容態に陥ったあの子は、
苦痛に呻くことも藻掻くこともなく、
ただゆっくりと、しかし確実に命の炎を燃やし尽くして旅立っていった。

もしかして何らかの延命措置を施していれば、
その数日後に訪れた春の兆しの陽光を見せてやれたかもしれない。
もっと早く獣医師処方の餌に切り替えていれば、
夏場の消耗を最小限に抑えて、
更にもう一冬を無事に越せていたかもしれない。

そんな取り留めもない後悔を何度繰り返しても、
その度に何度泣き崩れても、
もうあの白い綿毛に、あの優しい魂が再び宿ることはない。
何より、診察台の上ではなく、母の腕に抱かれたまま旅立ったことを、
あの子が逝くと決めた時に、
一番好きな場所に居られたことを唯一の救いとして、
事実を、現実を受け入れねばならなかった。

当然のように、以前と同じように日々を過ごすことは出来なかった。
契約があるから働き、働くために食べてそして眠る。
ただそれだけの日々。
何をしたいでもなく、どこに行きたいでもなく、
ひたすらに決められたルーティンワークをこなすだけ。

多分こうなるだろうとわかっていたから、
24時間相模原往復弾丸ツアーとか、吹雪のスタジアム特急ツアーとか、
できることは予めやっておいたのだけれど、
実際の虚無感といったら、予想の範疇を大きく凌駕していたわけで。

祖父母を始め、年長の兄達を見送ってきた母でさえ、
「肉親を失うより辛かった」という。
それは多分、水すら飲めなくなってすっかりやせ衰えてはいても、
その愛らしさが微塵も損なわれることがなかったからだろう。
蝋梅と寒椿に飾られた亡骸は、
ようやく我が家で飼うことを許された頃の、
痩せっぽちの若猫が昼寝をしているようにしか見えなかった。
雌猫特有の、あのうっすらと笑みを浮かべたような、
穏やかで安らかな可愛い顔は、生前と全く変わることはなかった。

そしてもう一つ、予めわかっていたことは、
この喪失を埋めることが出来るものは、この世にたった一つしかないが、
しかしあの魂があの姿で生まれ変わってくることはありえないということ。

今ワタシの傍らには、
あの子と入れ替わるようにしてこの世に産み落とされた、
性別も、性格も、毛色も違う雄猫かいる。
甘えん坊で、暴れん坊で、
あの子とは比べ物にならないほど手がかかる。
しかしそれが、仕事を優先して、
あの子を実家に残して出て行ったワタシの救いであり贖罪である。
あの子にしてやりたくて出来なかったことを、
次々にワタシに要求するこの子は、
やはり来るべくしてワタシのことろへやって来たのだろう。

願わくば彼の地で、虹の橋のたもとで、
白い子と黒い子がワタシを待っていてくれますように・・・



久々のレイアウト変更

2014年01月13日 19時00分03秒 | 告知
ブログの仕様変更に伴うかたちで、ちょいと模様替え。

ツイッターのまとめ投稿システムが3月で終了だそうで、
今後は左コラムに最新のつぶやきが表示されます。
これまでは表示されていた@付きが非表示になるのは、
おそらくはTwitter公式側の意向と思われる改変かと。

そんなわけで、こちらへの投稿はまとめまかせ、
という手抜き管理ができなくなるので、
少しはまともに記事書けよ、ってことなんでしょう。きっと。

実は見たいページが幾つかあって、
FACEBOOKをやるか否かまよってたんですが、
これ以上SNS増やしてもなあ~ってことで、一時棚上げです。



出会いと別れの物語

2013年03月31日 23時24分47秒 | 告知

もうすぐ四十九日。

最初の出会いは阪神淡路大震災の数日後。
実家へ一時避難している時に、真っ白な綿毛の子猫を見かけた。

当時、胃を悪くしてフルタイムの仕事を辞め、
たまに派遣で働きながら療養する日々を過ごしていたワタシは、
この後、大阪の賃貸マンションを引き払い、故郷へと撤退することになった。

その数日後、再び見かけた白い子猫は、
ワタシが近づくと怯えた様子で後ずさりするばかり。
ならば・・・としゃがみこんだ途端、何を思ったかいきなりワタシに駆け寄ってきた。
そのまま腿をつたって胸元にしがみつき、
おそらくは母猫を呼びつづけてすっかり嗄れてしまったのであろう声で鳴き続けた。

その日からその子は実家の周辺に留まり続け、
ワタシを見ると駆け寄って来ては、ワタシの小指を何度も甘咬みした。
今にして思えば、その子猫は何をどう錯覚したのか、ワタシを母猫と思い込み、
指を乳首だと勘違いしていたのだろう。

やがてその子の住まいは、隣家の床下から我が家のガレージに替わり、
ガレージから物置に替わり、物置から縁側に替わり、それからワタシの部屋に替わった。
いつのまにか真っ白だった尾が三毛に変わり、
ペンキ塗りたての壁に鼻面をくっつけたような顔になっていた。
木造二階建ての実家とその周囲を縄張りとして確保した幼い猫は、
全力で遊び戯れ、はしゃぎ、駆けまわり、存分に暴れまわった。

以来18年。
諸事情により、再びワタシが実家を出て以降は、一番日当たりのいい南側の和室に陣取り、
父と母を下僕のごとく従えての我儘三昧だった。

そんな弾む毛玉そのものだった若猫が、
いつの間にかねこじゃらしすら億劫がる老猫となり、
日長一日寝て暮らすようになって早数年。
そのままゆっくりと衰えていくことを覚悟してからさらに数年の後、
その時はふいに訪れた。

結局、一度の大怪我、一度の大病すらなく、
もしもの時の入院と手術に備えておいた預金を使うこともなく、
僅か5日間の晩節を過ごしたのみだった。

火葬の前に父が撮った写真を見たが、
生前の白さを取り戻し、母が育てた寒椿と蝋梅に飾られたその姿は、
半分開いた目のせいて、まどろみから目覚めつつあるようにしか見えなかった。
やせ衰えてはいても、屍とみなすにはあまりにも愛らしかった。

思えば、その無垢で無邪気な小さな温もりによって、
仕事で疲れ果てた体とささくれだった心を何度癒されたことだろう。
生涯のほぼ四分の一を共に過ごせたことが、どれほど大きな救いになったことか。

この世に生まれた猫と、猫に出会った全ての飼い主の数だけ物語がある。
これはその中の一つにすきない、とある出会いと別れの物語。


ご報告

2013年02月18日 16時11分42秒 | 告知
我が家の老猫が、昨夜息を引き取りました。
母によれば、日付の変わる少し前、母の腕に抱かれたまま、
静かで安らかな最期だったとのことです。

その後お風呂嫌いだったあの子にとっては最初で最後の沐浴を済ませ、
生前の白く美しい毛並みに戻してやってから、
その姿が損なわれる前に、速やかに荼毘に付しました。

これは私の強い願いであり、
私は生きていた間のあの子しか知らないまま、
細かな骨となって、先ほど我が家に戻ってきました。

一番心配だった母の精神状態も、
自分の腕の中で逝かせてやることができて、
本人なりに納得がいったようです。

思ったよりも早く、床ずれの出来る間もなく、
考え得る最も望ましい形で旅立たせてやることができました。

これからも悲しみにかられる時間がしばらく続くかと思いますが、
あの子の望みも、母の望みも、私の望みも叶ったことを幸いとして、
残された者達であの子の死を悼み、
生前の姿を偲び、
18年間の楽しかった日々を糧として生きていこうと思います。

WEB上であの子の姿を愛でてくださった皆様に、
心から御礼を申し上げます。




相模の国大返しの段

2012年11月28日 23時27分03秒 | 告知
日曜日、午前10時50分頃、自宅を出発。
在来線~新幹線~在来線~私鉄と乗り継いで、
同日午後4時30分頃、現地に到着。

同日午後5時30分~8時30分頃まで「ぜろすたいる」。

終了後、午後9時~10時まで、相模原ドトールにてyokoさんと熱く語り合う。
全く語り足りないのだが、閉店時間のため、やむなく町田にて解散。(T_T)

同日午後11時少し前、新横浜駅近くのホテルにチェックイン。
コンビニ飯、シャワーの後、深夜1時頃には寝付いていたと思われる。

翌朝は6時半頃に起床予定だったが、何故か5時頃突然周囲の物音で目覚める。
どうやら始発の新幹線に乗る人達が一斉に起きだして、
慌ただしくチェックアウトしている模様。

あ~そうか。新幹線で寝ればよいのだ、と急遽ワタシも出立の用意を始める。
結果、みどりの券売機で、午前6時30分台ののぞみ指定席確保。

発車後間もなくの検札以降、三河安城通過のアナウンスまでの記憶欠落。

早朝なのになんで指定席がほぼ満杯なんだろうと思ったら、
JR東海ツアーズの紅葉見物ツアーの団体さんが京都駅で大量に下車w

京都で乗り換えた在来線の特急も、何故か自由席がほぼ満席。

午前10時30分頃、職場にほど近い駅に到着。
午前10時50分、出社。通常の2時間遅れ。

つまり、出発から24時間で神奈川県まで往復移動して、
そのまま仕事するという、弾丸ツアー一歩手前の強行軍w
しかし新幹線の眠り心地の良さのお陰で、
大して疲れもせず、職務に影響することもなく日常生活に復帰。

この間、列車のダイヤに寸分の狂いもなく、
ローカル単線区間周辺の鹿、熊、猪、倒木等による進行妨害もなく、
全行程を滞り無く完了することが出来た。

改めて、在来線を含め、民営化後のJRの見事な仕事ぶりに敬服した一日であった。




Twitter関連サービスの終了相次ぐ

2012年09月09日 11時31分57秒 | 告知
 
API利用制限など「Twitterの変化」影響 - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1209/03/news134.html

トラブルが長引いているのはこういう理由だったのね。
ブログとの連携復活は望み薄かもな~(´・ω・`)

MixiとTwiccaとTwipicとSaezuriは今のところ大丈夫ですか、
いつどうなるかわかんないよね~

パソ復活・・・・・

2012年09月03日 21時29分52秒 | 告知
やっとログインできました・・・

しかし相変わらずツイッターとの連携の不具合が解決されておりません。
つまり、うちのスマホさんが悪いんじゃなくて、
gooとTwitterの問題だったわけで~
そんなわけで、ワタシのつぶやきに御用のある方は、
@diyunnko で検索してみてくださいませ。

・・・まあ相変わらずのアホ全開なわけですが・・・( ̄∀ ̄)

メールアドレス変更のお知らせ

2011年12月31日 17時29分55秒 | 告知
すっかりスマホ頼りの生活になってしまいましたが、
久々にWEBメールの迷惑メールフォルダを確認したところ、
スパムてんこもりだったため、久々にメールアドレスを変更いたしました。

御用の際は、←コラムの「メッセージを送る」からご連絡をいただければ、
新しいアドレスから返信いたします。

年の瀬のせわしない時期の変更で申し訳ありませんが、
何卒ご了承くださますようお願い申し上げます。


ぢゆんこ

アクセス解析

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