もうすぐ四十九日。
最初の出会いは阪神淡路大震災の数日後。
実家へ一時避難している時に、真っ白な綿毛の子猫を見かけた。
当時、胃を悪くしてフルタイムの仕事を辞め、
たまに派遣で働きながら療養する日々を過ごしていたワタシは、
この後、大阪の賃貸マンションを引き払い、故郷へと撤退することになった。
その数日後、再び見かけた白い子猫は、
ワタシが近づくと怯えた様子で後ずさりするばかり。
ならば・・・としゃがみこんだ途端、何を思ったかいきなりワタシに駆け寄ってきた。
そのまま腿をつたって胸元にしがみつき、
おそらくは母猫を呼びつづけてすっかり嗄れてしまったのであろう声で鳴き続けた。
その日からその子は実家の周辺に留まり続け、
ワタシを見ると駆け寄って来ては、ワタシの小指を何度も甘咬みした。
今にして思えば、その子猫は何をどう錯覚したのか、ワタシを母猫と思い込み、
指を乳首だと勘違いしていたのだろう。
やがてその子の住まいは、隣家の床下から我が家のガレージに替わり、
ガレージから物置に替わり、物置から縁側に替わり、それからワタシの部屋に替わった。
いつのまにか真っ白だった尾が三毛に変わり、
ペンキ塗りたての壁に鼻面をくっつけたような顔になっていた。
木造二階建ての実家とその周囲を縄張りとして確保した幼い猫は、
全力で遊び戯れ、はしゃぎ、駆けまわり、存分に暴れまわった。
以来18年。
諸事情により、再びワタシが実家を出て以降は、一番日当たりのいい南側の和室に陣取り、
父と母を下僕のごとく従えての我儘三昧だった。
そんな弾む毛玉そのものだった若猫が、
いつの間にかねこじゃらしすら億劫がる老猫となり、
日長一日寝て暮らすようになって早数年。
そのままゆっくりと衰えていくことを覚悟してからさらに数年の後、
その時はふいに訪れた。
結局、一度の大怪我、一度の大病すらなく、
もしもの時の入院と手術に備えておいた預金を使うこともなく、
僅か5日間の晩節を過ごしたのみだった。
火葬の前に父が撮った写真を見たが、
生前の白さを取り戻し、母が育てた寒椿と蝋梅に飾られたその姿は、
半分開いた目のせいて、まどろみから目覚めつつあるようにしか見えなかった。
やせ衰えてはいても、屍とみなすにはあまりにも愛らしかった。
思えば、その無垢で無邪気な小さな温もりによって、
仕事で疲れ果てた体とささくれだった心を何度癒されたことだろう。
生涯のほぼ四分の一を共に過ごせたことが、どれほど大きな救いになったことか。
この世に生まれた猫と、猫に出会った全ての飼い主の数だけ物語がある。
これはその中の一つにすきない、とある出会いと別れの物語。