ガワ萌ヱ日報

わずかな情報と膨大な妄想で構成された、ガワ萌ヱな人のためのWEB壁新聞です。

全国ヒカリ巡りの旅・・・なんつって。

2007年12月28日 17時12分33秒 | ウルトラ
駅弁かよっ。

違います。
美しいヒカリを求めて全国を行脚したいのはやまやまですが、
諸事情でそうもいかないので、
あっちこっちで画像拾いまくってるぢゆんこです。

ええもう、ほっそりヒカリさんから、ストロングヒカリさんまで、
手当たり次第、収集しまくっておりますとも。
自前分は過去記事を見ていただくとして、
今回は以下のお三方をピックアップしてみたぞえ。



先鋒・ジャングルの美脚ヒカリさん
ぢゆんこがお目にかかったのは、もう少し細身のヒカリさんでしたが、
イベントレポを見ますに、この画像の方のジャンプ力はすんごいですね。
チームジャングルは、このファイティングポーズがお得意のようです。
うん。美脚映えするねえ~かっこいいねえ~(^o^*)



中堅・ランドの逆三角ヒカリさん
胸囲が1メートル超えしてそうな、すんばらしい逆三角ぶりです。
脇のラインに一目惚れしましたです。
金と時間が許せば、関門トンネルを越えて会いにいきたいです。



大将・スタジアムの腹筋割れてるヒカリさん
アトラクスーツ越しにもかかわらず、
くっきりと存在を主張する見事な腹筋を見よ!
・・・と言っても、ワタクシいまだスタジアムのヒカリさんとの
対面を果たしておりませぬ。(つдT)
そんなわけで、このヒカリさんはamiさまからの頂きものであります。
春になったら必ず参上するので、鍛えて待っているのだぞ~

でわでわ、これを以って年内の記事UP納めとさせていただきます。

ひーさま、皆様、よいお年をお迎えくださいまし~\(^o^)

飛翔の舞

2007年12月18日 22時27分09秒 | 岩田栄慶
『時の海鳴り』はワタシにとって最も印象深い回の一つである。
それは太田 愛女史の脚本によるところが大きいのだが、
絵的にも極めて秀逸であったことは、以下の画像が示すとおりである。



ふわりと宙に舞い上がったメビウスが、背後の満月と重なり合う瞬間である。

メビウスは戦うために地球にやってきた若き戦士というふれこみである。
なるほど。その端正な顔立ちには、またあどけなさがありありと残っている。
しかしそのたくましい肢体は、成熟した男そのもの。
一見無垢な少年のようでありながら、その性的すぎる肉体はなんだ!みたいな。
これがいわゆるアンビバレンツな魅力ってやつなんでしょうね。
見ているこっちも既に成熟して久しい人なので、
その辺りはぬかりなく、且つ、目ざとくチェックしてしまうわけですよ。

そんな時、ふいに目に飛び込んできたのが、宙を舞う岩田メビウスであった。

「こんなウルトラマンはいまだかつて見たことがない!」

まるで重さを感じさせない、軽々とした飛翔。
これは羽根のない天使の仕業か?
はたまた、見えない羽衣をまとった天女(ヲイ)の舞いか?

否、これは監督・アベユーイチが仕掛けた、卓越した視覚マジックである。
音もなく月の高さに達するその跳躍力。
そして広げた腕が月の直径と一致する、一瞬の奇跡。
(実はものすごく意図的な構図なんだけどね)
これはウルトラマンの超人性と神秘性を見事に描写した名演出であるといえよう。

しかし、手法云々は全くの後付にすぎない。
我々は只々、岩田メビウスのしなやかな腕と、絶え入るばかりの細腰と、
まさに超人そのものであるその『飛翔の舞』に感嘆するしかないのである。

元から伸身宙返り系の技って好きなんだよね。
やっぱ回転数より飛形姿勢でしょ。なんてね。



んなことを言ってる間に、今度はそれにひねりを加えてきた。
しかも片腕は指先まできれいに伸ばしたままで。



普通に立ってる時でもこんだけ腰ひねれるか?
とりあえずワタシは無理だ。
しかも、この体勢では着地点はおろか、
ほとんど何も見えない状態で飛んでるんじゃないかと思う。
しかしこの人は、ちゃんとカメラの位置と、
それに対する自分の体の向きを把握していて、
自ら「見え方・映り方」を意識して調整しているように見える。

つまり『時の海鳴り』も『故郷のない男』も、
奇跡的なシーンではあるが、そこには確かな必然性があり、
我々が見ている映像は単なるまぐれ当たりでもなければ、
100テイク撮った中の奇跡の1テイクでもないのだ。
そこに在るのは、類稀な演出をひねり出す監督と、
それを的確に具現化しようとする表現者との、身を削るようなせめぎあいだ。

岩田氏の正確な身長は知らないが、一見して180cmはゆうに越えている。
なのにありえないくらい身が軽い。しかも極めて柔軟性が高い。
ワタシが常々、この人を他のスーツアクターさんとではなく、
各種ダンサーと比較するのには、実はこういうわけがあるのですよ。
最近だと、フィギュアスケーターの表現と共通するものを感じたね。
わずか数ミリのエッジに体重を預けて氷上を舞うスケーターと、
ほとんど視界を奪われたまま、超人として振舞うスーツアクター。
その身にかかる負荷は異なるが、
アスリートでありながら、また同時に表現者である点で、
彼らの立ち位置は案外近いような気がする。

せわしなさの中で、とりとめもなくふとそんなこと考えてみたりする、
師走のぢゆんこです。


ウルトラのピエタ

2007年12月06日 19時15分33秒 | 岩田栄慶


これを見て、



これを思い出したワタシって・・・

と思ってたら、実は案外まっとうな反応らしいよ。
一応、文末に参考記事のリンク貼っとくけど、
翻訳がこなれてないので非常に読みにくいです。
ってことで、ワタシが勝手に要約しておく。

「美」とは本能的な直感と、学習と経験によって得た記憶=知識という、
二つの異なる脳の反応によって識別される。
しかし知識は誰もが持っているとは限らないわけで、
古典的な彫刻が広く一般的に美しいと評価されているのは、
それがある意味、「美のスタンダード」として、
普遍的に認識されていることの証明である・・・と言いたいのだろう。多分。

つまり、ミケランジェロの「ピエタ」を美しいと思うのは普通だが、
ツルギとメビウスにそれを見出すワタシってどうよ?っちゅう話だ罠。

ちなみにピエタとは、「嘆き」とか「悲しみ」を意味するイタリア語である。
ミケランジェロの「ピエタ」とは、
十字架から降ろされた死せるキリストを前にした、
聖母マリアの沈痛な悲しみを表現したものであり、
ルネサンス期(16世紀)のローマ法王・ユリウス二世の墓所を飾るために、
巨匠ミケランジェロ・ブオナロッティが製作した、
美術史上に燦然と輝く傑作である。
(ワタシはダビデの方が圧倒的に好きですが)

演出家がこの彫刻を意識していたか否かはこの際置いといて、
特撮の着ぐるみに 向かって 「ピエタ!」 とほざくワタシってどうよ?

この時の岩田栄慶(ツルギ)と和田三四郎(メビウス)の芝居が、
そのくらい神がかっていたのは確かである。



差し伸べた手に、精一杯の感謝の意を込めるツルギ。
はっとしてそれを強く握り締めるメビウス。
ここでツルギがわずかに腰を浮かせて身をよじるのがなんともまた・・・(´д`*)



やがて苦しげに一度喘いだ後、静かに死の訪れを待つツルギ。
成す術も無く、呆然とそれを見ているしかないメビウス。

甲冑に隠れて見えないツルギの視線が力なくメビウスを捕らえ、
そしてわずかに微笑もうとして叶わず、
その目から光が失われる瞬間まで、
余すところ無くこちらに伝わってきたではないか。
もう泣けるわ鳥肌が立つわで、
まぢで 「こいつら何者やねん!」 と思った罠。

石に刻まれた「ピエタ」と違って、これは一瞬の奇跡である。
生きた人体による表現であるが故に、
それはより刺激的かつ肉感的であると同時に、その美は脆くうつろいやすい。
DVDメディアとて永遠ではない。

そこでフィギュアですよ!

プラスチックのミニチュアレプリカではあるが、
ワタシにとっては古代ギリシャ~ローマ~ルネサンスを経て、
ウルトラマンへと受け継がれた普遍的な美の象徴ですからね。
ミケランジェロの彫刻にだって、
古典的&理想的なプロポーションのモデルがいたわけだしね。

でも聖母マリアは女だろって?
いやいや。絵画であろうが彫刻であろうが、
ミケランジェロは男のモデルしか使わなかったのですよ。
ふっふっふ。(←何故笑う)

参照記事


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