11時55分 見晴しの良い広場
【比叡山 其の一】からどうぞ。
広場を後にして、開放感のある道を進みます。
あ、シカがいました。
あいつもこちらを観察しているようでした。
少し、お腹が大きいような、母鹿かもしれません。
広場から、わりと近くにあった道標。
叡山ケーブルの比叡山駅まで、あと700メートルです。
なにやら、廃屋のような建造物が見えてきました。
11時59分 比叡山人工スキー場跡
人工のスキー場があった場所のようです。でも、今は運営されていないみたいでした。
たまたま温度計が設置されていたのですが、気温32度でした。
夏の低山登山は危険です。暑くてたまりません。
我々は2人で4リットル近くの飲料をバックに入れているのですが、
帰る頃にはきれいに飲み干してしまいます(山歩き約4~5時間ほどの間に)。
地球防衛軍の基地があります。
嘘です。
たぶん、三角点のあったテレビ塔だとかの辺りだと思います。
12時04分 ケーブル乗り場
ケーブルで上がって来た人たちでしょうか、
乗り場前でのんびりとくつろいでいます。何をしに来たのでしょう。
ケーブルの駅を通過。
京都側の景色が見えます。宝ヶ池地区あたりでしょうか。
これからあのあたりまで歩いて行くわけです。暑い。
ケーブル駅から50分ほど歩くことになりますが、
雲母坂(きららざか)を下るコースを下ります。
叡山本線の修学院駅から電車に乗る予定です。
12時18分
しばらく雑木林の中を歩いていましたが、
ケーブル駅から15分も歩くと、ヒノキの植林地となります。
12時22分
植林地の中「千種忠顕郷の碑」へと向かう道がありました。
すぐ近くだったのですが、知らない人ですし、行きませんでした。
千種忠顕、あとで調べましたが、
後醍醐天皇の家来で、この辺を治めていた人みたいです。
山頂付近で気温32度でしたから、下は36度くらいあるのでしょうね。
そういった暑さのせいか、大変にしんどいです。
あ、ニホントカゲ。
奇麗だ。
12時30分
植林地も終わり、また普通の雑木林を歩きます。
イグチ科のイロガワリというキノコだと思うのですが、
そうだとするなら食べられるキノコです。
12時50分 水飲対陣(みずのみたいじん)跡
どうやらここはさっき名前の出てきた千種忠顕戦死の地。
ここから雲母坂なのだと思います。
雲母坂の名前の由来、地表にキラキラと見える雲母から来ているのでしょうか。
雲母は別名「きらら」とも呼ばれる鉱物ですから、雲母坂と書いて「きららざか」となるのですね。
下りだから良かったものの、この道を逆に登る気力は、この時の我々にはありません。
この辺でヘビがいました。
横の壁、高さがありますから、顔の近くをヘビが通過して行きました。
13時頃、鉄条網に囲われた修学院離宮の敷地横を通過しました。
13時28分 道路
用水や道路があるところへ下りてきました。
雲母坂も終わりです。
こちら側から登りたくはありませんが、こちらから登る方がメジャーみたいなんですよね。
そうそう、この坂は都と比叡山を結ぶ大切な道だったようで、
別名「勅使坂」とも呼ばれています。
そして、天台宗の雲母寺があったことからこの名前が付いたということでした。
街へと向かってひたすら歩きます。
ジリジリジンジンと照りつける太陽、はなはだ迷惑です。
山の中とは比べ物にならない暑さ。激烈です。
振り返り眺める歩いてきた山。
・・・・見えませんね。でも、左の奥の方が比叡山だと思われます。
それにしてもズバンと青空ですね。
叡山電車、修学院駅から帰途につきます。
暑い暑い。夏の山歩きは大変です。
14時07分 出町柳駅
もう帰ります。暑くて苦しい道のりでした。
でも、琵琶湖が少しだけだったけれど、見れたことはとても嬉しく思います。
次回は四国の剣山編、お楽しみに~、たいしたものじゃないけれど。まったね~。