海月美紗のおでかけ日記

おでかけ大好きです
見つけた小さな“happy”を記録していきます

小林和平と狛犬たち

2024年12月25日 | 神社仏閣

小林和平(明治14年1881~昭和41年1966・86歳)

昭和時代、戦前戦後にかけて活躍した石像彫刻家。師匠である小松寅吉の技術を受け継ぎ、狛犬(獅子像)彫刻を芸術として開花させた名工。

明治14年(1881)石川町沢井に小林家の次男として生まれる。

明治26年(1893)頃に小松寅吉布孝(のぶたか)に弟子入り。当時、寅吉は48歳前後。和平は12~13歳。

****************

明治35年(1902)21歳。師匠の寅吉と兄弟子の亀之助は那須塩原の雲照寺に長期滞在、大作・准提観音を彫っていた。留守番をしていた和平は発注を受けた小さな石の社をひとりで仕上げ、「石工 小林和平」と彫って沢井八幡神社に納めた。これが「修行中の身で銘を刻むなどもっての外」と寅吉の逆鱗に触れた。その後、年季明けして独立してからも、和平は師匠・寅吉の存命中に自分の名前を作品に刻むことはなかった。

沢田八幡神社裏の末社 石の社。和平の銘が見られる最初の作品。

****************

明治38年(1905)24歳。長男誕生、年季明けしていないため結婚は許されなかった。

明治40年(1907)長男が2歳で死去。

明治41年(1908)26歳。棚倉町一色の小林ナカと結婚。

明治41年(1908)八幡神社(矢吹町根宿)の先代狛犬(飛翔獅子型)。明らかに寅吉工房のものと思われるが作者銘がない。極めて高度な技術に裏打ちされた端正な造りで、和平の若いときの仕事をうかがわせる。後に吽像が台座から落ちて壊れたため、和平が孫の登を指導しながら吽像だけ造り直している。

明治42年(1909)27歳で年季明け。次男誕生、生後すぐに死去。

明治45年(1912)30歳。長女誕生。

大正2年(1913)寅吉69歳、和平31歳。 長福院の毘沙門天像。銘は「福貴作 小松孝布」。親方を手伝って大半は和平が彫ったと思われる。随身の仁王像一対も和平の作、銘は「和東斎剣石」。

大正4年(1915)師匠・小松寅吉布孝(71歳)没。

大正12年(1923)42歳。八幡神社(矢吹町根宿)の灯籠。独立後、初めて自分の名を彫った作品。

****************

大正15年(1926)44歳。中島村滑津 常瀬山善通寺墓地の地蔵菩薩像。銘なし

****************

昭和2年(1927)1月、45歳。沢井八幡神社裏の尾珠狐。石工名なし

****************

昭和2年(1927)4月、45歳。長女(15歳)死去。

昭和4年(1929)47歳。妻・ナカの姪リンに長男・登が生まれ、リンの夫・實を養子に、登を自分の孫とする。登は後に和平に師事し石工を継ぐ。

****************

昭和5年(1930)48歳。石都都古別神社の狛犬。娘の夭逝という悲劇を乗り越えて彫り上げた、魂のこもった傑作。

デザインは師匠・寅吉が得意とした飛翔獅子を踏襲しながらも、顔や尾の造形に和平の個性が出ている。

顔が平たく愛嬌があるところが、寅吉の獅子像とはかなり違っている。

3頭の子獅子の表情がすばらしい。和平が失った3人の子どもへの愛情が感じられる。

吽像の尾を直線的に処理したところも、寅吉の獅子とは異なっている。和平がもっと違う尾の表現、デザインはないかと模索し始めた頃。

後ろ脚の支え部分には木彫りの意匠を組み合わせ、全体像を破綻なく、豪華に見せるために苦心している。

「石工 小林和平」自分の名前を刻んだ初めての狛犬。

****************

昭和5年(1930)49歳。石川町の稲荷神社社殿と尾珠狐。

昭和6年(1931)49歳。保土原神社(須賀川市)の狛犬。彫りがやや荒く、和平が自分ならではのデザインを作り出そうと苦心していた様子がうかがえる狛犬。

****************

昭和7年(1932)51歳。古殿八幡神社の狛犬。

昭和5年の石都々古和気神社、昭和6年の保土原神社を経て、この噴水が飛び出すような尾のデザインを完成させた。

大きさやデザイン、圧倒的な存在感が格別。和平が追求した石工道が最高の形で結実した傑作。

記銘「石川郡沢田 彫刻師 小林和平」

****************

昭和8年(1933)52歳。羽黒神社(中島村滑津)の狛犬。

和平は一般的な蹲踞型の狛犬も彫っている。和平の中では、蹲踞型の狛犬は「狛犬」、寅吉が始めた飛翔獅子型のものは「獅子像」ということだったらしい。

後ろ脚を蹴り上げた飛翔獅子型の狛犬に比べると一見地味に見えるが、親子獅子がとてもいい顔をしている。

阿像はダンプカーにぶつけられて破損。なんとか修復したが、大震災でさらに大きく破損して、今は台座が残るのみ。和平狛犬の中でいちばん不幸な境遇の狛犬…

****************

昭和9年(1934)53歳。棚倉町一色鐘鋳神社の狛犬。

一色は和平の妻・ナカの故郷。奉納者の中にはナカの父親の名もある。妻の故郷に建立するということで、丁寧に彫り上げたことがよく分かる。

石はやや小ぶりだが、非常に丹念に作られており、味のあるいい作品。

****************

昭和10年(1935)54歳。小野公園(石川町)の仁王像。

昭和12年(1937)55歳。近津神社の飛翔獅子。

昭和13年(1938)56歳。石都都古和気神社の五重塔。

****************

昭和13年(1938)王子八幡神社(石川町)の泉重左衛門像。玉垣、石組みは弟子の遠藤秀一。

****************

昭和13年(1938)56歳。天澤山東禅寺(古殿町山上)の地蔵菩薩像。

****************

昭和14年(1939)57歳。王子八幡神社の狛犬

弟子の遠藤秀一と合作。石工名なし。

この狛犬は遠藤秀一がかなりの部分の仕事をしたのではないか。和平は、弟子の手がかなり入った作品には自分の名前を入れなかったのかもしれない。

****************

昭和14年(1939)57歳。石都都古別神社御仮屋の狛犬

台座製作の大竹俊吉と連名。

****************

昭和15年(1940)58歳。管布称神社(古殿町)の大黒像。

昭和15年(1940)角折神社(白河市東)の狛犬。銘なし。

****************

昭和15年(1940)59歳。羽黒神社(中島村)の馬。

****************

昭和19年(1944)62歳。羽黒神社の灯籠。

****************

昭和22年(1947年)66歳。赤羽八幡神社(石川町)の狛犬。

戦後に建立された赤羽八幡神社の狛犬台座には大きく「平和記念」と彫られている。和平が50~60代に彫った地蔵や大黒像などの顔はみな柔和で、戦争で疲弊した人々の心を少しでも安らかにしたい、和ませたいという思いが伝わってくる。

****************

昭和27年(1952)70歳。諸楽山法性寺(平田村小平)の子安観音像。

昭和30年(1955)妻小林ナカ(77歳)死去。和平73歳。

昭和35年(1960)後妻小林ハル(66歳)死去。和平78歳。

****************

昭和36年(1961)79歳。川辺八幡神社(玉川村川辺)の狛犬(阿像のみ)。

川辺八幡神社には、味原勇という石工が昭和30年に彫った飛翔獅子型の狛犬があったが、阿像が台座から落ちて壊れ、この代替を作ってほしいという依頼が和平のもとにあった。和平はこの依頼を受け、阿像だけを彫った。

和平80歳、この狛犬制作に石工人生の集大成として臨んだ。かつての鬼気迫る和平狛犬に匹敵する素晴らしい出来。顔や全体像がモダンになり、洗練された印象がある。小林和平銘での最後の狛犬。

****************

昭和38年(1963)82歳。八幡神社(矢吹町根宿)の狛犬(吽像のみ。孫の登が作成するのを指導。銘は小林登)

昭和41年(1966)死去(満84歳)

****************

昭和5年の石都々古和気神社、昭和7年の古殿八幡神社、昭和9年の鐘鋳神社の親子獅子は、「和平三大狛犬」と呼ばれる。

和平が彫りあげたものは、どれも表情が優しく、見ているこちらがほっこりとした気持ちになる。個人的には、石都々古和気神社の3頭の子獅子とそれを見守る母獅子の狛犬がいちばん好き。

根宿八幡神社の狛犬と灯籠、長福院の毘沙門天像、保土原神社の狛犬はぜひ見てみたいし、石都々古和気神社の狛犬にはもう一度会ってみたい。

****************

写真は令和6年(2024)11~12月に撮影したもの。和平の写真は wikipedia から、説明の文は「改訂新版 神の鑿 たくきよしみつ」から引用。


小松寅吉と狛犬たち

2024年12月24日 | 神社仏閣

小松寅吉(弘化元年1844~大正4年1915・72歳)

明治時代、福島県内で活躍した石像彫刻家。高遠藩を脱藩して福島に住み着いた石工・小松理兵衛に弟子入りし、理兵衛の長男の養子として小松家に入籍、小松布孝(のぶたか)を襲名した。技巧を凝らした石彫刻作品を多数残し「奇巧の石工」などとも呼ばれる。一番弟子の小松和平とともに、特に、狛犬(獅子像)彫刻を芸術にまで高めた名工として知られている。

寅吉は現石川町山形の高原家の長男として生まれた。しかし、長女が婿養子をとって家督を継いだため、寅吉は近隣の福貴作で石工をしていた小松利平のもとに丁稚奉公へ。

慶応2年(1866)22歳のとき、利平の長男・彦蔵と養子縁組。しかし、戊辰戦争(1868~1869)・神仏分離令(1868)による廃仏毀釈など、明治時代前半は石造文化不毛の時代。寅吉の20~30代は、苦しい修行と波乱の時代に耐える日々。

寅吉は、親方・利平が存命中は自分の名前を彫らなかった。利平は脱藩して身を隠している。親方が自分の名前を刻まないのに、弟子の自分が刻むわけにはいかなかった。

****************

関和神社(泉崎村)の狛犬

明治20年(1887)

寅吉作と推定(銘はない)

阿像・吽像

阿像の肩に牡丹、吽像の足元に子狛

****************

寅吉が作品に名前を彫るようになったのは、利平が没した明治21年(1888)の後。

明治25年寅吉48歳、川田神社に寅吉自身が狛犬を奉納。「我こそ石工・小松家を継いだ小松布孝」と宣言した記念すべきお披露目作。「布孝」は師匠・利平の父親の雅号、「布」の字は小松家の石工である証。

****************

川田神社(中島村)の飛翔獅子

明治25年(1892)

阿像・吽像

台座の記銘「石工小松布孝作之」

****************

川田神社の狛犬が「飛翔獅子」のはじまり。後ろ脚を宙に浮かし、獅子が飛翔しているように彫り上げるスタイル。蹴り上げた後ろ脚を支える部分に牡丹の花をあしらい、全体として違和感がないように見せている。さらに、雨水がたまらないように、重心がかたよらないように隙間を作る工夫も。名工寅吉の名が一気に広まった。

****************

新地山羽黒神社(白河市)の狛犬

明治26年(1893)

阿像・吽像

吽像を見上げる子狛

記銘「福貴作 石工 寅吉作」

灯籠 明治26年(1893)狛犬と同じ年

楽翁公歌碑石柵、内側の逆立ちした獅子

明治30年(1897)の作品、狛犬・灯籠を制作した4年後… 寅吉のプライドをかけた怪作

****************

熊野神社(鮫川村)の飛翔獅子

明治31年(1898)

阿像・吽像

阿像のアップ、吽像と子獅子

阿像・吽像の後ろ姿

台座の記銘「福貴作 石工 小松寅吉」

****************

熊野神社の狛犬はやや小ぶりだが、寅吉が残した3対しかない飛翔獅子のひとつとして貴重な作品。銘は「布孝」ではなく「寅吉」を使用。

****************

鹿島神社(白河市東)の飛翔獅子

明治36年(1903)

阿像・吽像

阿像・吽像のアップ

阿像・吽像の後ろ姿

阿像を見上げる子獅子

記銘「福貴作 石工 小松布孝 敬作」

****************

ねぶたを思わせる豪壮なデザイン。獅子が乗る雲型の台も獅子本体と一体で、ひとつの巨大な石から掘り出されている。寅吉がいちばん脂ののっていた時期に彫り上げた傑作。

****************

鹿島神社の鳥居も寅吉の作品、明治36年(1903)飛翔獅子と同じ年

****************

「木に彫れるものは石にも彫れる。俺は奥州一の石工・小松寅吉だ」という常識破りで負けず嫌いな性格。

寅吉の傑作は数多い。母畑・元湯温泉神社の社殿、玉川村・須釜神社の灯籠、須賀川牡丹園の狛犬・天宇受売命像… まだまだ見たい作品がたくさん。

****************

写真は令和6年(2024)11~12月に撮影したもの。寅吉の写真は wikipedia から、説明の文は「改訂新版 神の鑿 たくきよしみつ」から引用。


12月21日(土)来年は巳年、金蛇水神社へ

2024年12月21日 | 神社仏閣

あと十日もすれば新年、時間が過ぎるのって早い! 来年は巳年。玄関に飾る置物を準備しなくちゃ!

金蛇水神社

主催神:金蛇大神(水速女命・みずはのめのかみ)

相殿神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)

誰かが「あっ、梅の花!」って言ってたけど、これは四季桜、鳥居の脇に咲いてる。

松の木に雪吊りがていねいに施されてる、縄が梅の花に結ばれててオシャレ! 牡丹も来年が楽しみ!

花手水、前に来たときもきれいだったから、きっと一年中いろんな花が浮かべられてるんだ…

あまりにもリアルで… 財布で撫でるなんて無理… でも、お金持ちにはならなくてもいいから来年一年を平和に過ごさせてほしい 

黄金塩の柚子ラーメン(上)と黄金塩鶏ラーメン(下)  柚子は邪気を払う果物

ごおって音がすると思ったら、すぐそこの空を飛行機が…  仙台空港を出発してどこへ飛んでいくんだろう。

来年は私も飛び立ちたいなぁ…


12月19日(木)双葉郡のちょっと変わった狛犬たち

2024年12月19日 | 神社仏閣

双葉郡にはちょっと変わった狛犬たちがいるという。いつ、誰がつくったか分からないらしい狛犬も多いらしい。

****************

白旗神社(双葉郡浪江町)

御祭神:不明

阿像は牙もするどくて凜々しいけど、吽像は狛犬というより、お猿さん?  目がくりくり、ニコッとしてて可愛い…

***************

四十八社山神社(双葉郡富岡町)

御祭神:大綿津見命ほか四七柱

狛犬というより、完璧に「犬」! 「安産守護神」というプレートが付いてるから間違いない…

左側の愛嬌のある犬はともかく、右側の犬はかなり古いものかもしれない。石が独特、割れやすそうで心配…

****************

木戸八幡神社(双葉郡楢葉町)

御祭神:品蛇和気命(ほんだわけのみこと)

手前の黒っぽい灯籠には「天明4年(1784)…」と刻まれている

新しい狛犬も一対いるが、古い狛犬たちの方にどうしても目が行く。安永3年(1774)の作品とか。250年前!?

****************

楢葉八幡神社(双葉郡広野町)

御祭神:品蛇和気命(ほんだわけのみこと)

石工:鈴木次郎兵衛

建立年:明治30年(1897)

狛犬というより、やっぱりお猿さんか…  人間っぽくみえるのはなぜだろう…

 

たくさんの狛犬たちを見て来た。みんな個性的で素晴らしいけど、新しいよりは古いの方が味わい深いものが多い。

神社めぐりは社殿・本殿はもちろん、鳥居や狛犬、灯籠、御神木… 見どころ満載! それぞれの神社の歴史も興味深いし…   今度はどこを巡ろうか…

 

 


12月15日(日)棚倉・馬場都々古別神社

2024年12月18日 | 神社仏閣

棚倉町には都々古別神社が二社鎮座している。馬場都々古別神社はそのうちの一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮"にあたる。

一の鳥居

馬場都々古別神社が初めて歴史書に見られるのは、承和7年(840)の「日本後紀」。

二の鳥居

かつて日本武尊が白河の鉾建山に鉾を祭り、のちに坂上田村麻呂が近世の棚倉城の地に社を移したとされる。

随身門

平安時代に編纂された「延喜式」にも記載され、陸奥一宮として崇拝されてきた古社。

「陸奥國一宮」

寛永元年(1624年)棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため、現在の地に神社を遷宮した。

境内には樹齢数百年の古木が茂る。

三の鳥居 

明治6年(1873)に国幣中社「都々古別神社」となる。国幣中社とは、明治期から第二次世界大戦終結まで使われていた日本の神社の社格。福島県では他に、八槻都々古別神社、伊佐須美神社など。

向拝一間に唐破風を持つ拝殿

御祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)と日本武尊

本殿は文禄3年(1594)に佐竹義宣が造営、現在地へ遷された際にも規模や形式をほとんど変えていない。形式は本格的な三間社流造だが、彫刻などを用いずに簡素なつくり。東北地方において数少ない桃山期の本殿建築として高い価値をもち、国の重要文化財に指定されている。

境内には摂社・末社がたくさん

東照宮(江戸中期)と歴代藩主寄進の石灯篭

日枝神社・熊野神社

神明宮・鹿島神社

厳島神社・稲荷神社

甲山神社・寅卯神社

見上げるほど大きな桜や銀杏、紅葉の木。きっと夏は緑が深く、春や秋は彩り鮮やか。他にも杉や檜の大木がたくさんあって、境内に足を踏み入れた途端に厳かな空気に包まれる。

棚倉城跡の大ケヤキ

樹齢は約650年。神社は遷宮されたが、近津明神(現 馬場都々古別神社)の御神木だったこのケヤキは、形が優れていたために残されたという。

ケヤキ?と驚くほどゴツゴツした木肌。何百年もの間、静かに歴史の流れを見守ってきたのだろう。棚倉城跡は桜や紅葉がきれいだというから、その頃にまた訪れたいと思う。それとも夏? 葉をいっぱいに繁らせた大ケヤキに会いたい。