こないだ肉丸とアニメきっかけで
たこしの話になった。
「なった」と言うよりは、
あたしが「した」んだけど。
肉丸は、たこしと面識ないし、
保育園も小学校も中学も違う。
そんなこんな話してて、
「お前、もし今、彼に会えたらなんて言いたい?」
って言われた。
自分の中で、
「もし死後の世界があったとして、
たこしに会ったらアタシは老けすぎてて分かってもらえないだろうなー」
って思ったことはあったし、そんなことをここにも書いた。
でも、それ以上の「if」って考えたことがなかった。
あたしは無宗教なので、
特定の観念を持っていない。
死後の世界があるとは思ってなくて、
死んだら「ただ全てが消えるだけ」と思っている。
あたしが今死んだら、
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんに会えるのかな?
そんな世界があるとしたら、
どんな感じなのかわかんないけど
そりゃ会いたいよ。
でもだ。
なんか、そういう世界があると思えないんだわな。
無宗教だからなのか?
ま、そこは人それぞれ自由だから。
ここ数年、
おばあちゃんから譲り受けたOMEGAの腕時計は、あたしが死んだ後はどうなるのかな…と思ってて。
あたしには子供がいないので
いよいよアタシの余命がヤバイとなったときは、イトコの娘さんに譲ろうと思っている。
(女物の腕時計だから女の子に。)
話が逸れすぎた💧
今、たこしに会ったら…
えーーー(@_@)えーーーー(@_@)
現実的に、
会える会えないは別として
真剣に考えちゃった。
即答出来なかったし、
あれから数日経った今も考え中だ。
死後の世界は基本的に≪ない≫と思ってるから、
会えるかどうかの確信もないし、希望を抱いてるわけじゃないけど、、、
もしも会えたら、
「なんで?」「どうして?」
とは聞きたくない。
それからの残された家族のことを知ってるから
「バカーーー!!!」って言いたいような気もするし、
でも余程の決意のことだから
「バカーーーー!!!」と言っていいものか分からない。
保育園、小学校、中学校が一緒だったからといって、
保育園と小学校以外は、
クラスも違ったし、ずっと仲が良かったわけじゃない。
でも、あたしは恋とかそういうのじゃなくて、好きだったんだよね。
人間的に。
小学生の頃、
自分の小学校で町民大会が開催される時があって、
あたしは何の種目でも選出されず
当日選出されていたT代ちゃんの応援で、学校まで行ったんだ。
あたしは出場するわけじゃないし、
暇だし、
校舎内をウロウロしてたら
たこしに会って…(笑)
なんかよくわかんない餡ころ餅食べたような気がする😆
それは、お正月の何かだったっけ??
肉丸と話していて
「アタシ、たこしが亡くなってから今まで、1年のうちで100日はたこしのこと思い出してる」
って言ったら、
「そんなに?!(@_@)」
と驚かれたけど、
やっぱりアタシの中で
「なんで?!」っていうのが大きいからなのかな?
「なんで?」っていう視点じゃなくても、
小学生の頃のこととか
それこそ、焼そばとか、伊賀のカバ丸とかタコハイのタコの絵とかさ。
思い出スイッチは沢山あるんですよ。
小学生の頃のお習字教室とかさー(笑)
お習字教室のうちらなんて、
典型的な≪昭和の小学生≫(T▽T)
皆ふざけてたし、
終わった後、土管みたいなので遊んでたし😆
↑古い方の習字小屋の横ね。
前にも書いたけど、
あめ玉舐めながら習字してたら
たこしに「どうした??頬っぺた腫れてるじゃないか?!虫歯か?!歯医者行けよ!!」って凄く心配されたこと。
↑その勢いに圧倒されて
「飴玉舐めてる」ってホントのこと言えなかった(*_*)
思い出は、
空き地の土管で遊んだことや、
小学校のグラウンドでキャンプした夜のこと。
じーちゃんと町へ行った話を黒板に書いて解説してた放課後のこと。
卒業生インタビューのこと。
6年生の修学旅行の集合写真、
お財布をなくして泣いてて
下を向いて写ってること。
中学の班分けで一緒になって、
N尾がNちゃに女子トイレの汚物入れの掃除を押し付けて、「この班は大変な騒ぎになった!僕はもう嫌です!」と班ノートで先生に訴えてたことw。
中2のとき、席が前後で
朝の「数学1問!」みたいなやつ
毎日教えて貰ってたこと…。
そんなに仲良かったわけじゃないけど
こんなことになる前に、
なにか出来なかったかな?
ってずっと思ってたところがあって…。
もう、完全に「今さら」なんだけど。
最近、たこしのお母さんが
会話の中で何度もたこしの名前を出してるのを聞いて、
なんともいえない気持ちになった。
当たり前だけど、何十年経とうとも
変わらないのだ。
こないだあたしが
たこしのお母さんの前に顔を出せなかったのは、同級生だということの漠然とした罪悪感からなんだろうか?
もし会えたら何て言うか…
きっと
「わーーーー!!!!」
とか
「ちょっとーーーーーー!!!」
って号泣しちゃうんじゃないかと思う(笑)
思い出すことが一番の供養っていうように、
あたしも死ぬまで思い出してやるぞ!と思ってる。
同級生で一番に亡くなってしまったということと、
病気や事故じゃなかったということが
「なんで?」「どうして?」「もし…」って色んなこと考えちゃうからなんだろうな。
たこしの話になった。
「なった」と言うよりは、
あたしが「した」んだけど。
肉丸は、たこしと面識ないし、
保育園も小学校も中学も違う。
そんなこんな話してて、
「お前、もし今、彼に会えたらなんて言いたい?」
って言われた。
自分の中で、
「もし死後の世界があったとして、
たこしに会ったらアタシは老けすぎてて分かってもらえないだろうなー」
って思ったことはあったし、そんなことをここにも書いた。
でも、それ以上の「if」って考えたことがなかった。
あたしは無宗教なので、
特定の観念を持っていない。
死後の世界があるとは思ってなくて、
死んだら「ただ全てが消えるだけ」と思っている。
あたしが今死んだら、
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんに会えるのかな?
そんな世界があるとしたら、
どんな感じなのかわかんないけど
そりゃ会いたいよ。
でもだ。
なんか、そういう世界があると思えないんだわな。
無宗教だからなのか?
ま、そこは人それぞれ自由だから。
ここ数年、
おばあちゃんから譲り受けたOMEGAの腕時計は、あたしが死んだ後はどうなるのかな…と思ってて。
あたしには子供がいないので
いよいよアタシの余命がヤバイとなったときは、イトコの娘さんに譲ろうと思っている。
(女物の腕時計だから女の子に。)
話が逸れすぎた💧
今、たこしに会ったら…
えーーー(@_@)えーーーー(@_@)
現実的に、
会える会えないは別として
真剣に考えちゃった。
即答出来なかったし、
あれから数日経った今も考え中だ。
死後の世界は基本的に≪ない≫と思ってるから、
会えるかどうかの確信もないし、希望を抱いてるわけじゃないけど、、、
もしも会えたら、
「なんで?」「どうして?」
とは聞きたくない。
それからの残された家族のことを知ってるから
「バカーーー!!!」って言いたいような気もするし、
でも余程の決意のことだから
「バカーーーー!!!」と言っていいものか分からない。
保育園、小学校、中学校が一緒だったからといって、
保育園と小学校以外は、
クラスも違ったし、ずっと仲が良かったわけじゃない。
でも、あたしは恋とかそういうのじゃなくて、好きだったんだよね。
人間的に。
小学生の頃、
自分の小学校で町民大会が開催される時があって、
あたしは何の種目でも選出されず
当日選出されていたT代ちゃんの応援で、学校まで行ったんだ。
あたしは出場するわけじゃないし、
暇だし、
校舎内をウロウロしてたら
たこしに会って…(笑)
なんかよくわかんない餡ころ餅食べたような気がする😆
それは、お正月の何かだったっけ??
肉丸と話していて
「アタシ、たこしが亡くなってから今まで、1年のうちで100日はたこしのこと思い出してる」
って言ったら、
「そんなに?!(@_@)」
と驚かれたけど、
やっぱりアタシの中で
「なんで?!」っていうのが大きいからなのかな?
「なんで?」っていう視点じゃなくても、
小学生の頃のこととか
それこそ、焼そばとか、伊賀のカバ丸とかタコハイのタコの絵とかさ。
思い出スイッチは沢山あるんですよ。
小学生の頃のお習字教室とかさー(笑)
お習字教室のうちらなんて、
典型的な≪昭和の小学生≫(T▽T)
皆ふざけてたし、
終わった後、土管みたいなので遊んでたし😆
↑古い方の習字小屋の横ね。
前にも書いたけど、
あめ玉舐めながら習字してたら
たこしに「どうした??頬っぺた腫れてるじゃないか?!虫歯か?!歯医者行けよ!!」って凄く心配されたこと。
↑その勢いに圧倒されて
「飴玉舐めてる」ってホントのこと言えなかった(*_*)
思い出は、
空き地の土管で遊んだことや、
小学校のグラウンドでキャンプした夜のこと。
じーちゃんと町へ行った話を黒板に書いて解説してた放課後のこと。
卒業生インタビューのこと。
6年生の修学旅行の集合写真、
お財布をなくして泣いてて
下を向いて写ってること。
中学の班分けで一緒になって、
N尾がNちゃに女子トイレの汚物入れの掃除を押し付けて、「この班は大変な騒ぎになった!僕はもう嫌です!」と班ノートで先生に訴えてたことw。
中2のとき、席が前後で
朝の「数学1問!」みたいなやつ
毎日教えて貰ってたこと…。
そんなに仲良かったわけじゃないけど
こんなことになる前に、
なにか出来なかったかな?
ってずっと思ってたところがあって…。
もう、完全に「今さら」なんだけど。
最近、たこしのお母さんが
会話の中で何度もたこしの名前を出してるのを聞いて、
なんともいえない気持ちになった。
当たり前だけど、何十年経とうとも
変わらないのだ。
こないだあたしが
たこしのお母さんの前に顔を出せなかったのは、同級生だということの漠然とした罪悪感からなんだろうか?
もし会えたら何て言うか…
きっと
「わーーーー!!!!」
とか
「ちょっとーーーーーー!!!」
って号泣しちゃうんじゃないかと思う(笑)
思い出すことが一番の供養っていうように、
あたしも死ぬまで思い出してやるぞ!と思ってる。
同級生で一番に亡くなってしまったということと、
病気や事故じゃなかったということが
「なんで?」「どうして?」「もし…」って色んなこと考えちゃうからなんだろうな。