どうしても気になっていたところを模様替えしたくて、椅子に座って作業していた。
しかしネジを揉もうとドライバーを持つも、手が震えてドライバーの先がネジ穴に入らない。
イラッとして情けなく、諦めた。
すると、貸していたDVDとBlu-rayを返しがてら「投げちゃん」がご機嫌伺いに来てくれた。
リハビリに彼女といろいろ話していて、口がワナワナしかけたこともあったが概ね言葉もよく出て、やはりムスメと気兼ねなくおしゃべりするのはいいトレーニングになると思った。
ご飯も一緒に食べて、手がブルブル震えてこぼしまくるのを目の当たりにされて、アラアラって顔もされたりしたが、嬉しかった。
楽しく会話すれば口が固まってしまう現象も少しはマシになるということがわかって、ちょっとだけ自信が持てた。
ありがとう「投げちゃん」、お世話になりました。
そして本日、退院後はじめてのクリニックへ。
まだ駅まで歩いて行けないし、電車に乗るのは危険だから、今回も「ちち」にタクシーで迎えに来てもらい、快適にクリニックまで連れていってもらった。
採血・採尿の結果腎臓の機能は問題なく、免疫抑制剤も病院で変更になったものをそのまま継続することになった。
しかし炎症の数値CRPは依然として2.42もあり、アミラーゼ・リパーゼも3桁台で横ばい、脱水と貧血がまだあるので貧血の注射をヒジに打つことになった。
その注射をされているときに目眩がし、体が傾いてくるのを自覚したが、そのまま意識が途絶えた。
あとでかあちゃんに聞いたところによると、注射を打たれていると徐々に前かがみになっていき、看護師たちが慌てて倒れる寸前で抱き起こし、4人がかりでベッドへ寝かせたということだ。
べッドに寝かされてから「ここはどこ?ワタシはダレ?」状態で気がつき、点滴のカフが巻かれパルスオキシメーターが付けられ、点滴が打たれていた。
聞けば血圧が76に下がっていたという。
もう2度もクリニックで気を失っている要注意患者になっちまった・・・。
1時間あまりの点滴でようやく立ち上がれるようになり、もはや午前の診療が終わって患者は一人もいない、看護師もお昼で数人しかいなくなり、担当医も女子医大の方へ戻っていった。
11時の診察から2時間が過ぎて、抗生剤の処方をしてもらいクリニックを出た。
こんな状態では帰りもタクシーしかあるまいと「ちち」に連絡したら、うまい具合に20分ぐらいで来られるというので日なたで待って車に乗り込んだ。
少し自信を持ちかけたのがアッサリと消し飛んでしまった。
ショックだ。
まだぜんぜん体力も体調もマシになんかなっていなかった。
クリニックの主みたいいな看護師のオバちゃんに、オフクロが説教するように諭された。
曰く、動くな、焦るな、奥さんからもらった腎臓をいたわれ、と。
一言もない。
これほど痛めつけられ思い知ったのに、反省し悔改めようと決意していたつもりなのに、まだ己を過信していた。
何かをやるには時期尚早、生半可に動いたところで決していい結果にはならない、今度こそ肝に銘じるべきだ。
落ち込んでもしょうがない、自分で招いた結果なのだ、休むときは徹底的に余計なことを考えずに休む、これしかないと本当に、本当に思い知った。
今月中は、しっかり休んで養生して、身の丈にあったリハビリを自宅でする。
応援してくれるみんなを裏切るような振る舞いは厳に慎む。
自分をもっと慰る、かあちゃんに感謝する、みんなに感謝する、近い将来の再起のために。
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