お好み夜話-Ver2

六本木1977

19歳の頃から六本木に出入りしていた。

はじめは千住の四畳半のアパートから電車で、それから友だちふたりと横浜の江田に一軒家を借りて、ホンダCB360をかっ飛ばして。

六本木の交差点からすぐのビルの二階、「長者の子」という関西風のお好み焼屋でバイトするために。

40年も経ったいま、そのビルはすっかりくすんで面影もなく、交差点からの道すがらもケバブ屋やインド料理店など当時とはまるで様変わりしていた。

今やディスコ通いの行列もなく、長らく放置されていた隣りの世田谷信用金庫も取り壊され工事が始まっていた。

当時、休憩時間になると世田谷信用金庫の前に出ていた手相見の「ケンさん」に、いろいろこの街のことを教えてもらったものだ。


二十歳を過ぎて、店のオーナーから正社員にならないかと声をかけてもらい、ちょうど「黒澤明」の「影武者」のオーディションやシナリオのコンクールに落ちたところで、一軒家で暮らしていた友だちもそれぞれ別の道へ進むことになり、この際、寮としてマンションの一室もあるとのことで、渡りに船で最初の就職をした。

六本木住まいになると、早朝3時に店がはねた後食事がてら交差点を渡り外苑東通りを赤坂方面へ。

かつて防衛庁の高い塀があり公衆便所があった傍におでん屋のおいちゃんの屋台が出ていて、そこへ夜な夜な通いつめたものだ。

そのへんの話しは何度かこのブログでも書いているので詳しくは書かないが、今やすっかりこちらも跡形もなく、お洒落な近寄りがたいミッドタウンなどという高層ビルが建っている。

赤坂と六本木の境の角のビルの地下には「水曜日の朝」という大人のサパークラブがあって、素敵な髭を蓄えたマスターがおられた。

いつかいっぱしの大人になったらあのマスターみたいな髭を生やして、いいお酒の飲める店に通いたい、なんて思ったいた。

それがどうだ、髭こそ少しばかり生えたが素敵なお店に出入りすることなく飲んだくれて、いつの間にかジジイ🙄


この交差点を赤坂方面へは行かず、裏道を進みかつてお屋敷だった公園を過ぎて少し行くと、まだありました六本木コーポ‼

この505号室に4年ほど暮らし、かあちゃんと所帯を持ったのだ。

感慨深いものが込み上げてくるが、もはや六本木で知る人もなく、とても居心地のいい街でもなくなってしまった。

昔の六本木が良かったなどと感傷にひたるジジイは、この街からっとと立ち去るがいいのだ。

がしかし、お勤め人時代の仲間がオヤジの還暦を祝ってくれるというので、調子にのって「料理屋 三船」をリクエストしてしまったのだ。

今宵「男は黙ってサッポロビール」なのだ👍

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