わたしは近代史・現代史は全滅である。
なので、これが何を書いた話なのか最初はなかなかわからなかった。
戦争中のハンガリーの状況がどうなのか知らない。
そもそもどの戦争中のことなのか、読み飛ばしていてわからない。
ユダヤ人資産管理委員会ということはナチスドイツか。
その中で主役たちはどういう立場に立っている?
……ということがようやく総合的にわかってくるのが70ページ前後。
それまではもやっとした状態で読んでいて。
でも佐藤亜紀だからね。ちゃんとしたところに連れて行ってくれると信頼していて、
あなた任せで読み続けていた。
判る時に判ればいいと。
それはそれで、ミステリツアーに参加している時のような楽しさがありましたな。
ここのところ、佐藤亜紀は初心者にも親切な書きぶりの作品が続いたから
(「スウィングしなけりゃ意味がない」「吸血鬼」など)忘れていたが、
元々「ついてこられる奴だけついてこい」的なところはあった。
久しぶりの不親切な書きぶり。そうだったそうだった。思い出した。
この話はどういう話かというと、
ナチスドイツといやいや同盟を結んでいるハンガリーが、
その意に従ってユダヤ人を迫害し、その没収した巨大な資産を、
一本の長大な列車に積んで(44両!)、どこだかに届けるという任務を書いた話。
いや、任務自体ではなく、その任務に立ちふさがる様々な困難に官僚たちが
どういう風にのらくらと対応するかの話。
主役は官僚のバログ。間違ってもヒーローではない。
しょぼくれた中年男だし、妻を自殺によって失い、ユダヤ系の親友も失っている。
任務に命をかけているわけでもない。
ユダヤ人の資産はどう考えても非人道的な行動の結果集められたものだし、
忌避する気持ちが強い。が、官僚は国の決めたことには従うしかない。
しかしその国はドイツが負けたことで存続が危うくなっており、
国の官僚として今後も生きていけるのか、それとも新政権が誕生して
官僚としての身分を失うのかも不分明。
ドイツ軍は敵か味方か。では敗残ドイツ兵は敵か味方か。
オーストリアの鉄道局は敵か味方か。地元の山賊は敵か味方か。
どこまでも流動的な状況の中で、自分たちを守りつつ、列車に載せている人を
ある程度守りつつ、積み荷をある程度守りつつ、
“官僚的に”身を処していく何人かの人々。
これが「使命感にかられて」とか「絶対に生き延びるために」という
暑っ苦しいスタンスじゃないところがこの小説の独自性。
バログはおそらく死んだっていいと思っているだろうし、
アヴァルは死ぬかもしれないと覚悟はしている。
ミンゴヴィッツは死なないようにうまくやるだろうが――間違うと死ぬ。
みんな、行くところまで行く――出来る程度までは。と思っていて、
出来ることがなくなったら諦めようという腹が出来ている。
それが死であろうと投降であろうと逃亡であろうと。
その決着がつくまでの彼らの武器は、その官僚根性である。
上からの理不尽な命令にも官僚的に対応し、下からの脅迫にも官僚的に
のらりくらりとかわす。時々規則やぶりにも目をつぶる。
そのやり方が面白かった。
非常事態下の官僚というのは非常に脆弱に書かれることが多い気がする。
軍隊が強者で官僚が弱者。
が、ここでは「書面での命令がなければできません」ときっぱり言い切る。
その後「もちろん書面での命令があればすぐ対応いたします」ということも忘れない。
反抗ではないのだからコワモテのお偉方も暴力的に従わせることにはためらう。
そのためらいはほんとに紙一重のところなのだけれど、
そこを官僚としての自信――はったりと、どうなろうと知ったことかという諦め――
で乗り切る。
終始バログたちが状況に対して余裕を持っているのが読んでいて気持ち良かった。
それは諦めから来る余裕なんだけど。
命にこだわれば余裕なんて欠片もないはずなんですよ。
出所の怪しいお宝を山ほど積んで、ならず者から上役の家族まで様々な人を積んで。
目的地さえ定かじゃないんだから。ましてや敗戦時の混乱のなか。
食料も燃料も足りない。
このプレッシャーのなさはだいぶ甘く書いてたなと思ったけど。
100人がとこ人がいて、何日も旅をしていたらもっと食料も不足していただろうし、
金目のものを積んでいたならもっと盗難に気を使う必要があるはず。
が、佐藤亜紀はこの「官僚性の優越」(あるいは官僚性の優越の幻想)を
書きたかったんだろうから、あまりここらへん、シビアに書くこともない。
ただ、エンディングがねえ。
わたし、赤毛の意味がわからなかったんだよね。
赤毛ってだれ?あの終わり方はどういう意味?
親友の息子かと思ったんだけど、別れて数年だったら顔も見分けられないほどには
ならないだろうし。赤毛って記述もたしかなかったしね。
ここがわからないと、この本を読んだことには全然ならないんだろうが。
わからなかった。
佐藤亜紀はとりあえずここまで。読むリストの最後尾に回す。
次に読むのはおそらく8年後くらいだろうが、出来ればその時までに
既刊が5、6冊溜まってて欲しいものだね。
作風的に多作にはなれなかろうが、出来ればいっぱい読みたいですよ。
なので、これが何を書いた話なのか最初はなかなかわからなかった。
戦争中のハンガリーの状況がどうなのか知らない。
そもそもどの戦争中のことなのか、読み飛ばしていてわからない。
ユダヤ人資産管理委員会ということはナチスドイツか。
その中で主役たちはどういう立場に立っている?
……ということがようやく総合的にわかってくるのが70ページ前後。
それまではもやっとした状態で読んでいて。
でも佐藤亜紀だからね。ちゃんとしたところに連れて行ってくれると信頼していて、
あなた任せで読み続けていた。
判る時に判ればいいと。
それはそれで、ミステリツアーに参加している時のような楽しさがありましたな。
ここのところ、佐藤亜紀は初心者にも親切な書きぶりの作品が続いたから
(「スウィングしなけりゃ意味がない」「吸血鬼」など)忘れていたが、
元々「ついてこられる奴だけついてこい」的なところはあった。
久しぶりの不親切な書きぶり。そうだったそうだった。思い出した。
この話はどういう話かというと、
ナチスドイツといやいや同盟を結んでいるハンガリーが、
その意に従ってユダヤ人を迫害し、その没収した巨大な資産を、
一本の長大な列車に積んで(44両!)、どこだかに届けるという任務を書いた話。
いや、任務自体ではなく、その任務に立ちふさがる様々な困難に官僚たちが
どういう風にのらくらと対応するかの話。
主役は官僚のバログ。間違ってもヒーローではない。
しょぼくれた中年男だし、妻を自殺によって失い、ユダヤ系の親友も失っている。
任務に命をかけているわけでもない。
ユダヤ人の資産はどう考えても非人道的な行動の結果集められたものだし、
忌避する気持ちが強い。が、官僚は国の決めたことには従うしかない。
しかしその国はドイツが負けたことで存続が危うくなっており、
国の官僚として今後も生きていけるのか、それとも新政権が誕生して
官僚としての身分を失うのかも不分明。
ドイツ軍は敵か味方か。では敗残ドイツ兵は敵か味方か。
オーストリアの鉄道局は敵か味方か。地元の山賊は敵か味方か。
どこまでも流動的な状況の中で、自分たちを守りつつ、列車に載せている人を
ある程度守りつつ、積み荷をある程度守りつつ、
“官僚的に”身を処していく何人かの人々。
これが「使命感にかられて」とか「絶対に生き延びるために」という
暑っ苦しいスタンスじゃないところがこの小説の独自性。
バログはおそらく死んだっていいと思っているだろうし、
アヴァルは死ぬかもしれないと覚悟はしている。
ミンゴヴィッツは死なないようにうまくやるだろうが――間違うと死ぬ。
みんな、行くところまで行く――出来る程度までは。と思っていて、
出来ることがなくなったら諦めようという腹が出来ている。
それが死であろうと投降であろうと逃亡であろうと。
その決着がつくまでの彼らの武器は、その官僚根性である。
上からの理不尽な命令にも官僚的に対応し、下からの脅迫にも官僚的に
のらりくらりとかわす。時々規則やぶりにも目をつぶる。
そのやり方が面白かった。
非常事態下の官僚というのは非常に脆弱に書かれることが多い気がする。
軍隊が強者で官僚が弱者。
が、ここでは「書面での命令がなければできません」ときっぱり言い切る。
その後「もちろん書面での命令があればすぐ対応いたします」ということも忘れない。
反抗ではないのだからコワモテのお偉方も暴力的に従わせることにはためらう。
そのためらいはほんとに紙一重のところなのだけれど、
そこを官僚としての自信――はったりと、どうなろうと知ったことかという諦め――
で乗り切る。
終始バログたちが状況に対して余裕を持っているのが読んでいて気持ち良かった。
それは諦めから来る余裕なんだけど。
命にこだわれば余裕なんて欠片もないはずなんですよ。
出所の怪しいお宝を山ほど積んで、ならず者から上役の家族まで様々な人を積んで。
目的地さえ定かじゃないんだから。ましてや敗戦時の混乱のなか。
食料も燃料も足りない。
このプレッシャーのなさはだいぶ甘く書いてたなと思ったけど。
100人がとこ人がいて、何日も旅をしていたらもっと食料も不足していただろうし、
金目のものを積んでいたならもっと盗難に気を使う必要があるはず。
が、佐藤亜紀はこの「官僚性の優越」(あるいは官僚性の優越の幻想)を
書きたかったんだろうから、あまりここらへん、シビアに書くこともない。
ただ、エンディングがねえ。
わたし、赤毛の意味がわからなかったんだよね。
赤毛ってだれ?あの終わり方はどういう意味?
親友の息子かと思ったんだけど、別れて数年だったら顔も見分けられないほどには
ならないだろうし。赤毛って記述もたしかなかったしね。
ここがわからないと、この本を読んだことには全然ならないんだろうが。
わからなかった。
佐藤亜紀はとりあえずここまで。読むリストの最後尾に回す。
次に読むのはおそらく8年後くらいだろうが、出来ればその時までに
既刊が5、6冊溜まってて欲しいものだね。
作風的に多作にはなれなかろうが、出来ればいっぱい読みたいですよ。
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