宮城県美術館で開催中。……が、間もなく終わる。11月13日まで。
ちゃんと前売券も買って、なるべく早く、押せ押せになる前に行こうと思っていたのに、
けっこうぎりぎりに行くわたし。そんなに忙しいわけはないんだが。どうしてこうなる。
混み具合は駐車場が何とか停められる程度で、平日でこれなら、土日ならばかなり混むんだろう。
まあ東京のアホみたいなエキシビの混み具合を比べたら静かなもんですけどね。
欲を言えばもう少し空いたところで見たかった。夕方行けば良かったかな。
大物が来ているわけではないけれども、並べられたほとんどの作品が佳品。見て本物感がある。
エキシビのあらまほしき姿。満足。
今回の発見はシニャック。
シニャックだって相当ポピュラーな画家だ。モネ、ルノワール、ゴッホには及ばぬながら、
持っている美術館は麗々しく飾る。相当あちこちで見た画家。
個人的な経験では、小学校の図画工作の時間に、シニャックの何だかって絵を模写した記憶もある。
(3人の有名画家の中から1枚を選ぶことになっていて、シニャックを選んだのは簡単そうだったから(^^;))
――で、シニャックといえば「筆触分割」。
筆触分割とは、……まあもっともらしい説明がネット上でも各所で読めるけど、これというシンプルな文章が
見つけられなかったので、各自調べて下さい。
簡単に言えば、色を混ぜずにそのまま使う。混ぜないことで色が濁らず、純色を点描で重ねることで色の透明感を損ねることなく
どんな色でも表せる。とした技法。
そんな説明が強固に先にあったものだから、ずーっとそういう、いわば頭で見ていた。意識せずに頭で見ていた。
だが今回の「フリシンゲン湾」を見て、初めて感動した。
なんてきれいな海なんだろう!
小品で、構図は単純至極。下半分は海で、上半分は陸地。多分ヨットとかがずらりと並ぶ湾の風景。
上が紫系、下が緑系で、多少黄色やオレンジが入るとはいえ、色使いも大変シンプル。
しかしだからこそ、今回初めて色の美しさに気づけたのかもしれない。
近くに寄ると、他の点描派と比べて大き目のシニャックの点描が、一つ一つ宝石に見える。
いろんなバリエーションの緑が、澄んだ緑が、敷き詰められた宝石箱のよう。
油絵だからね。光を斜めから当てると艶がきらきらして本当にきれい。
絵としてというより、色として。美しい色。
シニャックは、もしかして単に、本当にシンプルに、この美しい色を置きたかったんじゃないのかなあ。
いわば塗り絵的な感覚。描かれた結果を求めたというよりは、この美しい色に触っていたい。
絵具を愛し、その絵具で何かをしたいという衝動があって、それが風景画なりの形をとったのではないか。
絵を描かないわたしが、色鉛筆を集めた時期がある。そういう「色への偏愛」が根底にあるのではないか。
この絵は行きつ戻りつしながら何度か見た。
こういう絵なら家に置きたい。色も構図もほとんど全く芸を感じないが、ひたすらな色の美しさで。
シニャックの絵はもう一つ来ていて、「オーセールの橋」というの。
こちらの方が、よりスタンダードなシニャック。色数豊富で、補色対比というようにピンク、黄色、紫などを多用。
しかし一つ一つを見れば、やはり色としてきれいだね。今まで点一個の色を意識してシニャックを見たことがなかった。
見方が劇的に変わった。コペルニクス的転回。……というのはオオゲサだが、まあ90度くらい。
次に印象が深いのは、やっぱりモネだろうか。
モネももちろんやたらとあちこちで見るけれど……好きな画家。
ついこないだも大山崎山荘美術館で見てきたばかり。いい方の「睡蓮」がたしか2枚くらいあった。
今回来た「睡蓮」は1枚だけで、それも好印象に繋がっている。
「睡蓮」は数がありすぎてねー。玉石混交。それをモネの「睡蓮」というだけで(持ってる方は)有難がるので……食傷する。
ダメな「睡蓮」はダメなのだ!「睡蓮」というだけで鉦を鳴らしてはいかん!
5枚来ていたモネのうち、大変気に入ったのは「ジヴェルニーの積みわら」。
正直、積みわらモチーフも相当数があると思うが……この絵では、積みわら自体より、その背景の立ち木に惹かれた。
防風林なんですかね?白い雲を背景に、ひょろひょろした木が横一線に並んでいる。
わりあいに枝葉がまばらな……しかし至近距離に近づいてよく見ると、緑をずいぶん重ねた上に背景の白い雲と同じ白を
緑に重ねて置いてまばらな感じに戻している。
この辺は実物を見てこそわかる部分。一応発見した部類。
しかしそれが最初から緑をまばらに置いたものと、どう効果の違いがあるかは不明……
まあ木に立体感が出ますかね?そうでもないですかね?
ルノワールとセザンヌも何枚かずつ来ていて、佳品ではあったが、わたしはそこまで好きじゃないので割愛。
ルノワールは若いころの青系の絵は好きなんだけれども、暖色系でもやもやっと書くようになってからは好きじゃない。
セザンヌはあまりに理性を感じさせてそもそも苦手。
ピサロは2枚。ピサロは好き。「エヌリー街道の眺め」は緑が大変にきれい。牧草地で草を刈る農夫。
相当細い筆で根気良く色を入れている。これも家に飾りたい。
ルドンが今回ちょっと気にかかった。ごくたまに見る画家ではあるけれど、せいぜい1ヶ所に1枚か2枚な気がする。
今回は大枚4枚。この人、1枚の絵としてはほとんどヒドイといいたいくらい美しくないのだが、
その美しくない絵から詩情が漂うんだよなー。なんですかね、これは。
例えていえば不美人から漂う、えも言われぬ芳香。
4枚のうち「日本風の花瓶」というのが一番大きくて、そして美人度は一番マシだった。
これはうっすら美人といえないこともない。
丸形の花瓶に花という、静物画の典型的なモチーフではあるけれど、
花は抽象絵画ぎりぎりくらいにデザインされ、いわゆる花の静物画的イメージは皆無。
花の金色の部分がごくまれにキラリと光る。花瓶の、歌舞伎役者が描かれたデザインは外国向けの商品だろうなと思わせる。
ルドンは今後、人気が出るかもしれないな。若冲、とまではいかんでもアンリ・ルソーくらい。好きな人は好きという。
「日本風の花瓶」の絵葉書は売り切れだった。
ヴラマンクは、名前だけかろうじて聞くが、これという作品は思い出せない画家。
今回の「湖」というのは、なぜかはわからないけれど惹きつけられる絵だった。
木の表現が力強く。大きい絵で、刷毛で塗ったようなグイッとした感じの描き方。
それとは対照的に静謐な湖。グイッと描いてるにもかかわらず。この印象は残るな。
好きだったのがだいたい以上。
あとは、いい印象も悪い印象もある、印象に残ったもの。
シスレーが3作品来てたんだけど、なんかシスレーっぽくなかった。
わたしはモネ、ピサロ、シスレーをモネ三兄弟と読んでいるのだが、今回の絵は薄塗り。
ゴーガン(と表記されていたがわたしはゴーギャン)の「小屋の前の犬、タヒチ」。
マッチョな感じがしてあまり好きな画家じゃないが、これは素直さを感じる。
タヒチの赤は、この絵では屋根の色に使われていて美しい。
アンリ・ジャン・ギヨーム・マルタンなる画家の絵が3枚来ていて、なかなか良かった。
穏やかでごく普通の絵だが、ちょっと才がほの見えるというか。
「ラバスティード=デュ=ヴェールの橋」という作品は、どことなく平面的で、
そして眼鏡橋を不自然に大きく取り上げた構図などから、浮世絵の影響を想像した。
広重の独特な構図に習ったかなと。
「村の通り」という絵はさらに何ということもない絵だけれどもちょっと好き。これも家に飾ってもいい。
アルベール・マルケなる人も4枚。4枚とも画風が違うように思うが、その中の「パリ・カルーゼル広場」は
夏のパリの陽光を思い出す雰囲気があった。パリの光は鋭い。暑い夏だった。
マティスって人物描くとこんなだっけ?遠目から見るとそうでもないが、近くで見るとヒドイ。
幼児が描いた人みたい。
ムンク。ムンクは初めてかなあ。「マドンナ」とか見てるか?
しかし「自画像」というタイトルでどうしてこういう絵になるのか……。
わりと大き目、1メートル弱の横の長方形。右側に小型犬2匹が左を向いていて、左側の一人の男性が、これから犬に
えさを上げようとしているところ。男性がムンクであってもいいけど、自画像という絵じゃないんだよなあ。
ブラック。多分わりと有名な……「ギターのある静物」。
黒・グレー・白のモノトーンとこういうくすんだ朱色とサーモンピンクの色の組み合わせは珍しいと思う。
ピカソは5枚。「帽子の女」は、左側に男が合体しているね。多分この男はピカソ自身だね。
ムンクの「自画像」よりも自画像度ではこっちの方が上。
マルク・シャガールはずーっと前、多分10年以上前にエキシビがあってそこでじっくり見た。
その時には新鮮だったし気に入りもしたけれど、その後だいぶあちこちで見て食傷気味。
親近感は持つけどね。「町の上で、ヴィテブスク」なんか懐かしいけれども。
というわけで、けっこう色々楽しめました。
でも時間にしたら、見ていたのは1時間半弱だった。もう少しいたい気がしたけど、見終わったという気もしたし。
欲を言えばもっと人が少なで、お気に入りの一枚の前の椅子に腰かけていられたら……
良いエキシビでした。
ちゃんと前売券も買って、なるべく早く、押せ押せになる前に行こうと思っていたのに、
けっこうぎりぎりに行くわたし。そんなに忙しいわけはないんだが。どうしてこうなる。
混み具合は駐車場が何とか停められる程度で、平日でこれなら、土日ならばかなり混むんだろう。
まあ東京のアホみたいなエキシビの混み具合を比べたら静かなもんですけどね。
欲を言えばもう少し空いたところで見たかった。夕方行けば良かったかな。
大物が来ているわけではないけれども、並べられたほとんどの作品が佳品。見て本物感がある。
エキシビのあらまほしき姿。満足。
今回の発見はシニャック。
シニャックだって相当ポピュラーな画家だ。モネ、ルノワール、ゴッホには及ばぬながら、
持っている美術館は麗々しく飾る。相当あちこちで見た画家。
個人的な経験では、小学校の図画工作の時間に、シニャックの何だかって絵を模写した記憶もある。
(3人の有名画家の中から1枚を選ぶことになっていて、シニャックを選んだのは簡単そうだったから(^^;))
――で、シニャックといえば「筆触分割」。
筆触分割とは、……まあもっともらしい説明がネット上でも各所で読めるけど、これというシンプルな文章が
見つけられなかったので、各自調べて下さい。
簡単に言えば、色を混ぜずにそのまま使う。混ぜないことで色が濁らず、純色を点描で重ねることで色の透明感を損ねることなく
どんな色でも表せる。とした技法。
そんな説明が強固に先にあったものだから、ずーっとそういう、いわば頭で見ていた。意識せずに頭で見ていた。
だが今回の「フリシンゲン湾」を見て、初めて感動した。
なんてきれいな海なんだろう!
小品で、構図は単純至極。下半分は海で、上半分は陸地。多分ヨットとかがずらりと並ぶ湾の風景。
上が紫系、下が緑系で、多少黄色やオレンジが入るとはいえ、色使いも大変シンプル。
しかしだからこそ、今回初めて色の美しさに気づけたのかもしれない。
近くに寄ると、他の点描派と比べて大き目のシニャックの点描が、一つ一つ宝石に見える。
いろんなバリエーションの緑が、澄んだ緑が、敷き詰められた宝石箱のよう。
油絵だからね。光を斜めから当てると艶がきらきらして本当にきれい。
絵としてというより、色として。美しい色。
シニャックは、もしかして単に、本当にシンプルに、この美しい色を置きたかったんじゃないのかなあ。
いわば塗り絵的な感覚。描かれた結果を求めたというよりは、この美しい色に触っていたい。
絵具を愛し、その絵具で何かをしたいという衝動があって、それが風景画なりの形をとったのではないか。
絵を描かないわたしが、色鉛筆を集めた時期がある。そういう「色への偏愛」が根底にあるのではないか。
この絵は行きつ戻りつしながら何度か見た。
こういう絵なら家に置きたい。色も構図もほとんど全く芸を感じないが、ひたすらな色の美しさで。
シニャックの絵はもう一つ来ていて、「オーセールの橋」というの。
こちらの方が、よりスタンダードなシニャック。色数豊富で、補色対比というようにピンク、黄色、紫などを多用。
しかし一つ一つを見れば、やはり色としてきれいだね。今まで点一個の色を意識してシニャックを見たことがなかった。
見方が劇的に変わった。コペルニクス的転回。……というのはオオゲサだが、まあ90度くらい。
次に印象が深いのは、やっぱりモネだろうか。
モネももちろんやたらとあちこちで見るけれど……好きな画家。
ついこないだも大山崎山荘美術館で見てきたばかり。いい方の「睡蓮」がたしか2枚くらいあった。
今回来た「睡蓮」は1枚だけで、それも好印象に繋がっている。
「睡蓮」は数がありすぎてねー。玉石混交。それをモネの「睡蓮」というだけで(持ってる方は)有難がるので……食傷する。
ダメな「睡蓮」はダメなのだ!「睡蓮」というだけで鉦を鳴らしてはいかん!
5枚来ていたモネのうち、大変気に入ったのは「ジヴェルニーの積みわら」。
正直、積みわらモチーフも相当数があると思うが……この絵では、積みわら自体より、その背景の立ち木に惹かれた。
防風林なんですかね?白い雲を背景に、ひょろひょろした木が横一線に並んでいる。
わりあいに枝葉がまばらな……しかし至近距離に近づいてよく見ると、緑をずいぶん重ねた上に背景の白い雲と同じ白を
緑に重ねて置いてまばらな感じに戻している。
この辺は実物を見てこそわかる部分。一応発見した部類。
しかしそれが最初から緑をまばらに置いたものと、どう効果の違いがあるかは不明……
まあ木に立体感が出ますかね?そうでもないですかね?
ルノワールとセザンヌも何枚かずつ来ていて、佳品ではあったが、わたしはそこまで好きじゃないので割愛。
ルノワールは若いころの青系の絵は好きなんだけれども、暖色系でもやもやっと書くようになってからは好きじゃない。
セザンヌはあまりに理性を感じさせてそもそも苦手。
ピサロは2枚。ピサロは好き。「エヌリー街道の眺め」は緑が大変にきれい。牧草地で草を刈る農夫。
相当細い筆で根気良く色を入れている。これも家に飾りたい。
ルドンが今回ちょっと気にかかった。ごくたまに見る画家ではあるけれど、せいぜい1ヶ所に1枚か2枚な気がする。
今回は大枚4枚。この人、1枚の絵としてはほとんどヒドイといいたいくらい美しくないのだが、
その美しくない絵から詩情が漂うんだよなー。なんですかね、これは。
例えていえば不美人から漂う、えも言われぬ芳香。
4枚のうち「日本風の花瓶」というのが一番大きくて、そして美人度は一番マシだった。
これはうっすら美人といえないこともない。
丸形の花瓶に花という、静物画の典型的なモチーフではあるけれど、
花は抽象絵画ぎりぎりくらいにデザインされ、いわゆる花の静物画的イメージは皆無。
花の金色の部分がごくまれにキラリと光る。花瓶の、歌舞伎役者が描かれたデザインは外国向けの商品だろうなと思わせる。
ルドンは今後、人気が出るかもしれないな。若冲、とまではいかんでもアンリ・ルソーくらい。好きな人は好きという。
「日本風の花瓶」の絵葉書は売り切れだった。
ヴラマンクは、名前だけかろうじて聞くが、これという作品は思い出せない画家。
今回の「湖」というのは、なぜかはわからないけれど惹きつけられる絵だった。
木の表現が力強く。大きい絵で、刷毛で塗ったようなグイッとした感じの描き方。
それとは対照的に静謐な湖。グイッと描いてるにもかかわらず。この印象は残るな。
好きだったのがだいたい以上。
あとは、いい印象も悪い印象もある、印象に残ったもの。
シスレーが3作品来てたんだけど、なんかシスレーっぽくなかった。
わたしはモネ、ピサロ、シスレーをモネ三兄弟と読んでいるのだが、今回の絵は薄塗り。
ゴーガン(と表記されていたがわたしはゴーギャン)の「小屋の前の犬、タヒチ」。
マッチョな感じがしてあまり好きな画家じゃないが、これは素直さを感じる。
タヒチの赤は、この絵では屋根の色に使われていて美しい。
アンリ・ジャン・ギヨーム・マルタンなる画家の絵が3枚来ていて、なかなか良かった。
穏やかでごく普通の絵だが、ちょっと才がほの見えるというか。
「ラバスティード=デュ=ヴェールの橋」という作品は、どことなく平面的で、
そして眼鏡橋を不自然に大きく取り上げた構図などから、浮世絵の影響を想像した。
広重の独特な構図に習ったかなと。
「村の通り」という絵はさらに何ということもない絵だけれどもちょっと好き。これも家に飾ってもいい。
アルベール・マルケなる人も4枚。4枚とも画風が違うように思うが、その中の「パリ・カルーゼル広場」は
夏のパリの陽光を思い出す雰囲気があった。パリの光は鋭い。暑い夏だった。
マティスって人物描くとこんなだっけ?遠目から見るとそうでもないが、近くで見るとヒドイ。
幼児が描いた人みたい。
ムンク。ムンクは初めてかなあ。「マドンナ」とか見てるか?
しかし「自画像」というタイトルでどうしてこういう絵になるのか……。
わりと大き目、1メートル弱の横の長方形。右側に小型犬2匹が左を向いていて、左側の一人の男性が、これから犬に
えさを上げようとしているところ。男性がムンクであってもいいけど、自画像という絵じゃないんだよなあ。
ブラック。多分わりと有名な……「ギターのある静物」。
黒・グレー・白のモノトーンとこういうくすんだ朱色とサーモンピンクの色の組み合わせは珍しいと思う。
ピカソは5枚。「帽子の女」は、左側に男が合体しているね。多分この男はピカソ自身だね。
ムンクの「自画像」よりも自画像度ではこっちの方が上。
マルク・シャガールはずーっと前、多分10年以上前にエキシビがあってそこでじっくり見た。
その時には新鮮だったし気に入りもしたけれど、その後だいぶあちこちで見て食傷気味。
親近感は持つけどね。「町の上で、ヴィテブスク」なんか懐かしいけれども。
というわけで、けっこう色々楽しめました。
でも時間にしたら、見ていたのは1時間半弱だった。もう少しいたい気がしたけど、見終わったという気もしたし。
欲を言えばもっと人が少なで、お気に入りの一枚の前の椅子に腰かけていられたら……
良いエキシビでした。
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