物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

大切なモノ

2019-09-03 08:56:39 | 物語
 少女は、大事にしていたうさぎのぬいぐるみを壁に叩きつけた。その夜、自分のした行動を深く後悔したせいで、いつものようにうさぎのぬいぐるみと一緒にベッドで寝ることはできなかった。
翌朝目を覚ますと、少女はうさぎのぬいぐるみを眺めた。いつもならうさぎの方から朝の挨拶をしてきてくれるのに、その日はなかった。
うさぎのぬいぐるみに吹き込まれ始めていた魂は、昨夜の”投げる”という残酷な行為によってどこかへ去っていってしまたのだ。そのことを察した少女はとても後悔し、悲しみと寂しさでいっぱいになった。
そして、すっかり冷たくなったうさぎのぬいぐるみを抱き上げると、よしよしと手で撫でた。そうすることで、少しでも魂が戻ってきてくれるかもしれないと考えたからだ。
少女の部屋にあるおもちゃには多かれ少なかれ全てに魂が宿り始めていた。これはこの少女の部屋だからというわけではなく、全てのモノが可愛がれば可愛がるほど、また、使えば使うほど魂を宿すのは太古の昔からの事実である。かろうじて江戸時代のあたりまでの日本人は誰に教わるともなくその事をよく知っていたので、とてもモノを大事にしたものだ。(ただし、電子機器には魂が宿らない。)今では「モノに魂が宿る」と言っただけで頭がおかしいのではないかと思われるだろうが。

顔を洗うため部屋から出て廊下へ出た。リビングへ向かう途中の和室の一角を見て、少女は驚いた。
お雛様が飾ってあったのだ。少女はすっかりうさぎのことが記憶から飛んでしまうほど驚き、喜んだ。昨日の夜、母親が少女のために出しておいてくれたのだろう。あれだけ喧嘩したのに翌日にはこれだから親ってわからない。
少女はこの美しいひな人形が大好きで、去年は「だるまさんがころんだ」をして遊んだ。ひな人形たちは、少女が見ていない瞬間は普通に動いていて、見ている時はじっとしているのだ。
少女はそのことをよく知っていて、「だるまさんが・・・」まではゆっくり言っておいて「ころんだ!」のところを速く言って振り向くということを試みた。そうやって、どうしても人形たちが動いている瞬間をこの目で見てやろうと試みたのだが、うまくいかなかった。
今年こそ人形たちが、宴会か楽器の演奏している場面を目にしてやろうと決心した。

外へ出ると、空は青く木々は内に秘めた自らの魂を天へと伸ばし輝いていた。木々は後から魂が宿るのではなく、微量な光を放ちながら自らの魂を成長させている。だから木が動かなくても生物であることがよく分かった。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
朝から同じ場所に集まりキャーキャー叫びながら遊び回る同い年の人間たちは、木々とは比べものにならない程輝いていた。が、それと同時に昨日よりも汚れ初めていた。汚れの進みが早い子もいたが、少女と同じようにまだまだキレイなままの子もいた。それは、最初からある程度決められた定めのように一人一人色と明るさが違う。大人を見ると、いつかみんな同じ明るさになるんだということだけは分かっていた。

キレイとはどういうことか?例えば、少女にはまだ使える傘を捨ててしまうとか、まだ食べることのできる食べ物を捨ててしまうような気持ちは全く分からない。食卓のテーブルの上にこぼれたら拾って食べたし、自分の傘には必ず名前を書いて傘立てに置いた。魂の吹き込まれたものをそう簡単に捨てるなんてことはできるわけがなかったからだ。
しかし、そんなある日、帰りにふと傘立てを見ると、誰かに間違われて持って行かれたようでなくなっていた。その時は本当に悲しかった。その後、雨の日になると傘立てを確認したが、何日待っても帰ってはこなかった。持って行った子は、書いてある少女の名前を読めないのだろうか?と考えた。
”キレイ”とはこういう感覚である。
勿論、その時の自分にはキレイかどうかは分からない、分かるのは汚れた後だからだ。
なんでもそうだ。
恋人に別れを告げてからどんなに大事だったか分かったり、人に言えないほど不幸な目にあってから「あの時は幸せだったんだ」と分かる。
赤ちゃんを見て穢れがないと感じるのは、今の自分が穢れてしまったからだし、動物を見て美しいと思ってしまうのは、人間として生きている今の自分がどこか醜いと感じているからだ。
要するに、人は自分のいる場所を本当の意味では、分かっていない。その場から離れて初めて、そのような場所にいたのだと分かるのだ。

ある日、ある男の子が下敷きを見せてと言って、目の前で少女の下敷きをふみつけた。なんの意味があるのかは、分からないが男の子はそうした。
別のある日は、ある女の子が水入れを貸してと言ってきたので貸した。返ってきたとき、どういう使い方をしたのか分からないが、絵具がべっとりついていた。
その都度、嫌な思いになったが、そういう子もいるのだなと思って黙って自分で洗ったりして自己処理をしてきた。
(大昔、海外から客人が来日したとき、日本人が黙って外の所々にころがった客人の糞尿を掃除したのとよく似ている。昔日本には水道や排泄物の処理がしっかりなされていたが、外国では外のどこでもしていたのである。しかも日本人はその客人が帰った後も、そのことには触れず「良い時間を過ごしました。」という感想を残しているのだ。実にそれとよく似たエピソードである。)

少し成長した少女は日記を書いた。
日記に自分の気持ちを書くとどういうわけか日記が汚れた。書いている時は良かれと思って書いたのだが、後から読み返すとただただ汚いと思うだけだった。
その理由を考えたがなんとなくわかった。言葉は人間の思いを単純化してしまうからだった。本当の人の思いは、グラデーションのように、または、バイオリンのようにアナログに移り変わってゆくものだ。言葉にしたその瞬間には、その思いは嘘になっているということに気づいてしまった。雲が地上に落とした影を地面に描いた時には、もう形が変わっている。それが人の心なのだった。

思春期になって母親が他界すると、少女の環境はガラッと変わってしまった。あの時(子供の時分)は幸せだったのだと実感することが増えた。
そして、泣くことと溜息をつくことを自分に禁じた。
大切な人がいなくなっても、季節は秋、冬、春、夏、そしてまた秋と変化していった。秋は少女の母親がいちばん好きな季節だった。
母親は日曜日になるとコーヒーとレコードを嗜んだ。とくに秋にはその頻度が増したものだ。
母親が少女に読んでくれた絵本やレコードを父が捨ててしまった。少女に伝えられなかったがいつの間にかなくなっていたので、捨てられたのだと察したのだ。
少女は、大切な思い出を捨ててしまった父親を恨み、一言も口をきかなくなった。たったひとりの身内を恨みたくはなかったが、その時の少女にはどうしても父親を恨むという大罪を犯さざるを得なかったのだ。
そして、せめて母親の教えてくれたピアノだけは捨てられないようにと、ピアノの勉強をしはじめた。いくつか作曲もしたが、思いついた曲を録音する機器がなかったのと、音符に書き換える作業が遅く、なかなか捗らなかった。

そんなある日、ピアノは少女に語り掛けてきた。
それはハッキリとした言葉ではないが、どう弾かれたいかを教えてくれたのだ。それまで迷いのあった少女の音色には、徐々に迷いがなくなっていった。
少女は友達に、母親を亡くしたことを言わなかった。正確には、半分は言わなかったがもう半分は言えなかったのだ。
本当に嫌なこと・本当に悲しいことを人は簡単に口にできないものなのだとその時初めて知った。そして言わない(言えない)ことは、無駄なことではない。それは、言わないことで傷が癒されるという自分の中の自然治癒力を信じた証でもあったのだ。むろん、その時の少女にはそのようなハッキリした意思の下で”言わない”をしたわけではないのだが。

少女は全てを待った。ただ待つことで時間を味方にした。
今の悲しみをいくら説明したところで、誰が本当の意味で分かってくれるというのだろうか?分かるはずもないし、分かってくれというのはただの無駄な我欲であることをよく分かっていた。どんなことでもそうだが自分以外の者に対して「分かってくれ」と思えば思うほど、人との隔たりは酷くなる。それはまるで、オアシスを探してさ迷う人間が塩水を飲むようなものであるのだ。

激変してしまった少女を友達は理解できず、徐々に離れて行った。
少女はピアノを弾いた。受験の時は、ひたすら勉強した。勉強しすぎて、二次関数もlogの式も途中の式を書かずに(要は暗算)でできるようになっていた。
話してはならないことが増えると、人はおのずと無口になる。そうしているうちに友はいなくなり、その代わりモノと語り合った(本当にしゃべったわけでなない)。特にピアノとはよく語り合い、自分の思いを大いに表現した。

少女が進学すると、父親は再婚を決めた。
別にいつ再婚しても良かったのにと思ったが、一応、少女のことを思い長い間遠慮してくれていたようだ。そのころになると父を恨む気持ちもなくなっていた。
相手の女性は母親とは似ても似つかない人だったが、父親の恋人だから自分の好みは関係ない。ちゃんと紹介してくれただけでもよしとした。

「〇〇ちゃんは、将来なにがしたいの?」
気を使って父の再婚相手が質問してきた。
「まだ、わかりません。」と、少女は緊張のため、ある意味そっけなく言った。
「ピアノが好きだろ?それに関する仕事はしないのか?」と、父親が助け舟を出した。
「好きなことを仕事にできるのは、ごく一部の人だけだから。」

3人の食事が終わってレストランを出た時にはすっかり暗くなっていた。駐車場で女性をタクシーに乗せたあと、父親にとても大切なことを聞いてみた。
「お父さん」
「ん?なんだい?」
「あのひな人形、どこいった?まさか、”あんな高価なもの”捨ててないよね?」
「捨ててないよ。」
「嘘、でも今、家にないじゃない?」
「貸しトランクルームにあるよ。」
「え?そうなの?じゃあ、お母さんが好きだったレコードや、コーヒーメーカーは?」
「貸しトランクルームにあるよ。」
「そうだったの?!」
「あぁ。そうだよ。今度、鍵、お前にも渡そうか。」
「う、うん、ありがとう。」
じゃあ、あのうさぎのぬいぐるみもそこにあるのだろうか?ふと少女は思ったが、そこまで細かいことを父親が分かるはずはないと思い、言葉を飲んだ。
少女はわざと”高価なもの”がどうなったか聞いたが、それより気になっていたのは、あのうさぎのぬいぐるみと、母の魂の灯を分けてもらったモノたちだった。とにもかくにも、少女の魂の欠片も、母の魂の欠片も捨てられてはいなかった。ただ少しの間、別の場所にあっただけだったのだ。
少女は夜空を仰ぎ見た。そこには、太古の昔より随分数を減らしてしまった星たちが輝いていた。

      おわり





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