物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

カサンドラの子供

2021-01-03 13:08:06 | 物語

 突然ですが、みなさんは当たり前に挨拶をしているように見えます。でもなぜそんなに自然に挨拶ができるのですか?

なぜそんなに、気恥ずかしさも、躊躇いもなく挨拶ができるのですか?

 

私の母親は、「ありがとう」「ごめんなさい」「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみなさい」「おかえりなさい」「行ってきます」「いただきます」を一切言いませんでした。

家で教えてもらっていない私にとって、外で言うのはとても気恥ずかしくて難しい壁でした。

このように、私は一人前になるための”躾の第一歩”さえもされたこともありません。ですから、社会に出てから非常に苦労しました。

かろうじて父親に食べ物をこぼしたら叱られたりしたくらいです。逆に父親の叱りかたは、怖すぎて理不尽ではないかと思うくらいでした。

最近になってやっと気づいたのですが、私の母は多分 発達障害だと思うのです。

 

今から、そう思う理由を書き連ねます。

まず、母は日常的に私と姉の名前を平気で間違えました。

私たち姉妹は双子ではありません。

ですから私もまた、人の名前を間違えて呼ぶことを失礼なことだと思っていませんでした。

後に歯科医院の受付で仕事をしたとき、患者さんの下の名前の漢字の読みが分からずテキトーに呼んでみたら、後で先生に怒られました。

私としては、自分の子供の名前を間違う人がいるくらいなのに、「知らない人の名前を間違えただけでそんなに怒ることかな?」と思ったことを覚えています。

その時の私は既に二十歳でした。今思うと、非常に恥ずかしいことです。

 

私が子供の頃から母は、以前は大丈夫だった事をある時急に怒ったりしました。私が3~4歳になると、自分でやりたいことを母に阻まれ、そのことに私が怒ると母も一緒になって怒りました。そんな風に喧嘩になって空気が悪くなることが度々ありました。

しかし母からは「ごめんなさい」も「あやまりなさい」も言ってきません。

そしてまだ何も展開のないうちに、母親の機嫌が直るやいなや向こうから笑って何事もなかったかのように話しかけて来るのです。

あまりの急変に、幼い私でさえも戸惑うほどでした。

このように私が幼いころから、私がやりたいことはさせてくれなかったし、私の大切にしていたぬいぐるみを、断りもなく勝手に全部捨てられたりもしました。報告はいつも事後でした。

 

小学校3年のときある職業に就きたいと、思い切って告白してみたら、「お金にならない」とか「お前には無理でしょう」と笑ってバカにされたので諦めました。子供というものは、親にやめろとかバカにされた職業は選択肢から外すものです。

でも今よくよく考えてみたら、母は私が将来何になりたいかなんて質問をしてきたことがありません。現に、成人式も何もしてくれませんでした。

ハレの日事件で、被害者さんの娘が成人式の着物を着れなかったのを、その母親が娘と一緒に泣いてるシーンを見た時、「え?お母さんてこういうものなの?」と驚いたくらいです。でも自分が母親になって娘がいたとしたら、やっぱり娘と一緒に悔しがるか抱きしめて泣くと思いました。

きっと私の母は、私が人間として成長すること自体に興味がなかったのでしょう。ここでは省きますが、そう思えるエピソードは多々あります。

 

また、新築で注文住宅を建てたのに、既に生まれている私(当時4歳)の部屋を作ってくれませんでした。せっかく一生に一度の家を注文で買ったのに、おかしくないですか?その後、外に大きな倉庫まで作っているというのに。私は、3畳でもいいから自分の部屋が欲しかったです。

今になって母に、家を建てた時なんで私の部屋を作らなかったのかを聞くと、「父親が勝手に家を建てたからだ。私には何の話もないままあれよあれよと決まってた。」というのです。

後に知ったのですが、母は、ご近所さんにも同系統の理由を言い訳したことがあります。

当時うちは去勢もせず猫を飼っていて、アッ言う間に10匹近くになりました。しかも平気で外へ出して家に帰ってくると餌をやるという飼育方法だったため、ご近所さんから苦情を言われたことがあるそうです。その時も母は「あの猫たちは主人が飼っているので私には関係ありません。」と言ったそうです。

ちなみに、私の父と母はちゃんと一緒に暮らしていました。

私は、なんとなく猫のことで近所から白い目で見られていることを感じながら生きていました。いくら昭和の話とはいえ、今考えると、とても恥ずかしい家だったと思います。

しかも、親が反省の態度を全く見せないものだから、私もまた、そのことで反省する必要はないのだと学習していました。子供にとって家庭は社会そのものです。親の真似をして生きるものです。

そんなある日小学生の時に、クラスの友達からもうちの猫で迷惑被った件を言われたことがありました。ですが私からしてみたら”猫が勝手にしたことだからしょうがないのに”と思っただけでした。

私は本当に、バカで恥ずかしい子供でした。そりゃいじめられても仕方がないなぁ と今では思います。

 

小学校5年生くらいの頃、私のパジャマを全く買ってくれなかった母が、鍋セットを40万円で購入しました。

その日、私が「この鍋とかはどうしたの?」と聞くと、母は私にこう言いました。「高かった~ だまされて買っちゃった!」

私は満足に小学校に着てゆく洋服もなく、2~3日おなじ服を着たことも多々ありました。本当は思春期にさしかかりおしゃれをしたかったのですが、常日頃からお金がないと言われ続けていたので我慢していたのです。

私には部屋がなかったから、母親が帰る前にこたつに潜ってそのみじめさを泣いてたというのに。。。。。

そんなある夜、突然母親がこんな質問してきました。

(私には部屋がないので母親と同じ部屋で寝ていました。)

母は、私が翌日着て行く服を着て寝ようとしているのを見て「なんで明日着ていく服を来て寝るの?」と質問してきたのです。

ずっと同じ部屋で寝ているのだから、その事は知っているはずです。

私はどう答えてたらよいのかよく分からなかったので、「今日来ていた服を来て寝るよりいいでしょ」と返しました。

 

 

母は私が幼い頃から、一番上の優秀な兄と、素行の悪い姉と、私のことを「うちには、良いこ・悪い子・普通の子がいる♪」と楽しそうな顔で言っていました。

また母は、半年に一度は自分が病気かもしれない宣言をしたものです。「私は癌かもしれない」「私は慢性疲労症候群かもしれない」等々です。。。癌は体の部位を変えて何度も訴えてきています。

ちなみに私の母は、看護婦(看護師)でした。

それも高看なので准看よりも凄いんだ、という事を普段から聞かされて知っていました。(仕事の愚痴も毎日聞いていました。部屋がないので聞くしかない。)

知識のある医療従事者からそんなことを言われた小さい子供は、どう思うと思いますか?小学校低学年から高校生まで、ずっとこれが続いたのです。

普通の人なら、我が子がどう思うか分かるのと思うのですが、母には分からなかったようです。普通、親が病気かもしれないなんて知ったら、子供は心配になりますよね?不安になったり悲しくなりませんか?

 

 

 少し成長した私が不登校になってしばらくしたある日のことです。

母が「一緒に医者に行こう」と懇願するので、仕方なしに二人で電車に乗って隣町の医者へ行きました。

私は母が診てもらうのかな?とか二人で診てもらうのかな?それともやっと誰かに助けてもらえるのかな?とかうっすらそんなことを考えていたような気がします。

理由は何も言われずただただ一緒に医者へ行く必要性があるということでした。行った先は、神経内科でした。

そこには男性の若めの医者がいました。自分の住んでいる街にもいくらでもいしゃはありました。私には、”なぜわざわざ隣町のこの病院なのか”とか、”その医者がどこの誰なのか”など、全く知りません。

診察室の椅子になぜか私が座らされ、母は私の斜め後ろに座りました。

私は、なぜ来たのかを知らされていないわけですから、得に何も話す事はなく(引っ込み思案な子供でもあったから)、先生に言われる通り椅子に座って血圧なんかを測ってもらいました。

今思うと、医者も”何をしていいかわからない”といった雰囲気だったのを覚えています。いくつかの質問には答えましたが、意味不明な空気が流れました。

最近になって、あの時何をしに行ったのか聞いたのですが、母にも分からないそうです。母に分からないのなら、私にはなおさらです。。。

 

更に、(体だけ)大人になった私(当時30代)が電話で離婚相談をすると、母が「とにかく為になるから出てきなさい」「あの人ならなんとかしてくれる」「絶対に合うべきだ」的なことを言って聞かないので、電車に乗って、母と母の言う凄い人(母はしきりにその人の名前だけは言うけど、私にとっては全く縁もゆかりもない知らないおじさん)に会いに行きました。

現地に着いてよくよく聞くと、そのおじさんは母が学生時代に付き合っていた人で、現在は社長をしている男性でした。

そこから山手線で2駅くらい行った高そうな中華料理店で食事をさせられて、高そうなタワーマンションの一部屋(おじさんセカンドハウス)に連れて行かれました。

しかし考えてみてください、私には全く接点のない人です。一体、私たち夫婦の何を話せるというのでしょうか?

普通に話はしましたが、いったい何のためにあの日わざわざ私が電車に乗ってあそこへ行ったのか、今でも分かりません。

ただ、母は私が離婚したいと話したことで、私が路頭に迷うんじゃないか的な考えを持ったようです。

”ひょっとしたら母は、この社長さんに抱かれてお金を貰ってしばらく過ごしなさい”と言いたいのかな?とか、後になってからもかなり考えました。またそれを、母は何の考えもなしに行動はしたが、なんとなく深層心理でそう考えていたのではないか?とか。

ただ、社長さんは「まだまだ若くてまぁまぁの容姿を持った この子(私)が、路頭に迷うはずはない。この時代、逆に引っ張り凧だ」的な当然の意見を言ってました。

しかしどうやら母には、それが分からないようでした。

 

その他にも、

●私の歯は3歳にして真っ黒で、7割の歯は素人が見ても分かるような虫歯によって溶けていた状態でした。これは母親が歯磨きをさせていなかったからに他なりません。母は、よく私に「乳歯は生え変わるから大丈夫なのよ」と言いました。

●私が小6くらいの時に偶然母親のトイレ掃除を見たことがあるのですが、1度流してキレイだからと言って、便器内の水でトイレ全体のそうじをしていました。

あまりのショックに私が今後はやめてくれと言いましたが、つい最近聞いたらまたやっていることが判明しましたので、きっとその後すぐに同じことをしていたのだろうと想像しています。

ちなみに、母は私の言葉はすぐに忘れる人でした。(なぜか私が何を意思表示しても馬の耳に念仏、私を意思のある子だと思っていない様子だった)

●私が故郷から遠く離れた所に住んだ時、人生に困って泣いて母親に電話したら、母は母のお姉さんに折り返し電話をさせました。

私は殆どあったことがない人です。何も話せませんでした。とても悪い事をしたと思って電話を切りましたが、私が悪かったのでしょうか?

●私が倒れた時に、救急車を呼んでほしいと言ったら近所の目を気にして断られました。後に知りましたが、救急車の代わりに私をいじめていた女の子のお母さんに車を出してくれないか と頼んで断られたそうです。(その後日談に、私は複雑な気持ちになりました。)

●私が不登校の時に、知らない女の子が私に会いに来た時がありました。

母はその子がどこの誰だか全く確認することなく、友達が来ているよと言って玄関先で私に会わせて、自分はさっさとキッチンへ行ってしまいました。

その知らない子が来た理由は、宗教の誘いでした。

●母が離婚して私(独身社会人)と二人暮らしをしていたある日、母が眩暈で倒れました。

母は自分で救急車を呼んで病院へ行ったはいいものの、「切り替えたばかりで保険証がないから、すぐに作って持ってきてほしい」と、切羽詰まった声で携帯に電話してきました。

私はデートを中断して市役所の人に無理を言って保険証を速めに作ってもらい母のいる病院へ持って行きました。

後々病院から聞くと、その日に保険証がなくても大丈夫だったそうです。母は元看護師さんなのに、そのことを知らなかったのでしょうか?

 

 

まったく、子供として散々な事ばかりです。。。。

私は子供の頃からよくこんな夢を見たものです。

 3歳くらいの私が積み木を3つ4つ積み重ねていると、母がやって来て屈託のない優しい笑顔で、その積み木を崩す

     という夢です。

 

 

 そしてずっと分からなかったことですが、姉もまた発達障害だったのです。そのことは姉が40歳になったときにやっと判明したのでした。

私としては、ずっと小さい頃から”姉は少しおかしいのではないか?”と薄々感じていましたが、母には全く感じなかったのだそうです。

後に聞いた話ですが、学校の先生が家庭訪問で姉の奇行を忠告した時、母は怒って先生を追い返しています。

母は、私に対してはとても穏やかでいつも笑顔でした。だから、結構最近まで”優しい人”というイメージしか持っていませんでした。しかし、兄に聞くと母はとても気が強くすぐにカッとする女性だったというので、驚いたのですが、よくよく記憶を辿ってみたら、そういえばそういうところもあったな とすぐに納得がいきました。

 

学校の先生に対する態度で言えば、私が学校を休む為に母に電話してもらった時、先生を呼び出している保留中に電話を切ってそそくさと仕事へ行ってしまった事が何階かありました。先生から折り返し電話がかかってきたとき、母から何も聞かされていなかったため、戸惑ったものです。

その行動が相手に対して失礼だ、とは思っていなかったようで、ただ自分が仕事に遅れるからというだけの理由です。そしていつもどおり私には何の報告もありません。

 

母は、私が熱を出して連日嘔吐していても、休んではくれませんでした。それが当たり前だと言った感じでした。ただ、看護師だったので抗生物質ばかり飲まされていたのを覚えています。

ですから、今でも子供が微熱を出しただけですぐ休む女性を見ると、その子供が羨ましいと同時に少しイライラします。「何故、”そうしてもらわなかった私が”その人の休んだ分を請け負わないといけないの?!」と。

こんな感情を持ちたくはありませんが、私のように、怪我をしても熱を出しても学校でいじめられても、全く母親に共感されたことのない人はこのように思うのは当然ではないでしょうか?

幼稚園の男の子の「ブス」という心を殺すような酷い言葉に関して訴えても、母は「その男の子はあなたと仲良くなりたいのよ。あなたが好きなのよ」と軽い感じで笑って言ったのです。

これは、言われて傷ついている私に言う言葉でしょうか?言う相手を完全に間違えているのです。言われて「嫌だった」「傷ついた」と訴えている3歳の女の子に母親が言う言葉でしょうか?

この言葉の裏を返せば、”敏感すぎる私が悪い”ということになりかねません。特に言われた私自身は、そう思うしかありません。

 

とにかく母は、私には躾もせず、叱ることもせず、いつも優しく私を甘やかせて一人ぼっちにし(私は小1から鍵っ子です)、笑顔で私の言うこと全てを否定する上に、共感力の欠片もありませんでした。

 

 

そして私は、幼い頃から発達障害の姉から虐待に近いいじめをされていました。母がネグレクトだとしたら、姉からは虐待です。

4歳年上だった姉は、いつも私より先に色々経験し、私より先に好きな色を選び、とても嘘つきで、私の困ることをわざとしてきました。

そして父親と兄は、いつも私がワガママを言っているという印象を持っていました。

それは私が駄々をこねているところを見ているからだと思います。しかし、何一つこちらの要求を満たしてくれない親に対して子供がだだをこねるのは、当たり前ではないですか?

 

続きます・・・・