物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

カサンドラの子供 3

2021-01-06 10:07:38 | 物語

 正確な年数は忘れましたが、兄には約7年、母には約10年、父には約17年、姉には約24年の間、会っていません。

私は末っ子によくある母親っ子でしたので、今でも母とは電話では話します。その電話の内容は大抵、母と姉の現状を聞くことと、私がちゃんと意見を持った一人の人間であることを教えるための会話なのかもしれません。(会うのは御免です。会うと必ず私が嫌な思いをするのが分かるからです。)

とはいっても、人間の考え方の癖はそう簡単に変わるものではないので、本当に変わってくれることを期待するよりも、友達のいない私が話し相手にどうしても困ったときに電話することが多いです。

衣・食・住だけ与える ”放任主義” という名の ”放っとく教育” を受けてきたとしても、結局のところちょっとでも私の味方をしてくれる可能性のある人は母親だけだったのです。ですから私は、母には嫌なことは嫌だと気兼ねなく言えましたし、喧嘩もしてきました。父とは最後まで、心が通じ合ったと感じたことはありませんでしたけれども。

子供といえば、夫婦喧嘩を見た時は母親の味方ですし、女の子は思春期になると父親が嫌いになります。後に嫌いという感情がなくなったとしても、それまで殆ど話をしなかった父との溝はそのままでした。

特に一度でも家族を酷く裏切った人は、悪いけど無理です。

ちなみに、家族の誰も今私がしている職業も住所も知りません。電話番号は、母と兄と父が知っています。しかし母と兄の方からは、かかってきたことはありません。兄は「困ったときには言ってね」とメールで言ってくれますが、目の前で姉にいじめられていても助けてくれなかった人です。おかしいでしょ?()

しかしまぁ、人間というのは ”人を助けてあげたい” という ”欲” を持っているものです。そういう意味では心からのお言葉なのでしょう。お気持ちだけありがたく「ありがとう」と受け取っておきます。

父からは一度だけ番号を通じてSNSに誘われましたが、無視しました。ある日大けがをして兄だけ病院へ会いに行ったエピソードを後で兄から聴かされましたが、その時には父には新しい家族がありましたし、特別になにか思うところはありませんでした。

 

 さて、私に友達がいない理由ですが、保育園に入園したその日から外部の同年代との接触に失敗しているからです。

知らない迫力のある男の子が、教室に入るやいなや私のところへ来て「ブス!」と言ってきたのです。これでもうダメです。当たり前ですよね?こっちは意味が分かりません。そして明らかに悪意のある悪い言葉です。何も悪い事をしていないのに。

あまりに突然だったので気持ちは萎縮しますし、内気な女児が最初から園に来ることに不安があったというのに、いきなりこれなんですから。しかも、それを見ている周りは誰もそれを良くない事だと諭しません。

私はそれまで、自分の顔について全然考えたことがありませんでしたが、いきなり指摘するほどひどい顔なのかなぁと考えました。見ているとイライラするような顔なのかなぁ?と。それから小学校6年生まで、私は下を向いて歩くことになったのです。

せめて幼稚園や保育園は、気の弱い子供と迫力のある子供とをクラス分けするべきだと私は思っています。

しかも私は途中からクラスに入ったので、右も左もわかっている子供の中に、ポンといきなり右も左も分からない3歳児が入れられたのです。なんの心の準備もできていないのに、嫌々連れてこられただけなのに、いきなりこれです。

それだけではありません。県民性もあると思うのですが、同世代の子供たちは、とにかく浅はかで意地悪でした。

例えば、おやつにバナナがでます。バナナは前から順番に回されて房から自分で取るシステムでした。私に「ブス!」と事あるごとに言ってくる男の子はいつもいつも、シールの付いたバナナを先生からもたっていました。

私は背が高い方だったので、いつも最後の方でしたし、周りの女の子も自分がいいバナナを獲得することしか頭になく、いつも腐ったような茶色いバナナが私のところへ来ました。

「わざとだな」と感じましたが、誰にどう訴えていいか分からず、いつもそれを嫌嫌食べていました。いくら嫌だとして私が誰かとそれを交換しても、その人が私の代わりに嫌な思いをするだけなのですから。

言っておきますが、私の運が悪かったから汚くて茶色いバナナが私の所へ来たのではありません。現に、おやつにバナナが出た時には毎回こうでしたから。

用意した先生も含めた周囲の子供たちの意思です。つまりこれは、りっぱな ”いじめ” なのです。

同世代の児童たちは、私の足を踏んでも謝らないし、いつもいつもたった一人ぼっちでいる私を遊びの和の中に入れてくれるような児童は、誰一人としていませんでした。(途中から入園した私は、溶け込めず誘われるのをずっと待っていたのですが)

なんでじゃあいつも待ってるだけなの?と思う人もいると思います。初めて社交の場に出た内気な私には友達を自分から作るなんて、とても大きな壁でした。友達の作り方を教えられたもいませんでしたから。せめて、母親が配慮できる人だったら違ったかもしれません。

私なら、友達にかけるべきセリフを教えてあげます。

ちなみに、ここまで書いてお分かりだと思いますが、保育園の先生の目はただの節穴でした。

例えばある日、独りぼっちの私は、お庭のウンテイで縄跳びで首つりの真似をしたことがありました。みんなと遊んでいる最中だったある女性の先生が、それをみつけて「そんなことしたら危ないよ」と少し離れたところから言ってきただけで、すぐにみんなと遊びに戻りました。おかしいでしょ?()

このように、私の周りには大人がいませんでした。

このウンテイ事件の時、小さな私がどう感じたか想像つきますか?(あえて具体的には書きませんけども。)

確かにこの広い世界には、好んでたった一人で遊びたがる子供もいるのかもしれませんが、私はいつも誰かが誘ってくれるのを待っていました。

だからこそ隠れて遊ばず、いつも誰かに見えるところで一人ぼっちでいました。(ひとりで居ることを見られるのが恥ずかしい日には隠れて遊んでましたが。)そしてあえて見える場所で首を吊る真似をしたわけです。

周りが楽しそうに「きゃーきゃー」大きな声を出して、好き勝手に自分のエネルギーを発散しながら遊んでいる中、私だけはそれをする場がありませんでした。ただ、内気だというだけで。

(誤解されやすいのですが、内気な人は特別我慢強いわけではありません。表には裏があるように、周りが好き勝手やれる背景にはその逆の人が必ずいるのです。ですから、たまには代わってあげてほしいです。そのチャンスを与える仕事をするのが親や先生です。それができないのであれば、最初から適正検査をしてクラス分けをするべきです。”修羅のクラス”と”天使のクラス”ってことで。)

そんな中でもたまに、園長先生が私に名前つきで話しかけてきてくださいました。(いちばん偉い人なので)緊張しながらも敬語で(とはいっても「はい」程度)受け答えたのは覚えています。名前を呼んでくださったことで、この園長先生だけは、少なくとも一人一人を見ているように感じました。

 

突然ですが、ここに ”いじめられやすい子供” の共通点を書きます。

●親に真の意味では大切に育てられていない。(親の身勝手で甘やかされたり放っておかれたりした。また、一人の人間として成長する過程を紡ぎ育む教育をされていない。)

●よって親から真の意味での愛情を注がれていない。親だけが気持ちいい身勝手な疑似愛情は、その子にとって迷惑な事の方が多い。(別の脳みそを持った生き物として尊重されていない証。)

●その延長線で、家でも意見を言わせてもらえないので、自分の意見の言い方がわからない。よって外に出ても、級友などに ”意思のない人” と思われがち。

●家庭で挨拶をしないので、いきなり外で挨拶ができない。(私の場合は、心の中では凄くありがたいとか悪いなぁと思っていても、言葉として「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉は、とても気恥ずかしくて言えなかった。言ったらウソになるような気すらした。)

●自分に自信がない。(いつも親にとって ”いい子” である またはいい子でなければいらない環境だから、自分の好きな事や嫌いな事が考えないと分からない。よってその場ですぐに「嫌です」と言えない。また、言うとそれはワガママであり相手を怒らせてしまうと思ってしまう。)

●誰からも正しく助けてもらったことがないので、他人の助け方も分からない。

●自分の家族を、恥ずかしい家族だとどこかで思っている。

などなど、他にもあると思いますが。

ただこれらはどうして起こるのかというと、親が子供が出来たという現実に、いつまでだっても心理的に”腹を括らない”(または括れない)からなのです。

腹を括っていない親は、相手側(=自分の子供)に対して、人として共感することもできないし、学校やいじめっ子の家に注意をしに行くなどの、自分の子供の為に具体的な行動をすることができません。また、子供が大変悩んでいるのに直視できないため妥当な所に相談することもしませんし、自分の子供の話をちゃんと聞くこともできない親すらいます。

また、そういった話を自分の空いている時間にしか聞かない親もいます。

そういう親に聞きたいです。自分の空いている時間=その子が「ようし、思い切って言ってみよう!」と思う時間 ですか?

またそういう親は、もし自分の子供がいじめられ不登校になったとしても、それは想定外のことであり、まず驚きます。(この世はいつの時代にもいじめの連続であるのに、自分の子供には無関係だと思うことの方がおかしいのだが。)

そしてただただ慌てて蓋をし 無かったことにするか、アドバイスにならないような(自己満足の)意味不明な言葉を言い放ってしまうのです。子供に起こっている現状と心理よりも、自己の安心感を求めてしまうのです。

そうならない為には、子供が生まれると分かったその日から、夫婦で話合って子育てのルールを作るべきです。ルールのない子育てなど、生まれてきてくれる子供に失礼極まりないだけです。セッ○スを一人前にできる大人なのなら、それが出来そうにない相手を選ばないことです。

男性も、責任を持てないのならそういうことをするべきではありません。避妊は失敗することもあるんですから。そして体を傷つけるのはいつも女性であることも、肝に銘じていただきたい。

女性にも言いたい。そういう気持ちのない男性は、あなたの事を愛していません。「そんなの関係ねぇ!」という女性は、セッ〇スが気持ちいいからというだけで、好きになってしまったという”錯覚を犯している”だけです。それは新しい命に対して、大変失礼なことです。

 

障害やカサンドラとは、多分あまり関係のない ”いじめられやすい子供” について熱く語ってしまいましたが、本題に戻りましょう。

 

兄に関してですが、ここに実はあまり書きたくない思い出があります。

小学校1年生くらいの私は、姉に性的虐待に似たことをされていました。

4つも年上の大きくて重たい体が上にのしかかってきて、上から唾をはかれたり、下半身を脱がされて露わにされたり、それを兄に見せてこいという命令をされたりしたのです。

その命令をもし拒否したら、どうなるかはお分かりいただけますよね?幼く力のない私は、もっと酷い虐待を受けないためにもやるしかありません。

普通の人なら傍から見ていても、それが分かるはずです。

しかし中学生お兄はそれを見て、”何をバカなことをやってるんだ” という ”ろくでなし” を見るような顔をして横で騒いでいる私達を無視してTVを見続けていました。私は姉に同意してやっている風に見せていましたが、反面、心の奥では「分かるでしょ?助けて」と思っていました。が、兄にその思いが届くことはありませんでした。つまり兄にとっては、私はそういうことを自主的にする子なのです。

なんで紛らわしいことをするの?って思った人に言い訳を言いましょう。「私だって、兄が絶対に助けてくれるような人間だったら、素直に助けを求めています。」

他にも、私が小学校1年生のときに兄と一緒に登校させられていたのですが、家を出るときは一緒に出るのに、速足でドンドン先へ行ってしまい結局一人で登校していました。

このエピソードは後に一度だけ母に言いましたが、それは普通だと言われておしまいでした。なぜなら、母自身も小さくて足の遅い弟を置いてさっさと登校していたからだそうです。

現在、登校は1年生から6年生まで一緒にしている学校が多いと思います。そこでもし、6年生と5年生の子がみんなが遅いからという理由だけでさっさと先に行ってしまったら、どう思いますか?だいたい何のために一緒に登校しているんでしたっけ?

あと、2階の自室から降りて来た兄が、暇そうに居間でTVを見ていた私に向かっていきなり「ろくでもないな!」と言い放ったこともあります。えっと、私は宿題はちゃんと済ませています。あまりにいきなりで、なんと受け答えていいか分かりませんでした。またその心も不明です。

人としてドライで冷たいエピソードは、まだ沢山ありますが割愛します。

 

 父は私が寝起きの時に無理やりキスをすることが時々あって、気持ち悪くて困っていました。

ある日、母も兄も見ている朝にそれをやってきたので、”今日は助けてもらえる!”と思った私は、力いっぱい両手で押しのけながら(全然力は勝てなかったけど)大きな声で泣いたのですが、それを横目で見ていた母はアイロンをかけ続けていたし、兄も「うるせぇな」と言う顔で無視して朝からTVを見続けていました。

小学校4年生の私にとって、大嫌いな父に無理やりされるキスはレイプされるのと似たような感覚でした。しかもその時はクラスに片思いをしていた大好きな男の子もいましたので、余計に苦しかったです。

 

そこで、姉が40歳になってから、初めて聞いた(嘘つきなので本当か嘘か分からない)話なのですが‥‥

姉が小4で父親に性的虐待を受けていたというのです。ただ、姉は昔から被害妄想がひどい所もあるので、私と同じくらいのことをされていてもそう感じたかもしれません。

ただ、思うところがないわけでもないのです。

というのもある日、小学校1年生くらいの私が帰ってきて玄関を開けると、真っ直ぐすぐ見える場所に姉が壁にもたれていました。下半身だけ裸で〇〇〇を触りながら座っていたことがあったのです。

姉は父親の職場(うちは家の中に父の会社の小さな事務所がありました。)の方向を見て座っていました。しかし辺りには、姉以外は誰もいませんでした。

私は、姉の奇妙な言動を常々見せられていたので、自分で脱いで私にショックを植え付けようとしているのだろうか?とか考えたりしましたが、やはりショックだったし、彼女が何を考えているのか分からないので、声もかけられず後に母にも言えませんでした。(言ったところで母が正しい行動をしたでしょうか?)私自身、姉の奇行になるべく絡みたくなかった というのもあります。

そのエピソードは今でもあまりにもショックで鮮明に覚えています。

しかしもしかしたら、私に性的虐待の真似事をしたのも、父親にされていたからだと考えると しっくりくるのです。。。

 

 

一方母は、本当に女性として育てられたのか?と疑問を持つほど、女の子が洋服が欲しい気持ちや、好きな男の子がいること、お菓子作りをしたい気持ちやおしゃれをしたいという気持ちが 全くわからないようでした。

(家のローンもあってか)「お金がない」といつも言い聞かされていた為、洋服をせびることもできず我慢をしていました。

小学校4年生くらいから、姉が4~5年生だったときよりも体が大きかったので、地味な男色の兄のお古を着せられました。Tシャツもトレーナーも靴も全部です。

(だがその矢先の小学校5年の時に第一章に書いた『パジャマと40万円の鍋セット』のエピソードがあるわけですけど。)

ちなみに、この家のローンのせいで私は一人ぼっちの鍵っ子になったわけですが、私の部屋はないわけです。ここにもご注意を。

なんだかまとまりがなく私の愚痴で汚してしまい、申し訳ありません。

 

再び、父親に関してです。

父は自分の建てた家の一角に、そのとき務めていた会社の事務所を作りました。当初は、そこで働いていました。

父は性的に気持ちの悪い”何か”を持っているなぁと感じていました。子供の私がそう思えるエピソードがいくつかありますので、書けるものだけ書きます。

●私の寝起きに舌をいれるほどの気持ちの悪いキスをしてくる。(これについては、寝ているフリをする以外ありませんでした。起きて抵抗したら、もっと余計なことをされると思ったから。)

●お風呂上りに脱衣所で着替えていると、決まってパンツを履いたくらい時にドアを開ける。(姉もやられていたそうです。なぜ母が気づかなかったのか?また気付いていても注意しなかったのかは不明です。)

●その他

よって、私は防衛線を張りました。

髪をバッサリ切って(これは学校で担任の先生にいじめられ嫌なことが続き、白髪になり、次の年は自分を変えたかったからという理由もある。)家の中ではちょっと男っぽくし、TVでドラマのレイプの場面などがあったときには「こんなことをされたら、相手を殺すか自分が死ぬしかないよねー!」と言うなどです。私は内弁慶だったので、外では大人しかったけど家では大きめの声がでました。

姉が暴れたり母に文句を言って他人を変えようとする性格(結局17歳で家を出て行きましたが)なら、私は自分の工夫によってなんとか凌ごうとする性格でした。

そんなこんなで、私は、自分の子供の頃を思い出すとき、とても複雑な気持ちになるのです。

そして相変わらず、家族から見た私は いちばん甘えん坊でワガママな子供でした。少しでも私が何か主張すると、父には「我が強い子だ!」と言われ、兄には「ワガママだ」と思われるという具合です。母は私に躾をせず、私が何を考えているかも知りませんでしたし、気にも留めていませんでした。

(私の成績の良さも知らなかったので、自信のない私が行く高校を2ランクも下げたことを知らずに、そうなの、そこがいいならそこにしなさいね♪と言ってた人です。兄の時には凄く悩んでいました。子供3人いる中の末なのに、県内に何校あるのかも把握していないようでした。)

 

姉は自分の経済力も考えず家を出ましたが、私は家を出るまでに引きこもったりアルバイトをしたり、ある場所に逃げたり、紆余曲折ありやっとの思いで暗い伏魔殿を出ました。

 

よく、「なんでひきこもるのかわからない」とか「なんで働かないのか分からない」って言う親の立場の人っていますけど。

考えてみてください。ご近所はみんな、学区内の人です。クラスメイトなんです。

奇声あり・猫屋敷であり・友達を連れて来るのにためらうような家。

そんな家で育って、堂々と外に出て友達を作れると思いますか?

クラスでなんの噂もたたなかったと思いますか?

私が行く学校は、姉が先に卒業してるんですよ?先生にどんな目で見られたと思いますか?

親はいいですよね。ご近所さんなんて、たまに顔を合わせるだけの人ですから。自治会から抜ければそんなに付き合わなくてもいいし、職場だって嫌になったら辞めれるんですから。

 

 

続きます。