こんにちは。私は鍵っ子のメイです。
私はこうしてお人形ごっこや積み木をしていつも一人で遊んできました。
知らない人がチャイムを鳴らしても、大きな雷が鳴っても、悲しいことがあった日でも話したいことがある日でも、いつも側には誰もいません。
本当は寂しいけれど、お母さんもお父さんもお家のローンのために生活のために働いてくれているから仕方がないんです。
私がちゃんと留守番していればこの家の全ては上手くいきます。
そんな私の夢は、ひとつだけあります。
それは、家族の誰よりも先に死ぬことです。だって、いちばん小さい私がいちばん最後に残されるなんて耐えられないからです。こんなに寂しい思いをもうしたくないから。
でももし、その勇気がずーっとこの先も出てこなかったら、この家をこっそり出て行こうかと思います。でもそんな勇気私にあるかな?本当はどっちも怖いです。でもでも、それしか私が生きた証を残す方法を私は分かりません。私の存在を認めてもらうには、私という存在がこの家族から消えた時だと理解している、ただそれだけなのです。
一体いつ、どうしたら私は消えることができるのでしょうか?方法がぜんぜんわかりません。もう少し大きくなったら、考えようと思います。。。
メイはやがて、中学生になった。
ある晩、メイの母親が帰宅するとご飯の支度がされていないことに気づいた。いつもなら末っ子のメイが自ら進んで夕飯の用意をしていてくれるのに、その日のキッチンはまるで何も物を動かした様子がなかったのだ。
母はメイの部屋のドアをノックした。中を見たが、そこにメイは居なかった。
母親がメイの学校に電話してメイが帰宅していないことを告げると、学校からは今日は無断欠席しているという返答だった。
その夜、父親は家に帰ってこなかった。理由は分からないがいつものことなので放っておいた。
メイには姉がいるが、高校入試に失敗してしばらくしてから精神科に入院した。入院している理由は予備校にもアルバイトにもその他の学校にも行かず、ただ家にいるだけだったし暴れたからだ。幼少期はちょっとだけ変な子供なのだと思っていたが、家で暴れだした辺りから流石に手に負えず、嫌がる本人を無理やり病院へ連れて行って隔離してもらった。そうでもしなければ、母親はこうして再び安心して労働する日々は返ってこなかったであろう。
母親は多いにメイの行方を心配した。しかしその日は警察に届けず心配しながらも明日の仕事に備えて床についた。翌朝、殆ど眠れなかったことで心身が疲労していた。しかし、警察に届けると大事になると考えもう少し待つことにした。騒ぎ立てて、ご近所に知られたら恥ずかしかったからだ。
それでも仕事をしている時は全てを忘れられる。母親であることも、自分の分身であるはずだった子供が今や精神科に入院していることも。そして、いい子のメイが帰ってこないことも。
父親はその日も帰ってこなかったが、いつものことなので放っておいた。
警察に届けを出すと後でひょっこり帰ってきた時に悪いので、この日も届を出さなかった。メイの姉も中学の時に時折プチ家出をしていたから、思春期にはよくあるその類のことなのかもしれないと考えていたからだ。
1週間しても、1か月してもメイは帰ってこなかった。
母親はメイが帰ってこなくなってから約1週間後に警察に届けを出した。警察は土日はやってないと思ったり、仕事で忙しかったりしたからそこまでになってしまったのだ。
父親が家に帰ってきたのは届け出をだした次の日だった。
母親は仕事が休みの日に姉を見てくれている精神科の主治医のところへ行き、メイが居なくなってしまったことを話してみた。
母親は身だしなみはキチンとしていて背筋も伸ばしちゃんと主治医の目を見て話している。
母親「うち子は、育て方を失敗したんでしょうね?(笑)お恥ずかしいです。」
主治医「・・・・・・」
母親「メイはとてもいい子だったのに、どこへ行ったんでしょうか?やはり家出ですかね?」
主治医「さあ、それは分かりません。心配ですか?」
母親「そりゃあ、心配ですよ。母親ですから。」
精神科から戻ってくると、オレンジ色に染まったダイニングに腰を掛け、メイがまだ家に居た時のことを思い出していた。
夕飯をつくっておいてくれたことや、小学校の夏休みにはどこかで習ったケーキやクッキーを作って待ってくれていたこと、掃除のお手伝いもよくしてくれていた。学校の成績は中の上くらいだったが、宿題を忘れたこともなく毎日通学して極普通の子供だった。一体、あの子のどこに家出をする要素があるのかわからない。
父親と母親はずっと昔から別の寝室だ。結婚5年も経過すれば倦怠期もきてそうなるのは当たり前だ。だいたい、寝る時間も違うし二人で寝ることになんの意味も感じない。むしろ鬱陶しいだけだ。
それにしても、メイの姉が中学に進学して暴れだした時は酷かった。固定電話を壊したりキッチンのガラス扉を割ったりした。その度にせつない思いをして修理屋を呼んでお金を払った。あの子のためにいくら無駄なお金を払ってきたことか。子供というのはお金を稼がないから物を平気で壊す。だからそういう時は、こう言って注意する「お前は、私達(夫婦が)これを買うために何時間働いたと思ってるの!?自分で治せないなら壊さないで!」と。これだけ言っても分からないような少し異質な子供であった。宗教で習った『根本的な命は最初から決まっていて育ちや環境とは関係なくどう育てても汚い命は汚いのだ』と。あの子は最初から汚れた命をもって生まれたのだと納得している。しかし、メイに至ってはとても普通な子供だった。なぜ家出なんてしたのだろうか?
10年後、この夫婦は離婚した。
メイの姉は盗みを繰り返したため、刑務所にいる。メイは、まだ帰っていない。
母親は仏像に向かって宗教のお経を毎朝読んだ。メイが帰ってきますように。そしてメイの姉に私の思いが伝わって少しでも悪い子じゃなくなりますように。と。
更に、10年経った。
メイは帰ってこない。父親の行方は知らない。メイの姉は出所して母親と一緒に暮らす以外生きてゆく術がなかった。
母親は既に年金暮らしに入っていたが、年金の半分はメイの姉に使われた。彼女は主に食品と洋服ばかり買った。洋服は衣装タンスにもクローゼットにも入りきらないくらい持っているのに買い続けた。勿体ないからやめろと言っても聴いてくれなかった。
最初から汚れた命を持った者に話が通じるはずがないのだという諦めの境地に達するときもあるが、一緒に暮らすとそうも言ってられない現状もありやはり放っておくわけにはいかなかった。その度に、年寄仲間の友人に悩み事として話をしたが、なにも解決はしなかった。
メイの姉は毎晩のように母親の育て方と愛情不足を攻め立てた。そう言われているうちに、母親は自分の育て方も悪かったのだと反省するようになり反省の意を込めてお金を渡し続けた。メイがいなくなったのも自分のせいだろうかと考えるようになった。
メイの姉はお金が足りなくなると、すっかり歳を取って身体の小さくなった白髪だらけの母親に、愛情不足だったことや放っておかれたことを永遠に話した。それでもお金を出さないと蹴っ飛ばして金をせびった。
何度も季節はまわり、雪が降った。雨が降った。風の強い日も、とても晴れた真っ青な空の日も、公園のブランコはいつもと同じ姿でそこに佇んでいた。しかしメイは帰ってこなかった。
年月が経てば経つほど、母親の中でのメイが天使のようにいい子になってゆく。メイがいなくなったことで、毎日メイを思い出すことになった。夏が終わり、ちょっと散歩に出た小道で中秋の名月を見上げた時、ふと「あれがメイなんだ」と母親は思った。
おわり
私はこうしてお人形ごっこや積み木をしていつも一人で遊んできました。
知らない人がチャイムを鳴らしても、大きな雷が鳴っても、悲しいことがあった日でも話したいことがある日でも、いつも側には誰もいません。
本当は寂しいけれど、お母さんもお父さんもお家のローンのために生活のために働いてくれているから仕方がないんです。
私がちゃんと留守番していればこの家の全ては上手くいきます。
そんな私の夢は、ひとつだけあります。
それは、家族の誰よりも先に死ぬことです。だって、いちばん小さい私がいちばん最後に残されるなんて耐えられないからです。こんなに寂しい思いをもうしたくないから。
でももし、その勇気がずーっとこの先も出てこなかったら、この家をこっそり出て行こうかと思います。でもそんな勇気私にあるかな?本当はどっちも怖いです。でもでも、それしか私が生きた証を残す方法を私は分かりません。私の存在を認めてもらうには、私という存在がこの家族から消えた時だと理解している、ただそれだけなのです。
一体いつ、どうしたら私は消えることができるのでしょうか?方法がぜんぜんわかりません。もう少し大きくなったら、考えようと思います。。。
☆
メイはやがて、中学生になった。
ある晩、メイの母親が帰宅するとご飯の支度がされていないことに気づいた。いつもなら末っ子のメイが自ら進んで夕飯の用意をしていてくれるのに、その日のキッチンはまるで何も物を動かした様子がなかったのだ。
母はメイの部屋のドアをノックした。中を見たが、そこにメイは居なかった。
母親がメイの学校に電話してメイが帰宅していないことを告げると、学校からは今日は無断欠席しているという返答だった。
その夜、父親は家に帰ってこなかった。理由は分からないがいつものことなので放っておいた。
メイには姉がいるが、高校入試に失敗してしばらくしてから精神科に入院した。入院している理由は予備校にもアルバイトにもその他の学校にも行かず、ただ家にいるだけだったし暴れたからだ。幼少期はちょっとだけ変な子供なのだと思っていたが、家で暴れだした辺りから流石に手に負えず、嫌がる本人を無理やり病院へ連れて行って隔離してもらった。そうでもしなければ、母親はこうして再び安心して労働する日々は返ってこなかったであろう。
母親は多いにメイの行方を心配した。しかしその日は警察に届けず心配しながらも明日の仕事に備えて床についた。翌朝、殆ど眠れなかったことで心身が疲労していた。しかし、警察に届けると大事になると考えもう少し待つことにした。騒ぎ立てて、ご近所に知られたら恥ずかしかったからだ。
それでも仕事をしている時は全てを忘れられる。母親であることも、自分の分身であるはずだった子供が今や精神科に入院していることも。そして、いい子のメイが帰ってこないことも。
父親はその日も帰ってこなかったが、いつものことなので放っておいた。
警察に届けを出すと後でひょっこり帰ってきた時に悪いので、この日も届を出さなかった。メイの姉も中学の時に時折プチ家出をしていたから、思春期にはよくあるその類のことなのかもしれないと考えていたからだ。
1週間しても、1か月してもメイは帰ってこなかった。
母親はメイが帰ってこなくなってから約1週間後に警察に届けを出した。警察は土日はやってないと思ったり、仕事で忙しかったりしたからそこまでになってしまったのだ。
父親が家に帰ってきたのは届け出をだした次の日だった。
母親は仕事が休みの日に姉を見てくれている精神科の主治医のところへ行き、メイが居なくなってしまったことを話してみた。
母親は身だしなみはキチンとしていて背筋も伸ばしちゃんと主治医の目を見て話している。
母親「うち子は、育て方を失敗したんでしょうね?(笑)お恥ずかしいです。」
主治医「・・・・・・」
母親「メイはとてもいい子だったのに、どこへ行ったんでしょうか?やはり家出ですかね?」
主治医「さあ、それは分かりません。心配ですか?」
母親「そりゃあ、心配ですよ。母親ですから。」
精神科から戻ってくると、オレンジ色に染まったダイニングに腰を掛け、メイがまだ家に居た時のことを思い出していた。
夕飯をつくっておいてくれたことや、小学校の夏休みにはどこかで習ったケーキやクッキーを作って待ってくれていたこと、掃除のお手伝いもよくしてくれていた。学校の成績は中の上くらいだったが、宿題を忘れたこともなく毎日通学して極普通の子供だった。一体、あの子のどこに家出をする要素があるのかわからない。
父親と母親はずっと昔から別の寝室だ。結婚5年も経過すれば倦怠期もきてそうなるのは当たり前だ。だいたい、寝る時間も違うし二人で寝ることになんの意味も感じない。むしろ鬱陶しいだけだ。
それにしても、メイの姉が中学に進学して暴れだした時は酷かった。固定電話を壊したりキッチンのガラス扉を割ったりした。その度にせつない思いをして修理屋を呼んでお金を払った。あの子のためにいくら無駄なお金を払ってきたことか。子供というのはお金を稼がないから物を平気で壊す。だからそういう時は、こう言って注意する「お前は、私達(夫婦が)これを買うために何時間働いたと思ってるの!?自分で治せないなら壊さないで!」と。これだけ言っても分からないような少し異質な子供であった。宗教で習った『根本的な命は最初から決まっていて育ちや環境とは関係なくどう育てても汚い命は汚いのだ』と。あの子は最初から汚れた命をもって生まれたのだと納得している。しかし、メイに至ってはとても普通な子供だった。なぜ家出なんてしたのだろうか?
10年後、この夫婦は離婚した。
メイの姉は盗みを繰り返したため、刑務所にいる。メイは、まだ帰っていない。
母親は仏像に向かって宗教のお経を毎朝読んだ。メイが帰ってきますように。そしてメイの姉に私の思いが伝わって少しでも悪い子じゃなくなりますように。と。
更に、10年経った。
メイは帰ってこない。父親の行方は知らない。メイの姉は出所して母親と一緒に暮らす以外生きてゆく術がなかった。
母親は既に年金暮らしに入っていたが、年金の半分はメイの姉に使われた。彼女は主に食品と洋服ばかり買った。洋服は衣装タンスにもクローゼットにも入りきらないくらい持っているのに買い続けた。勿体ないからやめろと言っても聴いてくれなかった。
最初から汚れた命を持った者に話が通じるはずがないのだという諦めの境地に達するときもあるが、一緒に暮らすとそうも言ってられない現状もありやはり放っておくわけにはいかなかった。その度に、年寄仲間の友人に悩み事として話をしたが、なにも解決はしなかった。
メイの姉は毎晩のように母親の育て方と愛情不足を攻め立てた。そう言われているうちに、母親は自分の育て方も悪かったのだと反省するようになり反省の意を込めてお金を渡し続けた。メイがいなくなったのも自分のせいだろうかと考えるようになった。
メイの姉はお金が足りなくなると、すっかり歳を取って身体の小さくなった白髪だらけの母親に、愛情不足だったことや放っておかれたことを永遠に話した。それでもお金を出さないと蹴っ飛ばして金をせびった。
何度も季節はまわり、雪が降った。雨が降った。風の強い日も、とても晴れた真っ青な空の日も、公園のブランコはいつもと同じ姿でそこに佇んでいた。しかしメイは帰ってこなかった。
年月が経てば経つほど、母親の中でのメイが天使のようにいい子になってゆく。メイがいなくなったことで、毎日メイを思い出すことになった。夏が終わり、ちょっと散歩に出た小道で中秋の名月を見上げた時、ふと「あれがメイなんだ」と母親は思った。
おわり