1996年に発表された論文によると、洗練された認識論的信念(学習に対する考え方、思い込み)を持っている人は、享受側の誤答を修正する際に『なぜ誤答したのか』を突き止めることができたという。
また洗練された認識論的信念を持つ人は誤答に対して適切なものたとえや誘導を行うことができ、享受側の誤答に対し具体的に処理できていたという。地球平面説の保有をほのめかすような誤答に対しては、地平線の存在や世界一周達成時のエピソードを提示し、享受側が保有する説に享受側自身が疑問を抱けるような誘導を行ったのだそう。
そして洗練された認識論的信念をもつ人は効果的な学習戦略の使用頻度と評価が高く、このことが結果的に人にものを教えるときのプロセスを高品質なものにするという。「複雑で変遷し続ける知識の獲得に焦る必要はない」と悟る人たちが学習内容に対する批判的思考を否定することは、まずない。
別の研究では自主的で質の高い教えが享受側の学習戦略をより良いものにするという結果も出ており(Alf Lizzio 2010)、このことから、ものを教える人自身の学習に対する思い込みが、学習の質を左右する要因の1つであることが推測できる。
人にものを教えるのが上手な人は、たいていは「複雑で変遷し続ける知識の獲得に焦る必要はない」と悟っていることだろう。
ーーー「オマエタチには思考力が足りない、もっと自主的に学習しなさい」
では自主的な学習の具体案の提示を要求します、教授。
「教授であるわたくしにそんなこと聞くんじゃないわよ、自分たちでどうにかしなさい」
……言葉を選ばずに言いますが、そーいうとこだぞ豚野郎。
参考文献
Maher Z. Hashweh (1996) Effects of science teachers' epistemological beliefs in teaching.
Alf Lizzio,Keithia Wilson et al. (2010) University Students' Perceptions of the Learning Environment and Academic Outcomes: Implications for theory and practice.