昔、高千穂から少し東に、槇峰鉱山(まきみねこうざん)というところがありました。
宮崎県の西臼杵郡日之影町(にしうすきぐんひのかげちょう)と、延岡市北方町(旧東臼杵郡北方町)にまたがる、日本有数の銅山だったそうです。
明治生まれの、アタイの父方の祖父はそこの炭坑夫でした。
いつ頃の話かははっきりしませんが、祖父によると、昔はその辺りに河童が出ていたそうなのです。
「昔は見よった。」と言っていました。
しかも、なーんかそれっぽいものをチラッと見たような?
という感じではなく、河童の方も割と堂々と姿を現していたようですよ。
ここから以下は、祖父から直接聞いたのではなく、父が祖父から良く聞かされた話ですが。。。
父には、その歩き方まで真似て見せていたそうです。
その歩き方が、ガニ股&ペッタンペッタン横揺れ(≧∇≦)
片手で何かを肩に担いでいるような感じ。
何でしょう?ひょうたん?まさか、キュウリとか⁉️
そして、なんと鳴き方は、
「ヒョッ!」とか、「ヒョウ〜ヒョウ〜ヒョウ〜」だそうです。
ヒョウヒョウ鳴きながら、夕暮れ時にその辺を堂々とガニ股ペッタンで歩く河童。。。
まじか。。。
しかし、集落の言い伝えで、河童が出ると災いの前兆といわれ、非常に忌み嫌われる存在だったとのこと。
それは不思議なことではないですよね。
河童が出れば、人や家畜の遺体が川に浮くということなのでしょうね。
と、このような話を聞いて、自分なりに思うことは、どうも河童というのは、綺麗な川に棲む精霊でもなく、妖怪などの魑魅魍魎でもない。
一種の生命体で、現在は訳あって姿は見せないけれども、いなくなったわけでもなさそうです。
現に、高校時代の同級生が自転車で橋を渡りながら川を見たときに河童が泳いでいたそうで、「手に水かきもあったし甲羅もあった!」とパニクって大騒ぎしていました^^;
…誰も信じませんでしたが〜〜。
可哀想に〜。
明治生まれの祖父は河童を見たが、戦後生まれの父は見たことがない。
ということは、大正か昭和初期頃までは、河童は見られていた?
なので、姿を隠した理由は、そのすぐ後に何かあると思いますね。
昔の人は、「夕方には川に行くな」なんて良く言ったりしました。
アタイも祖母から、お盆期間と夕方は水辺に近付かないようにしつこく言われたものです〜。
こえー。
いかがでしたか?
河童の言い伝えは全国にありますね♪