8/15(水) 曇り後晴れ
同室のグループの女の子が 4時頃起き出した。
日の出を見るつもりだった様で 私も一緒に行こうかなあ、と思ったけれど 雨が降っていて ダメだった。
6時頃には 出発出来るようにしようと思って 6時前に起きた。
000.0 えりも岬YH 出発
結局 7時頃出発した。
YHで 1500円でエプロンを売っていて それに みんなで寄せ書きをするのだが 佐々木君は黄色のそれを買って 今日はそれをして走ると言って 着始めたので
私は「今日は離れて走る!」と言った。
エプロンライダーと言うらしい。
実は私も 昨日アルバイトの子に かなりすすめられたのだが 嫌だと言って買わなかった。(^_^)
昨日YHに泊まった人で 10人位は買っていた。
後で出てくる佐々木君の写真が そのエプロン。
かなり派手!
雨が降るかもしれない、と思い バッグはナイロン袋で くるんだが 一応止んでいたので カッパは着なかった。
もう えりも岬YHに来ることも無いと思うので ここに貼ります。
★現在の書き込み
実際には この後 えりも岬YHには
1990年か91年に1回(札幌在住時にバイクか車で)、
2000年に1回(横浜在住時にバイクで)、
2017年の閉所式に1回(横浜在住時に飛行機とレンタカーで)、
1984年の初回(愛媛県宇和島市在住時)と合わせると 4回来ることになった。
(YHには泊まらなかったけれど、えりも岬には 札幌在住時に 両親、家族、友達を乗せて 車で何度か来た。)
90年代は まだ大勢のホステラーで賑わっていて、ミーティングで歌う歌が「岬めぐり」から「リンダリンダ」に変わっていた。
私が「リンダリンダ」を知らないことに 回りが驚いていた。
「ドブネズミみたいに 美しくなりたい。」で始まる歌詞に 驚愕した。
2000 年に来た時は ホステラーは 数人で その激減振りに驚いた。
ミーティングで みんなで歌を歌うことも しなかった。
アップライトピアノが置かれていた。
2017年5月の閉所式は 往時を偲ばせる賑やかさで 楽しかった。
行く前に 佐々木君に
「エプロンライダーの写真を貼っているツーリング日誌を 閉所式に持って行って みんなに見せても良い?」と 尋ねたら 笑いながら
「容姿はすっかり変わってしまっているので いいよ。」とのことだった。(^_^;)
★ここから 過去のツーリング日誌に 戻ります。
やはり えりもの道は いい道だった。
早朝のため 霧が かかっていた。
観光バスを 何台も追い越して ハイスピードで 帯広へ向かった。
本当に 真っ直ぐの いい道が続いた。
8時半頃 ブルーで シャワー室などもある(テレビもある) ステキな喫茶店で 食事をした。
天気もよくなっていて 嬉しかった。
途中 足寄町を通ったが 警察署に 大きな看板?があって それに大きく
「松山千春の生まれた町を ゆっくり走ろう」
と 書いてあったのには 驚いた。
松山千春は ホントに 足寄町のヒーローなんだなあ。
094.2 07:57 給油 12L 1752円
同室のグループの女の子が 4時頃起き出した。
日の出を見るつもりだった様で 私も一緒に行こうかなあ、と思ったけれど 雨が降っていて ダメだった。
6時頃には 出発出来るようにしようと思って 6時前に起きた。
000.0 えりも岬YH 出発
結局 7時頃出発した。
YHで 1500円でエプロンを売っていて それに みんなで寄せ書きをするのだが 佐々木君は黄色のそれを買って 今日はそれをして走ると言って 着始めたので
私は「今日は離れて走る!」と言った。
エプロンライダーと言うらしい。
実は私も 昨日アルバイトの子に かなりすすめられたのだが 嫌だと言って買わなかった。(^_^)
昨日YHに泊まった人で 10人位は買っていた。
後で出てくる佐々木君の写真が そのエプロン。
かなり派手!
雨が降るかもしれない、と思い バッグはナイロン袋で くるんだが 一応止んでいたので カッパは着なかった。
もう えりも岬YHに来ることも無いと思うので ここに貼ります。
★現在の書き込み
実際には この後 えりも岬YHには
1990年か91年に1回(札幌在住時にバイクか車で)、
2000年に1回(横浜在住時にバイクで)、
2017年の閉所式に1回(横浜在住時に飛行機とレンタカーで)、
1984年の初回(愛媛県宇和島市在住時)と合わせると 4回来ることになった。
(YHには泊まらなかったけれど、えりも岬には 札幌在住時に 両親、家族、友達を乗せて 車で何度か来た。)
90年代は まだ大勢のホステラーで賑わっていて、ミーティングで歌う歌が「岬めぐり」から「リンダリンダ」に変わっていた。
私が「リンダリンダ」を知らないことに 回りが驚いていた。
「ドブネズミみたいに 美しくなりたい。」で始まる歌詞に 驚愕した。
2000 年に来た時は ホステラーは 数人で その激減振りに驚いた。
ミーティングで みんなで歌を歌うことも しなかった。
アップライトピアノが置かれていた。
2017年5月の閉所式は 往時を偲ばせる賑やかさで 楽しかった。
行く前に 佐々木君に
「エプロンライダーの写真を貼っているツーリング日誌を 閉所式に持って行って みんなに見せても良い?」と 尋ねたら 笑いながら
「容姿はすっかり変わってしまっているので いいよ。」とのことだった。(^_^;)
★ここから 過去のツーリング日誌に 戻ります。
やはり えりもの道は いい道だった。
早朝のため 霧が かかっていた。
観光バスを 何台も追い越して ハイスピードで 帯広へ向かった。
本当に 真っ直ぐの いい道が続いた。
8時半頃 ブルーで シャワー室などもある(テレビもある) ステキな喫茶店で 食事をした。
天気もよくなっていて 嬉しかった。
途中 足寄町を通ったが 警察署に 大きな看板?があって それに大きく
「松山千春の生まれた町を ゆっくり走ろう」
と 書いてあったのには 驚いた。
松山千春は ホントに 足寄町のヒーローなんだなあ。
094.2 07:57 給油 12L 1752円