西洋医療と東洋医療というような大きな分け方をされることもありますが
西洋医療は大きな病院体制で多くの患者、様々な症例に対応できる良さがあります。
東洋医療はそういった病院体制とは違った組織で運営されていたり
関わろうと自分から行かなければ何もわからない世界だったりもします。
生まれて成長するなかで体調が悪いとき、普通に行く病院は西洋医療側でしたし
それが普通の事だと思っていました。
でも、なぜ東洋医療はあまり親しみがなかったのでしょう?
主人が突然膵がんの末期であるということが診断され
その病院はがん専門ではない総合病院で
それでも主人の状態はCTなどの検査にも明らかで
検査結果を聞く段に「ご本人が全部聞きたいですか?」などという変な質問をされ
「そりゃそうでしょう。自分の体ですから」と主人も答え
そこで自分の命が短いと告げられた。
何も手の施しようがないとまで言われた。
こんな唐突な宣言ってあるのだろうか?きっと何かの間違いだ。と
主人も私も耳を疑い、
ちゃんとした先生に相談しよう、そうすればきっと違う判断があるはず。と
東京の一番間違いないと思う病院に予約して約一週間後に違う判断を聞けるはずだと期待して出向いた。
期待は脆くも崩れ落ちた。
検査結果のデータに目を通しただけ
何もできないと言われた。
主人の体には一度も触れずデータのみで命の期限を言い放った。
この病院に来たのは私の病気P-net患者会や勉強会で講演をされる先生がいるからで
膵臓にも詳しく医療設備も最先端、治療法もきっと革新的なものがあるのではないか?と期待したから
私が涙ながらにそういうと
「奥さんのP-netとは比べ物にならないものです。」とまで言われる始末。
こんなところに主人を連れてこなければよかった。
家族で大きな期待を持って主人の足元がおぼつかないので車いすで来た
その様子を見て
「もう歩くの大変ですか」と
普通の診察時間なのでそろそろ次の方の番なのでと診察室を出された。
それほど多くの会話もなく命の期限だけは念入りに言われたようにしか受け取れず
どれだけ辛い気持ちになったか…
傷に塩を塗られ何のフォローもないまま放り出されたような気分だった。
それでもまだ期待が持てると娘が調べてきたのは東洋医学の抗がん漢方で
保険診療外となることがホームページに記載されていて
予約も通常ならかなり先になってしまうけれども
主人の状況を話すと予約をずらして早く診てもらえることになった。
まず全く違うのは眼を見て話してくれること。
ベッドに寝てお腹を触診してくれたり脈をみたり、口を開けさせ舌の様子も診る。
ほかにもいろいろなチェックをしてもらって
普通に世間話もしながら笑い話にもしてくれて
主人も先生につられて笑えた。
すぐに涙。
涙を流しながら笑った。
主人はもうすっかり諦めの心境でいたけれど
先生が主人の体を触って丁寧に話してくださり
娘が同伴して一生懸命主人を助けている様子にも感激し
先生と笑って話せるなんて思いもしなかった。
それだけでもここに来た甲斐がある。と泣きながら喜んでいたのです。
診断では主人の体質的なことの良くない点、
改善策もいくつも教えてくださって
それをより効果的にする漢方薬を処方してくださって
次回の予約をした。
もうそれだけでもとてもうれしいことで
帰りの車の中では笑顔になれたし外が明るいことにも気が付きました。
主人にも気力が湧いてきたのが良く分かったんです。
今現在の主人には何が必要なのか この先生はとても大きな力をくださったと思います。
もっと早くこちらの先生にお会いできていたら…と思うと本当に残念です。
大きな病院でシステム化される医療を受ける。
そこでしかできない検査や治療もありますから…
でも、私どもではもうほかにできることがないんです。
なんて言われて命の期限を突き付けられた患者や家族はどう思うのか
こんなつらい思い、繰り返されてよいことではないと本気で思います。
西洋医療は大きな病院体制で多くの患者、様々な症例に対応できる良さがあります。
東洋医療はそういった病院体制とは違った組織で運営されていたり
関わろうと自分から行かなければ何もわからない世界だったりもします。
生まれて成長するなかで体調が悪いとき、普通に行く病院は西洋医療側でしたし
それが普通の事だと思っていました。
でも、なぜ東洋医療はあまり親しみがなかったのでしょう?
主人が突然膵がんの末期であるということが診断され
その病院はがん専門ではない総合病院で
それでも主人の状態はCTなどの検査にも明らかで
検査結果を聞く段に「ご本人が全部聞きたいですか?」などという変な質問をされ
「そりゃそうでしょう。自分の体ですから」と主人も答え
そこで自分の命が短いと告げられた。
何も手の施しようがないとまで言われた。
こんな唐突な宣言ってあるのだろうか?きっと何かの間違いだ。と
主人も私も耳を疑い、
ちゃんとした先生に相談しよう、そうすればきっと違う判断があるはず。と
東京の一番間違いないと思う病院に予約して約一週間後に違う判断を聞けるはずだと期待して出向いた。
期待は脆くも崩れ落ちた。
検査結果のデータに目を通しただけ
何もできないと言われた。
主人の体には一度も触れずデータのみで命の期限を言い放った。
この病院に来たのは私の病気P-net患者会や勉強会で講演をされる先生がいるからで
膵臓にも詳しく医療設備も最先端、治療法もきっと革新的なものがあるのではないか?と期待したから
私が涙ながらにそういうと
「奥さんのP-netとは比べ物にならないものです。」とまで言われる始末。
こんなところに主人を連れてこなければよかった。
家族で大きな期待を持って主人の足元がおぼつかないので車いすで来た
その様子を見て
「もう歩くの大変ですか」と
普通の診察時間なのでそろそろ次の方の番なのでと診察室を出された。
それほど多くの会話もなく命の期限だけは念入りに言われたようにしか受け取れず
どれだけ辛い気持ちになったか…
傷に塩を塗られ何のフォローもないまま放り出されたような気分だった。
それでもまだ期待が持てると娘が調べてきたのは東洋医学の抗がん漢方で
保険診療外となることがホームページに記載されていて
予約も通常ならかなり先になってしまうけれども
主人の状況を話すと予約をずらして早く診てもらえることになった。
まず全く違うのは眼を見て話してくれること。
ベッドに寝てお腹を触診してくれたり脈をみたり、口を開けさせ舌の様子も診る。
ほかにもいろいろなチェックをしてもらって
普通に世間話もしながら笑い話にもしてくれて
主人も先生につられて笑えた。
すぐに涙。
涙を流しながら笑った。
主人はもうすっかり諦めの心境でいたけれど
先生が主人の体を触って丁寧に話してくださり
娘が同伴して一生懸命主人を助けている様子にも感激し
先生と笑って話せるなんて思いもしなかった。
それだけでもここに来た甲斐がある。と泣きながら喜んでいたのです。
診断では主人の体質的なことの良くない点、
改善策もいくつも教えてくださって
それをより効果的にする漢方薬を処方してくださって
次回の予約をした。
もうそれだけでもとてもうれしいことで
帰りの車の中では笑顔になれたし外が明るいことにも気が付きました。
主人にも気力が湧いてきたのが良く分かったんです。
今現在の主人には何が必要なのか この先生はとても大きな力をくださったと思います。
もっと早くこちらの先生にお会いできていたら…と思うと本当に残念です。
大きな病院でシステム化される医療を受ける。
そこでしかできない検査や治療もありますから…
でも、私どもではもうほかにできることがないんです。
なんて言われて命の期限を突き付けられた患者や家族はどう思うのか
こんなつらい思い、繰り返されてよいことではないと本気で思います。