神様
神様
神様
自分の内も外も
天も地も
たてもよこも
前もうしろも
みんな
神様が
神の愛が
守っているのだということを
知ったら
もう
何も
こわいものは
ありはしない
昭和62年2月6日
世界平和の祈りは
かみさまの言葉
神様の愛の言葉
神からわかれた
私たちが
この祈りを
となえる時
私たちは
私たちの
ふるさとに
帰っているのだ
神の愛という
ふるさとに
帰っているのだ
優等生に
なろうと
おもわないで
いいのです
そのままで
世界平和の祈りを
して下さい
そうやってゆくうちに
自分も
自分のまわりも
おちついてきます
やさしい
やさしい
人に
なって下さい
いたわりのある人に
人の気持ちの
わかる人に
いくら
地位があったって
財産があったって
やさしさが
なければ
何もならない
人の
痛みを
傷の深さを
おもいやることのできる
人間にならなければ
何も、ならない
やさしさは
愛なのです
やさしくあろうと
するとき
人のいのちが
かがやいて
光そのものに
なってゆくのです
私達は
神の器
器には
何を盛れば
いいのか
ときかれたら
愛と祈り
といおう
私達のいのちは
愛と祈りによって
生かされているのだから
この肉の身をつらぬいて
神の愛の光が
みちているのだから
愛と祈りを
私達のなかに
盛ってゆこう
いくら
盛っても
あふれることがない
愛と祈りを
昭和62年2月6日 夜
今
愛が
神様の愛が
無尽蔵に
宇宙にみちていて
その愛が
私ども
一人一人の
なかに
ダーッと
ながれこんで
いるのです
光のシャワーを
あびつづけている
愛という
やさしさという
祈りという
いのちの水を
のみつづけている
これが
私達の
本来です
私達の
本来は
何かというと
霊のいのち
なのです
さわりというものの
一切ない
明るい
いのちなのです
神様は
明るい方です
愛にみちた方
ところが
肉をまとって
地球で生活している内に
自由な
愛そのものの霊のいのち
よりも
肉体の方を
主人だと
おもっちゃった
不自由な入れ物の方を
自分だと勘違いしちゃったんです
それじゃ
追っ払われた
霊のいのちは
今
どこにどうしているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥に
ちゃあんと
生きてるんです
みなさんの
肉のいのちを
やしなっている
こころを
魂を
やしなって
いるんです
このいのちは
人間から
決して
はなれた
ことが
ない
なぜなら
神様の
いのちだから
神様が
人間を
見捨てるなんてことは
一ぺんも
ないんだから
ずっとずっと
未来永劫
人間は
神様の
愛に
生かされて
ゆくのです
そして
この愛が
今
肉の身の
あなたを
よんでいるのです
そのまま
あるがまま
の
いのちを
すなおに
いきるとき
あなたの光が
かがやくのです
愛が
ひかって
ゆくのです
昭和62年2月6日 夜
自分の
本当の
姿を
掴んでゆきましょう
光そのものの
何も
迷いも
さわりも
ない
姿
それが
人間の
本当の
姿なのです
自分は
本当は
一切まよっていない
かなしんでいない
おそれていない
ただ
光かがやいている
そういう姿なのです
その姿を
しっかりとらえて
迷いも
なげきも
みんな
世界平和の祈りのなかに
入れて
すすんでゆきましょう
昭和62年2月6日 夜
愛のおもいで
人をつつむ時
愛の言葉を
人に語る時
その人は
光になっています
愛は神そのものの
すがただからです
どうしようとか
こうしてやろうとか
一切
そういう
おもわくを
はなれているからです
無になってんですよ
無になろうとおもわないで
無になっている
空になろうとおもわないで
空になっている
そういう状態です
だから光るわけ
何にもおもわないで
ただ空っぽになって
相手が愛しくて愛しくて
たまらないのね
みなさんだって
そういう時があるでしょう
そういう時
みんな光ってるんですよ
光になってるの
愛になっているの
愛というのは
やさしさだからね
相手を思いやる心ですよ
たとえば誰か
気になる人の天命を
祈りまさあね
その時みなさん
どうですか
自分のことはおもってないでしょう?
これが
大事なんですよ
ね、わかります?
自分のことを
忘れてね
しかも義務的に
相手のことを
おもうんじゃなくてね
もう芯からおもうということね
これが
こういうのが
ずーっと一人びとりに
行き渡っているのが
神様の愛なんです
それはもう
愛で愛で愛で
つまっている
いっぱいになっている
途方もなく
深い愛ですよ
人間は
ここから
分かれてきた
生命ですからね
出来がわるい筈がない
みんな光ってるんですよ
人を愛しくおもう時に
その光はつよまるけれど
今に
元の元が
ずっと光ってるということが
わかればね
もう
いつも
まぶしいくらいに
光りますよ
今だって
光ってるんだよ
人間が
神の愛し児だっていうことを
心にね
本心の自分に
深く深く
とどかせるために
世界平和の祈りが
生まれたんです
それで
本心の自分と
いつかは
みんな
会ってゆくようになるんですよ
五井先生は
今
そのお手伝いをしてるんです
昭和62年2月7日
神様
神様
自分の内も外も
天も地も
たてもよこも
前もうしろも
みんな
神様が
神の愛が
守っているのだということを
知ったら
もう
何も
こわいものは
ありはしない
昭和62年2月6日
世界平和の祈りは
かみさまの言葉
神様の愛の言葉
神からわかれた
私たちが
この祈りを
となえる時
私たちは
私たちの
ふるさとに
帰っているのだ
神の愛という
ふるさとに
帰っているのだ
優等生に
なろうと
おもわないで
いいのです
そのままで
世界平和の祈りを
して下さい
そうやってゆくうちに
自分も
自分のまわりも
おちついてきます
やさしい
やさしい
人に
なって下さい
いたわりのある人に
人の気持ちの
わかる人に
いくら
地位があったって
財産があったって
やさしさが
なければ
何もならない
人の
痛みを
傷の深さを
おもいやることのできる
人間にならなければ
何も、ならない
やさしさは
愛なのです
やさしくあろうと
するとき
人のいのちが
かがやいて
光そのものに
なってゆくのです
私達は
神の器
器には
何を盛れば
いいのか
ときかれたら
愛と祈り
といおう
私達のいのちは
愛と祈りによって
生かされているのだから
この肉の身をつらぬいて
神の愛の光が
みちているのだから
愛と祈りを
私達のなかに
盛ってゆこう
いくら
盛っても
あふれることがない
愛と祈りを
昭和62年2月6日 夜
今
愛が
神様の愛が
無尽蔵に
宇宙にみちていて
その愛が
私ども
一人一人の
なかに
ダーッと
ながれこんで
いるのです
光のシャワーを
あびつづけている
愛という
やさしさという
祈りという
いのちの水を
のみつづけている
これが
私達の
本来です
私達の
本来は
何かというと
霊のいのち
なのです
さわりというものの
一切ない
明るい
いのちなのです
神様は
明るい方です
愛にみちた方
ところが
肉をまとって
地球で生活している内に
自由な
愛そのものの霊のいのち
よりも
肉体の方を
主人だと
おもっちゃった
不自由な入れ物の方を
自分だと勘違いしちゃったんです
それじゃ
追っ払われた
霊のいのちは
今
どこにどうしているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥に
ちゃあんと
生きてるんです
みなさんの
肉のいのちを
やしなっている
こころを
魂を
やしなって
いるんです
このいのちは
人間から
決して
はなれた
ことが
ない
なぜなら
神様の
いのちだから
神様が
人間を
見捨てるなんてことは
一ぺんも
ないんだから
ずっとずっと
未来永劫
人間は
神様の
愛に
生かされて
ゆくのです
そして
この愛が
今
肉の身の
あなたを
よんでいるのです
そのまま
あるがまま
の
いのちを
すなおに
いきるとき
あなたの光が
かがやくのです
愛が
ひかって
ゆくのです
昭和62年2月6日 夜
自分の
本当の
姿を
掴んでゆきましょう
光そのものの
何も
迷いも
さわりも
ない
姿
それが
人間の
本当の
姿なのです
自分は
本当は
一切まよっていない
かなしんでいない
おそれていない
ただ
光かがやいている
そういう姿なのです
その姿を
しっかりとらえて
迷いも
なげきも
みんな
世界平和の祈りのなかに
入れて
すすんでゆきましょう
昭和62年2月6日 夜
愛のおもいで
人をつつむ時
愛の言葉を
人に語る時
その人は
光になっています
愛は神そのものの
すがただからです
どうしようとか
こうしてやろうとか
一切
そういう
おもわくを
はなれているからです
無になってんですよ
無になろうとおもわないで
無になっている
空になろうとおもわないで
空になっている
そういう状態です
だから光るわけ
何にもおもわないで
ただ空っぽになって
相手が愛しくて愛しくて
たまらないのね
みなさんだって
そういう時があるでしょう
そういう時
みんな光ってるんですよ
光になってるの
愛になっているの
愛というのは
やさしさだからね
相手を思いやる心ですよ
たとえば誰か
気になる人の天命を
祈りまさあね
その時みなさん
どうですか
自分のことはおもってないでしょう?
これが
大事なんですよ
ね、わかります?
自分のことを
忘れてね
しかも義務的に
相手のことを
おもうんじゃなくてね
もう芯からおもうということね
これが
こういうのが
ずーっと一人びとりに
行き渡っているのが
神様の愛なんです
それはもう
愛で愛で愛で
つまっている
いっぱいになっている
途方もなく
深い愛ですよ
人間は
ここから
分かれてきた
生命ですからね
出来がわるい筈がない
みんな光ってるんですよ
人を愛しくおもう時に
その光はつよまるけれど
今に
元の元が
ずっと光ってるということが
わかればね
もう
いつも
まぶしいくらいに
光りますよ
今だって
光ってるんだよ
人間が
神の愛し児だっていうことを
心にね
本心の自分に
深く深く
とどかせるために
世界平和の祈りが
生まれたんです
それで
本心の自分と
いつかは
みんな
会ってゆくようになるんですよ
五井先生は
今
そのお手伝いをしてるんです
昭和62年2月7日