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青空ーすべてはバランス

縄文時代はどんな時代?part4 遺跡の分布

6 縄文人の骨と遺跡分布
縄文時代は1万年以上も続いている。縄文人の骨も北海道から沖縄まで広い地域で見つかっている。何故か?
骨が発見されている所は、カルシウムを多く含む貝塚やその周辺に埋葬されている場合が多く保存状態が良いからだという。

①骨の特徴
早期・前期の時代の骨は割と華奢なのに、中・後・晩期になるとがっしりとたくましくなつてくる。食生活が良くなって安定してくるのだろうか?
現代の本土日本人と比べると眼窩は上下に短く鼻筋が通っている。最初の頃は丸っこい顔だったのが中期以降は顔が長くなるが、顔面の幅や脳頭蓋の大きさに変化はない。中期以降の平均身長は男性158cm、女性149cmくらいだったらしい。

②遺跡の数はどのくらい発見されているのか?
2013年3月に文化庁が発表したデータは9万531か所。すごい!!!
旧石器時代から江戸時代までのすべての遺跡は46万5021か所。単純計算で、1県あたり約1万か所。日本の国土面積から計算すると、1平方キロ・メートルあたりの遺跡数は1・2か所となり、この遺跡密度は世界最高ランクに位置づけられるとされている。 

③気候変動の影響
海水面の変化
11600年前から地質学的は更新世後期(氷期)から完新世(間氷期)に入る。縄文時代のナウマン象・ヘラジカは更新世末までに絶滅し、オオツノジカも縄文時代草創期までには絶滅した。更新世の大型獣にかわって、動きの早いニホンシカとイノシシを中心とする動物に交代する。海水面はかなり上昇してくる。
草創期(16000-12000年前)は寒冷乾燥時代で針葉樹林体が西日本にまで広がっていたようです。早期(12000-7000年前)になると次第に温かくなる。前期(7000-5500年前)は現在の植生とほぼ同じだとされる。そして、縄文海進と呼ばれる海水面の上昇(4m)が起こり、現在の内陸部に貝塚がみられるようになる。落葉広葉樹や照葉樹が増えてきて食料となる木の実が増えてくる。北海道から南へ針葉樹林帯→落葉広葉樹林帯→常緑広葉樹林帯→沖縄は亜熱帯常緑広葉樹林帯という分布となる。中期(5500-4500年前)はかなり温暖な気候ではないかと思われる。遺跡から発掘される土器や道具類も進歩している。
中期には現在と同じくらいの海水面となり後期(4500-3300年前)から晩期にかけては温度が2℃下がっていく。

④人口と遺跡の分布
一番人口が圧倒的に多くなるのは中期で25-26万人と予想されている。草創期はまだ寒冷な気候で人口は少ないが、暖かくなるにつれて人口は増加する。晩期に再び寒冷化し人口は激減し衰退する。
遺跡の分布と人口は、中部北陸から関東東北が圧倒的に多い。ただし、西の地域の中で九州は圧倒的に多い。
何が考えられるのか?
・温暖化が進むにつれて縄文後半から東の地域が暖かく活動しやすくなった。
・火山の多い地域に自然の恩恵がもたらされていたのではないかという説もある。(川・湖・池・土壌・鉱物等による恩恵。)

色々と調べるうちに縄文時代に興味が湧いてくる。自然の厳しさとともに歩んでいたことも分かる。もっと詳しく知りたいと思った。小集団がともに生きていくことはやさしいことではないはずです。そして各地域ごとの環境によってその地域独特の特徴もあったはずです。これからも調べていきたい。

北代遺跡 住居内の様子の展示から

参考資料
国立科学博物館
奈良文化財研究所

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