アメリカの東インド艦隊司令長官ペリー率いる黒船が1853年(嘉永6年)に来航した。その翌年、徳川幕府はアメリカと「日米和親条約」を結び、日本は開国。その15年後の1868年に明治時代が始まった。なんと200年以上もステイ日本列島だったことになる。
スペインやポルトガル、イギリス、オランダが入り込もうとしていたのを追い払い小窓にオランダのみを入れて長い眠りについたというのに、目覚めてみると、今度はより強力な侵略者たちが待ち構えていたんだんからやってられない。ロシア、アメリカ、イギリス、フランス。
これらの国々は、アジアにおける覇権を強め,勢力圏競いをしながら東南アジアの各港に植民地都市を建設していたからアジアはもうボロボロだ。そこでは,すでに禁止されていた黒人奴隷に代わる労働力が必要とされ,そこへ移動させられることになる。
日本列島が眠っていた約200年余りに世界ではいろんなことが起きている。あまりに多くて困るが、大航海時代に発見されたアメリカが独立したことやフランス革命なる出来事があったこと。中世の宗教的な時代から市民意識の芽生えがあったこと。そして産業革命で大きく社会が変わっていることなどが主な出来事でしょうか?相変わらず戦争が多発していました。
産業革命は、綿織物の技術革新、製鉄業の大規模化、そして蒸気機関の開発による動力源の確保により、工場ができ、機械工業が始まる。また蒸気船や鉄道が発明され交通革命が起きている。
産業革命は、綿織物の技術革新、製鉄業の大規模化、そして蒸気機関の開発による動力源の確保により、工場ができ、機械工業が始まる。また蒸気船や鉄道が発明され交通革命が起きている。
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当時は国家によって派遣された役人や、海外の新しい知識を得ることを目的とした学者などの限られた人たちしか、海外渡航をすることはできませんでした。だから、これら少数の人たちが改革しようとしても、絶対的多数の日本人は精神的に江戸時代の感覚から抜けきれず、近代化は思うようにいかなかったと考えます。
しかし、日中戦争から太平洋戦争が始まる頃までに実は多くの人が日本から海外に移動している。国策としての移民として。
しかし、日中戦争から太平洋戦争が始まる頃までに実は多くの人が日本から海外に移動している。国策としての移民として。
1885年(明治18年)に「官約移民」と呼ばれる、明治政府が正式に認めた移民が開始される。シティー オブ トウキョウ号で945名ほどの移民がハワイのホノルルに到着した。1894年までに、両政府間の契約で約2万9千人余りの日本人がハワイの各島の砂糖農園に入植した。当初は3年契約だったようですが、そのまま定住した人もいた。その後も入植者は増え続けて1924年頃までに約20万人となった。大変な数だ。一部はニューカレドニア、オーストラリア、フィージーに渡る者もいたようだ。
ロシアが極東に進出して労働力不足に陥っている時に日本からの労働者が極東地域で働いている。1906年時点で約4700人いたという資料がある。この時若い女性たちも多くいたとされている。
1899年にはペルーへの最初の契約労働者渡航が始まり、ブラジルなどの南米への移民が増加していく。同時にフィリピンや東南アジア地域にも広がる。カナダやアメリカへの移民も増加。戦争で支配下に入れた国々にも当然、移植民として何十万人も渡って行ったようだ。
1931年の満州事変以降に日本からの満州国への移民が本格化。日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青年を、1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込んでいる。満蒙開拓移民だ。1945年まで続いて27万人となっている。
明治から太平洋戦争まで、日本は貧しく苦しい時代が続いた。戦争が続いた。その中で、自由な移動は制限され、移民だけが許された。何と多くの人たちが勇気を出して希望を抱いて海を渡ったことだろう!何も保証もない見知らぬ土地だ。そして悲惨な結末を迎えることになる。多くの人が命を落とすことになる。
日本人が自由に観光目的で海外に行くことができるようになったのは、戦後の1964年(昭和39年)4月1日以降です。長い歴史を考えると、ついこの間のようなものです。本当の開国がやっと始まった。
年1回500ドルまでの外貨の持出しが許されたことによる。さらに1966年(昭和41年)1月1日以降は、1人年間1回限りという回数制限も撤廃され、次第に増加していく。1972年には海外渡航者数が100万人を突破する。
ところがどうだろう。昨年2020年に移動の歴史に残る最新の大きな出来事が起こった。蔓延した新型コロナウイルスにより海外旅行が制限されるとは誰が予想していただろうか。「Go To トラベル」という奇妙な政府の政策も歴史に残るだろう。
年1回500ドルまでの外貨の持出しが許されたことによる。さらに1966年(昭和41年)1月1日以降は、1人年間1回限りという回数制限も撤廃され、次第に増加していく。1972年には海外渡航者数が100万人を突破する。
ところがどうだろう。昨年2020年に移動の歴史に残る最新の大きな出来事が起こった。蔓延した新型コロナウイルスにより海外旅行が制限されるとは誰が予想していただろうか。「Go To トラベル」という奇妙な政府の政策も歴史に残るだろう。
注:今回の記事は、思いつくままに出来事を並べていったのでまだ大きな出来事があったかもしれない。あくまで私の個人的な歴史の知識によるものです。
イラストは