茶室では、五感がひらく~ような演出がなされているのかもしれません~
そう、そして、次は、モデリングです。
ご承知のようにお茶はお稽古するわけで、お手本、モデルである先生に倣って
形から入ります。身体感覚からモデルを身につけます。
モデリングとは形、もっとも良い形を身につける事です。
日本の文化は型をベースに成り立っています。
型は先人たちがもっとも効果的に物事を学ぶためにエッセンスだけを引き出し、
ずっと引き継いできたモデル=財産だといえます。
お茶席にお招きを受けたら、初めてのときはもちろん、そうでなくても
お客様は皆、他のお客様がなさるように振る舞います。
同じように礼をして同じように足をすすめ、同じようにあいさつします。
ペーシング。
相手にペースを合わせるから、ペーシングです。
同じ振る舞いをして同調するのです。
最初は、なんだか同じって窮屈と思っていましたが、
実は同じように動作するというのは、モデリングであると同時に、
一体感を創り出す、とても大切な過程だったのです。
自分と同じような人に、人は、違和感を感じませんよね?
そしてまた、同じような服装で、同じような動作、同じような言葉遣い、話し方を
それぞれが行うからからこそ、実は、個々の違い、微細な差がくっきりと
浮かびあがってくるのです。
個性というよりその人の本質さえも同じことをする中で際立ってくる。
これは美しいパラドックスなのかもしれません。
そしてやはりここでも微細な変化に気づくということが
大きな変化を誘発する切っ掛けになります。
個性と本質
制服は、同じ形、同じ色でできていますよね。そんなことは、当然ですと、
そうおっしゃらずに・・・。
おなじであるからこそ、違いがわかる。
これが、パラドックスなのです。
同じようにふるまうからこそ、より一層内面がわかるのです。
私は前職では、客室乗務員として乗務しておりました。
乗務員は、皆、同じ制服を着ています。
同じ制服だからこそ、着こなし方でその方の内面がより一層わかる
ということなの です。
つまり、きちんとした方は、きちんと着こなします。でも、そうでない方は、
なんとなく気崩してしまいます。
同じだからこそ、その方の人となりが、よくわかってしまうのでしょう。
個性って一体なんなのでしょうか?
個性的な服装では、内面は、埋没してしまって、見えにくくなります。
おなじだからこそ、違いが際立つのではないでしょうか。
そして、私たちは、暗黙知といわれている部分、
経験や勘に基づく知識、言葉などで表現が難しいところまで、
モデリングによって、会得しようとしているのです。
それこそが、マニュアル化できないところ。
学びにとってもっとも重要な部分です。
『暗黙知』:(Tacit Knowing)
存在するものから発見する際に働く知。暗黙のうちに知っている、気づいて
いること。というマイケル・ポランニー(1891~1976) ハンガリーの化学者の
暗黙知の意味を 「暗黙の知識」=経験や勘に基づいた言葉や図式に表せない
知識と「野中郁次郎」が読みかえた。
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