みなさん こんにちは! 施設長です。
だいぶ前の話になりますが・・・
今から36年前になる昭和55年に、河口湖南岸に位置する旧勝山村に過去九百年の長きにわたり続いていた「武田流・流鏑馬」が84年ぶりに復活しました。これと同時に「甲斐の勝山・富士山やぶさめ太鼓」が誕生しました。
何を隠そう私も初代の太鼓メンバーでした。
この曲の作曲者は和太鼓の第一人者、故天野 宣氏です。旧勝山村にゆかりのある「武田流・流鏑馬」の神事を元にこの曲は作られました。
この「武田流・流鏑馬」の神事が、「素馳(すばせ)」「序の太鼓」「破の太鼓」「止めの太鼓」の四区分から構成されていたことにより、当時としては全国的にも珍しい音楽性を高めるための副題付きの「四楽章からなる組曲」として作曲されました。このため「甲斐の勝山・富士山やぶさめ太鼓」には、太鼓の合図により執り行われる「武田流・流鏑馬」の神事の様子が現代的リズムで表現されたのです。
その富士山やぶさめ太鼓をなんと富士山の山頂で演奏したことがあるんですよ⤴
でも山頂で太鼓をたたく発想なんて考えられませんよね。当時の勝山村にはそれだけのパワーがあったんですよ!
さすがに太鼓は重いのでブルドーザーで山頂まで運搬して貰い、自分たち太鼓メンバーはひたすら富士山頂を目指し歩み続けました。
山頂に到着して少しの仮眠をとった後、高山病で起きられないメンバー1人を除き身支度を整え、太鼓をセットし、ご来光を待ちました。 やがて・・・
徐々に周りが青くなっていき、そして太陽が昇る場所が赤くなり、そして太陽が姿を見せた瞬間 演奏開始です。見事に鮮やかなご来光が太鼓メンバーを迎えてくれたのでした。\(^o^)/
ちなみに、本日の富士山は、空気が澄んでいて遠くまで見渡せたけれど、雲が多かったため綺麗なご来光を拝むことは出来なかったようです。