WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

まっとうに生きるにゃあ

2006年10月29日 | 世間考
「希望格差社会」を遅らばせながら義母に借りて読む。
概要はというと世の中1998年くらいを境にどんどん不安定になってきていて、その原因はというと、一つは「リスク化」、もう一つは「二極化」っつうものが挙げられるそうな。

「リスク化」っつうのは、高度成長期は社長になるだとかビッグになるだとかわざわざリスクしょいたがるヤツはともかく、分相応に平凡に暮らしたいと思えばそれなりの職につけて、それなりに結婚して、それなりの家庭を築けたらしい。うちの両親しかり。けど、昨今の世の中じゃあ、フリーターや契約社員としてしか働けないだとか、正社員になってもいつリストラされたり、会社がつぶれるかわかんないし、結婚してもいつ離婚するかわかんないし、自分の老後も、我が子の教育もまともに受けられるかどうかわからん、まったく先行き不透明でリスキーな世の中になっちまった。つうことらしい。

「二極化」っつうのは、能力と運と親のコネと財産を兼ねそろえた特別な人はより金持ちになり、人並みとそれ以下の人は貧乏になるっつう現象で、前者は専門能力が身に付いて管理職、高給取りになり、大多数の後者は仕事能力の向上の機会のないまま一生単純労働をするはめになるそうな。
さらに金持ち同士のカップルがくっついて家庭を築き、子供を産んで、子供に投資して立派な大人に育てあげる一方、貧乏人同士のカップルもくっつき、子供は大して学もないし、金もコネもない状態で社会に放り出され、世代を経るごとにこの格差はいかんともしがたくなるそうな。

「リスク化」「二極化」が原因で努力しても報われない現実があるがゆえに、人は希望を持ちにくくなっているのだっつうことを、仕事、家庭、教育の場の具体例を交えつつ論じていく本。だ。と思う。


んで、この本のいいとこは、貧乏人は努力しない本人に問題があるだとか、フリーターという生き方をあえて選んだ本人が悪いのだだとか、そういう個人に責任を負わせる物言いを否定して、そうせざるをえない社会構造に問題があると論じていること。
けれども、社会構造に問題があると言っちゃったからどうしても、世の庶民が希望を持つための解決策が政策レベルの話になってしまい、んじゃ僕ら庶民には清き一票を左翼政党に投ずること以外どうすることもできないのか、っつうことになる。
結局、個人レベルでは、頑張るだとか、資格をとるだとか、日経やらプレジデントやら自己啓発本を読んだりだとかして、なんとか勝ち組列車に乗るか、神様仏様にお祈りとかお布施とかしないと希望は見いだせないないわけで。
まっとうに仕事してまっとうに結婚してまっとうに生活するっつーのはもはや無理な気がした。どよーん。


この本で気になったこと、前近代の仕事はもっぱら世襲制で、生活のために食いっぱぐれないために働いたそうだけれども、近代では仕事が「アイデンティティ」の一つになっているという物言い。
会社が仕事を通じて従業員をアイデンティファイして、従業員がアイデンティティを確立していくっつう装置が近代が始まって以来うまく機能していたらしい。
でも僕はそもそもアイデンティティなんつうもんは信用していなくて、前近代の庶民はアイデンティティなんつう言葉が存在しなくてもそれなりに、したたかに楽しみながら生活していたと思う。網野善彦の本なんか読むと被支配階級のしたたかでいきいきした暮らしぶりがわかる。
この本ってなんか進歩主義的な流れの中で現在が閉塞してしまっているっていう見方をしていて、なんかそこら辺がしっくりこなかった。
僕は近代の中で死にかけでかろうじて息をしている前近代の庶民の生き様(渥美清の寅さんや植木等のサラリーマンとか)に未来の希望を感じたいと思った。


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