WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

さよならアメリカさよならニッポンさよなら地球

2006年05月03日 | 世間考
こないだアースデイなるイベントに仕事の都合でかり出された。その感想をシニックにやってみる。

消費社会論で有名な現代思想家、ボードリヤールが言うところによると、今日の消費は、商品の機能が消費欲求を充足させるためにあるのではなく、人々が互いに差異化を競う営みである、そうな。

ひと昔前、僕らの親は、「ピアノ」や「ビデオカメラ」をそれ自体の効用や機能のために買うのではなく、豊かさを象徴するためや、隣近所と差異化をはかるために買っていた。
それが、今は「ロハス」や「スローライフ」というくくりで消費されるものに、置き換わった。と僕は思う。
モノの効用や機能を買うのではなく、モノが象徴する「豊かさ」とか「ちょいワル」とか「セレブっぽい」とか「地球にやさしい」とかいうのを演出したいからモノを買う消費の傾向を、「記号としての商品の消費」というのだそうな。

「ラブ&ピース」だの「オンリーワン」だの「みんなちがってみんないい」だのそういったアーシーな言説は、差異化のくくりの中で繰り広げられる消費ゲームの延長だと思う。


アースデイでは様々な国の個性的な雑貨や食品が売買されているが、そこで一番希薄だったのは、「日本」だった。
確かに日本風の着物を着た個性的な若者がいたり、ほうきや手ぬぐいなど伝統工芸風のモノが売買されてたりするのだが、どうもイチイチステレオタイプな「日本風」なのだ。

これはボードリヤールの言う、機能を持たず雰囲気だけしか示さない「ガジェット」ではないのかしら。

そういう目線でここにあるモノを見ていると、そこかしこに並んでいるエスニック雑貨は、今でもその国のその社会でちゃんと機能を果たしているモノなのか疑わしくなってくる。

単純で短絡的な「エキゾチズム」とか「地球にやさしい」とかを演出したいがために消費してるんじゃないか、とか思いながら僕は、i-PATHのサマーニットとRIVITYのバックを購入した。
消費は人々が自己のアイデンティティを社会において定位する活動であり、モノの機能や効用は無意味化され、差異だけが意味を持つのである、とか思いながら僕は、PHATEEのショートパンツを購入した。
まさに僕は「はいからはくち」状態。


んで、むこう5年分の「ラブ&ピース」を食傷気味に吸い込んだ帰り、公園通り~センター街を通って渋谷駅に向かった。
ここではアースデイとは真逆の切り口で差異化をアピールしてるんだな、とても極端な場所だな、と思った。プラマイゼロとも思った。んでどっちも過去の日本との連続性が思いっきり分断されてるなぁ、と井の頭線に揺られながら思った。


ps.このイベントに行く前「消費資本主義のゆくえ 松原隆一郎」と「リアリティ・トランジットー消費社会の現在 吉見俊哉」っていう本を立て続けに読んだので、こんな小賢しいことが思い浮かんだ。でも実はなかなか楽しかった。



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