「消費は投票だ」そうな。坂本龍一曰く。公正で環境に負荷をかけない商品を消費者が選び購入することで持続可能な社会をつくりましょう。とのこと。
例えば第三世界で不当で劣悪な労働を強いられているコーヒーやカカオの生産者がいます。それはよくないことだと思いませんか? だから、オーガニックの農業でつくられた農産物を公正な取り引きによって流通させましょう。んでその商品を私たちが買いましょう。その商品を購入し、支持することが持続可能な社会につながります。
それを「フェアトレード」というらしい。
「消費は投票である」という言葉、僕は以前からしっくりきてない。そもそもフェアトレード商品はバカ高ぇ。スーパーで売られているチョコやコーヒーの2、3倍は平気でする。
つまり貧乏人には投票する権利は無い。金持ってれば持っている程多く投票できる。なんてアンフェアなんだ。
あと、その投票的でフェアな消費とやらが上手い具合に機能したとしたら、当然第三世界の生産地に産業が根付く。んで、産業が根付くとそれなりの規模に施設が拡大もするし、労働力も集まる。
投票(消費)している間はそれなりに上手くお金が循環して、それなりに生産規模も大きくなり、そこに住う人の生活も潤うだろうけど、いざ投票しなくなったら、つまり消費者がその商品に飽きたり、ロハスブームが過ぎ去ったりしたら、その生産地の設備やそこで生活している人達はどうなるんだろう。
第三世界の岩塩だのオーガニックジャムだのハーブティだの、ご当地の骨だか石だかのアクセサリーだの、、そもそもフェアトレード商品は僕らにとって嗜好品であり、持続して購入するような性質のものではない。持続して使い続けるものというのはその土地々々の文化的な土壌が大きく関係しているわけで、僕らにとっては味噌とか醤油とかお茶とかそういうものだ。(そういうものですら僕らはよく理解できてないのだけれども…)
何も文化的な土壌がない珍奇な商品を継続して使わなければ公正で持続可能な社会がつくれないというのはおかしい。
僕はマーティンデニーとかアーサーライマンの音楽のような、数寄の精神と軽薄なエキゾチズムで消費するのが良い。うまく説明できないけれど。
ヒッピーとかむげん堂みたいなノリも嫌だし、ロハスとかフェアトレードみたいなノリも嫌だ。うまく説明できないけれど。
ラブ&ピースは辟易するし、責任とか公正とかホント重い。啓蒙とかうざったい。
以前に書いたロハス考「さよならアメリカさよならニッポンさよなら地球」
例えば第三世界で不当で劣悪な労働を強いられているコーヒーやカカオの生産者がいます。それはよくないことだと思いませんか? だから、オーガニックの農業でつくられた農産物を公正な取り引きによって流通させましょう。んでその商品を私たちが買いましょう。その商品を購入し、支持することが持続可能な社会につながります。
それを「フェアトレード」というらしい。
「消費は投票である」という言葉、僕は以前からしっくりきてない。そもそもフェアトレード商品はバカ高ぇ。スーパーで売られているチョコやコーヒーの2、3倍は平気でする。
つまり貧乏人には投票する権利は無い。金持ってれば持っている程多く投票できる。なんてアンフェアなんだ。
あと、その投票的でフェアな消費とやらが上手い具合に機能したとしたら、当然第三世界の生産地に産業が根付く。んで、産業が根付くとそれなりの規模に施設が拡大もするし、労働力も集まる。
投票(消費)している間はそれなりに上手くお金が循環して、それなりに生産規模も大きくなり、そこに住う人の生活も潤うだろうけど、いざ投票しなくなったら、つまり消費者がその商品に飽きたり、ロハスブームが過ぎ去ったりしたら、その生産地の設備やそこで生活している人達はどうなるんだろう。
第三世界の岩塩だのオーガニックジャムだのハーブティだの、ご当地の骨だか石だかのアクセサリーだの、、そもそもフェアトレード商品は僕らにとって嗜好品であり、持続して購入するような性質のものではない。持続して使い続けるものというのはその土地々々の文化的な土壌が大きく関係しているわけで、僕らにとっては味噌とか醤油とかお茶とかそういうものだ。(そういうものですら僕らはよく理解できてないのだけれども…)
何も文化的な土壌がない珍奇な商品を継続して使わなければ公正で持続可能な社会がつくれないというのはおかしい。
僕はマーティンデニーとかアーサーライマンの音楽のような、数寄の精神と軽薄なエキゾチズムで消費するのが良い。うまく説明できないけれど。
ヒッピーとかむげん堂みたいなノリも嫌だし、ロハスとかフェアトレードみたいなノリも嫌だ。うまく説明できないけれど。
ラブ&ピースは辟易するし、責任とか公正とかホント重い。啓蒙とかうざったい。
以前に書いたロハス考「さよならアメリカさよならニッポンさよなら地球」