WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

亀田興毅の記号論

2006年08月05日 | 時事考
亀田興毅が世界チャンピオンになった。前々から思ってたけど、亀田の言動やら行動やらメディアを通して伝わる諸々の情報は、広告代理店かテレビ局の演出担当の人が書いたシナリオがあって、緻密に演出されてんじゃねーか。と。
あのマンガ然とした登場人物とストーリーはなかなか上手くできすぎている。っつーか、あまりにかわかりやす過ぎて陳腐だ。亀田が強い弱いの問題じゃなくて。
過去にも「ガチンコファイトクラブ」っていう番組があったけど、これも周知の通りドキュメンタリーの手法を拝借して作ったフィクションである。
「ガチンコ」も「亀田」もTBS。多分「ガチンコ」で培った格闘ドキュメント物語のノウハウを生かして「亀田物語」を演出してんだろう。


「空手バカ一代」の大山倍達、「キックの鬼」の沢村忠、「タイガーマスク」の佐山聡、いずれも虚構のマンガ、アニメと現実の格闘家のメディアミックスでつくられたものだ。
時を経て、マンガ、アニメが、テレビとスポーツ新聞とのメディアミックスに変わったのが「亀田物語」なんではないか。
けれど、大山倍達、沢村、佐山とか芦原秀幸とかウィリーウィリアムスとかには、なんかうさん臭くていかがわしいけど、独特の泥臭さというかドス黒くて底が見えない、深いのか浅いのか実際のところよくわからん、ミスティックな趣深さが僕には感じられるんです。うまく言えないけれど。。
それは梶原一騎先生の演出が上手いからという面もあるんだろうけれど、それだけでは片付けられない神がかった部分があるんです。うまく言えないけれど。。サムシングエルス。
そういう神秘的な泥臭さって「亀田」にも「ガチンコ」にも「K-1」にも「プライド」にも僕には感じられない。
演出家(テレビ局の人)によってダーティでマッドな部分もあらかじめ計算づくで演出されていて、演者(格闘家)もシナリオ通り、なんの脱線もバグも曲解もなく演じている感があるんです。

日本のメディアがストックしてきた格闘物語のコード…不良が更正するとか、貧民が成り上がるとか、いじめられっ子が強くなるとか、親子鷹とか…が成熟して飽和した結果が「亀田物語」なんではないのか。
亀田は「プロのプロボクサー」だ。
ちなみに「あやや」こと松浦亜弥もアイドルのコードに忠実な「プロのアイドル」だと思う。


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