WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

はいからdeはくち

2006年05月29日 | 音楽考
あがた森魚/歌、ティンパンアレー/演奏の「僕は天使ぢゃないよ」を聴く。それにしてもティンパンアレーのファンクネスは半端ねーな。とか思いながら鈴木、細野、林のアンサンブルを楽しんでると、上に乗っかるあがたの声が気になる。最初はうざかったけど、だんだんなんかいいこと歌ってるくさいと思うようになった。んで、仕事中にもそのセンチメンタルでフラジャイルな歌詞世界が頭の中を勝手に反芻するようになり、泣く。モニターが歪んだ。隠れて涙を拭う。

まぁ、そんなおセンチな話はさておき、僕がはっぴいえんどを初めて聴いたのは高校の頃。あの頃はパンクが好きだったので「台風」とか「春よこい」とか「いらいら」とかちょいと激しめな曲が好きだった。その中でも「はいからはくち」は特に好きだった。歪んだギターの音とか。
それから4、5年後。「はいからはくち」は「肺から吐く血」と「ハイカラ白痴」をかけてんだなと気付き、感動する。
それからさらに4、5年後。「はいからはくち」は、明治維新による西洋化や、敗戦後のアメリカ化によって日本の文化の連続性が分断されてしまい、アイデンティティを失った現代日本人の様子(ひっぴーの格好してこかこーら飲んでる=ロハスな格好してヘンプビール飲んでる)が、「はいから」で「はくち」である、という様子を歌にした。しかもロックのフォーマットを使って逆説的に。っていうことに気付き、感動する。
ここまで理解するのに足掛け10年かかりました。

いくらアメリカを模倣してリアルを追求しても、どうやってもオリジナルにはなれない。それならば、自分らなりの料理の仕方、要素の組み合わせ方を楽しめばいいんじゃないかっつー細野さん(大滝詠一も然り)の姿勢ははっぴいえんど後も一貫している。

ティンパンアレーがスライとかミーターズ由来のファンクネスを持ってして、あがた森魚や大滝詠一とかと絡んだこともそうだ。トロピカル三部作なんかは、元ネタのマーティンデニーとかアーサーライマン自体が、虚構で結構、組み合わせの妙が肝心と思って曲つくってたフシがある。
んで、YMOまで行くと欧米のニューウェーブの人達がやっとそれに気付いて、ついに時代がホソノに追い付く。

細野さんの音楽はフォーマットはどんどん変わっていても根っこは変わっていない。これ私的ホソノ史観。


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