○ 英米で迫力の「メルトダウンの内側」
民間事故調報告に関する話題以外にも「3/11から一年」を前に特集を組むマスコミは多く、たとえば英BBC Twoは2月23日に「Inside the Meltdown(メルトダウンの内側)」という1時間のドキュメンタリーを放送しました(制作はQuicksilver Mediaというイギリスのドキュメンタリー制作会社)。そしてアメリカの公共放送PBSもこれを「Inside Japan's Nuclear Meltdown(日本の原発メルトダウンの内側)」という題にして、28日夜に放送(以下、私は主にBBC放送版をもとに書いています)。
番組は、3月11日からの9日間を1時間に凝縮して振り返っています。福島第一原発の完全メルトダウンを防ごうと戦った人たちを丁寧に取材して。当時の記録映像に後日撮影した映像を織り交ぜて。当時を振り返って語るのは、たとえば「この浜には地震がくれば津波が来る」と承知していた地元の漁師。「3号機が爆発した時は、もう終わりだなと社員の人たちも言っていた」と語る元原発作業員。「日の丸を背負ってあの発電所で戦わなくてはいけないと思った」と語る現作業員。
さらには、燃料プールに上空から放水するため、「誰かがやらなきゃいけないんだったら、一生懸命がんばってきてください」と泣く妻に送り出された自衛官。「いつでもそういう時にはそのまま現場にいく」と家族を教育しているので家族には連絡せずに、現場入りした消防隊員(任務終了後に家族から「電話一本くらい」と怒られたそう)。津波で見失った家族を探そうにも、ベント前に避難を迫られ、助かった長女を守るために大熊町を離れた父親。SPEEDIの放射能影響予測データが公表されなかったせいで、線量のより高い地域へ避難してしまった子連れの妊婦。避難から間もなく赤ちゃんが無事に生まれた時、「思わず指を数えた」と語る父親。
そして菅直人前首相。番組のナレーションは、1号機の水素爆発を受けて政府は「格納容器に損傷はないと強調していたが、舞台裏では、事態が手に負えなくなっていると知っていた」と説明。そこで菅氏は、「最悪のケースは250キロ、300キロという範囲まで逃げなきゃならないと想定していた。そうなると首都圏が機能麻痺し、事実上日本が機能麻痺しかねないと」と取材に答えています。
そして東電幹部。東電の小森明生常務は3号機爆発後の撤退するしない議論について、「プラントの状況によっては一部保安の人をのぞいて退避を検討すると国には伝えた」と語っています。
「東電は完全撤退するつもりだと聞かされて東電本社に乗り込んだ」菅氏は、この夜のことについて番組でこう語っています。「撤退はありえないと、もともと思っていた。撤退とは6つの原子炉と7つの燃料プールを放棄するということで、それは全部がメルトダウンしてチェルノブイリの何十倍と言う放射性物質が放出されることになる」、「見えない敵に日本の領土を譲り渡すようなもので、それで起きる影響は日本だけでなく、世界に及ぼすから」と。
そして自衛隊による空からの放水があり、東京消防庁による地面からの水注入があり、線量が下がり始めたところで、作業員たちが冷却水用パイプ敷設の作業を開始。メルトダウンはぎりぎりのところで止まった、と番組は説明します。「東電は、燃料はコンクリート容器の底でやっと止まったと考えている」と。紙一重だったと。
日本人としてはたとえ既知の内容だったとしても、あの9日間を淡々とした編集とナレーションでこうやって凝縮して見せられると、改めて、いかにギリギリだったのかが迫ってきます。制御室のホワイトボードに恐ろしい経過を書きつづる筆跡の乱れ、人々の表情、息づかい、線量計の音。そして波の音。派手な演出はなく、あくまでも淡々と。政府も東電も実は12日の時点ですでに「炉心溶融」の可能性は認めていたので、「メルトダウンを後になるまで認めなかった」と言い切るくだりはいささか残念でしたが(ただし、東電が1号機、および2~3号機のメルトダウンを認めたのは5月)、それでも総じて優れたドキュメンタリーだと思いました(インタビューのほとんどは日本語です。BBC放送版は日本人の言葉は字幕で訳していてるのですが、PBS版は吹き替えをかぶせているので残念ながら聞き取りにくいかもしれません。そのPBS版はこちらです)。