ヌーオロには何も見るものはない。じつをいうと、いつものことながらほっとした。名所見物は腹の立つほど退屈である。だが、ありがたいことに僕の知るかぎり、ここにはペルジーノ(イタリア・ルネッサンス期ウンブリア派の画家)のひとかけらもないし、ピサ様式の何ものもない。幸いなるかな、見所の何もない町よ。なんと多くの衒い、気取りが省かれることか!そうなれば、生は生の本分にもどって、博物館に物を集めることではなくなる。そうすれば、すこしけだるい月曜の朝にせまい道をぶらついて、ちょっと噂話を楽しんでいる女たちを眺めて、パン籠を頭にのせた老婆を眺めて、仕事をいやがる怠け心を起こした連中、勤労全体の潮がうまく流れない様子を眺めたりできる。生は生、物は物。「物」を憧れ求めつづけるのは、たとえペルジーノの作品でさえいやになった。かつてはカルパッチョやボッティチェッリに身を震わせたこともある。だが、もうたくさんだ。土くさい白ズボンをはいて腰に黒いひだ飾りをつけた灰色髭の老農夫が、上着も外套もはおらずに、腰を曲げて牛のひく小さな荷車の横を歩いてゆく。ただそれだけの姿、それならいつ見ても飽きることはない。「物」にはうんざりだ、たとえペリジーノでさえ。
「海とサルデーニャ」D・H・ロレンス著 武藤浩史訳 晶文社 1993年
富翁
「海とサルデーニャ」D・H・ロレンス著 武藤浩史訳 晶文社 1993年
富翁