……私が日本に帰って驚いたことは支那関係の出版の華やかさでありました。しかし今はその空しさに驚かずにはいられないのです。日支親善のすべての機関、支那研究のための著書、それらの文化的なものが我々には何となく影が薄いもののように見えて仕方ないのです。我々が戦地で見た支那土民の顔には土の如き堅固な智慧があらわれ、伝統的な感情の陰影が刻まれ、語られたことのない哲学の皺が深々とよっていました。その顔があまりに鮮明に眼の底にとどまっているので、活字になった支那評論が色あせて見えるのですね。我々の見た支那人は生きて働いていました。皮肉でなく誠の心をもって私はこのことを言わずにはいられません。生きて働いている支那人が支那を形成しているわけです。支那というものはそんなものです。何も謎でも怪物でも獅子でもない。人情も愛も笑いも通用する社会であります。相手が生きていることを忘れては拳闘も角力も出来ないでしょうが、同時に舞踏も弾奏もできないのです。
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(「支那文化に関する手紙」より)
「滅亡について」武田泰淳著 川西政明編 岩波文庫 1992年
富翁
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(「支那文化に関する手紙」より)
「滅亡について」武田泰淳著 川西政明編 岩波文庫 1992年
富翁