魂はビビることはないようです。
私たちは本来は魂なので怖がることはないはずですが・・・実はそこが魂と人間の違うところです。根本的に違った特徴があるようです。この3次元の物質世界で人間として存在するのか 魂として存在するのかは大きな違いです。
この地球の世界では 魂から見れば魂は常に私たちとつながってはいますが 私たち自身は魂とは違った意識を持っているのです。それが「人間である自分」という意識です。そのせいで私たち自身から見れば必ずしも魂とつながっているようには見えないのです。そのせいで実情は魂に対してあまり関心がないという状態を経験するようです。それが「仕組み」です。
人間の特徴はなんといっても恐れることです。ビビるのです。不安と心配が服を着ているようなものです。見たところ少しも恐れなどないように見える人でもそうなのです。ただし程度の違いはあります。その人が成長している度合いによって違ってくるのです。
魂の特徴は愛ですが 人間の特徴は恐れです。
恐れがベースにあるから非難や批判をするようになります。自己防衛の意味合いもあります。人間は自分と他人という風にバラバラに分離しているという幻想を持っていることも原因のひとつです。
したがって自分や他人について あるいは出来事についても 良い悪いという判断をします。また前にも述べましたように 「あなたの悪いところはここだから ここを直しなさい」と言う人がやたら多いのです。そういう当人は善意のつもりです。宗教でもそれが多いのです。家庭でも職場でもそして社会全体も同じようにそう考えています。
みんなが自分を(あるいは他人を)良くしようと努力しているつもりなのです。自分の欠点もよく知っているつもりなのです。
しかしなかなか人間はそして社会は思うようには進化(成長)しないのです。なぜでしょうか。
どうも人間って「良い人間になる」ことが目的ではないのか?
目的ではなくて「結果として良くなる」ということなのか?もしかして・・・。
そうです。その通りなのです。「成長するから」結果として良くなるわけです。(十戒だって同じことのようです。それ自体をしないと禁じるあるいは守るべきという目標ではなく 成長した人はそんなことはしなくなる という結果のことをいっているようです。)
良い人間になることを直接の目的としてここで生きているのではないのです。全く。
(そしてよい人間とはだれの目で見てよい人間というのか ということもあります。他人の目で見てよい人間になろうとする人はとても多いのです)
ただ 人間がなんとなく目指している理想的な自分や 理想的な世界というものは既に宇宙には実際に存在するのです。ただ存在している次元が違うだけです。 本当の自分がそうであり そして実家の世界がそうだといずれわかる ということのようです。
もちろんそこには病気も被害者も障害者もなく あらゆる悪いことも一切ない平和な世界です。 みんながいう極楽浄土です。もちろん私たちはそこからやって来ているのです。そのこともいずれはわかるということのようです。すべての人が。
人間は心の奥では魂でありたいと常に願っていることははっきりしています。自分がかって魂だったということが記憶のどこかにかすかに残っているのでしょう。それは完全無欠であり すべてが愛であるという記憶です。それが今の自分の状態でははっきりわからないような「仕掛け」になっているから そんな自分を取り戻したい・・・という願望があるわけです。それが希望です。
本当は魂であった自分が魂に戻りたいと思っているのです。
今はこんなに不完全に思える人間や世界に住むのでなく 同じ住むならせめて魂としてここに住みたいと・・・。
ほんものの喜びの世界に・・・。
もし人間がすべて魂だけからできていたら どんな出来事に対してもどんな人に対しても 非難したり裁くとかいうことは一切しないし 善悪という価値判断も一切しないようです。それが魂の特徴だからです。成長のしるしだからです。
今はすべての人がそれぞれいろんな成長レベルで人間として生きているため 考え方や価値観や性格も違う。それを否定することなく まずありのままに認めよう 肯定しようということを学んでいるのです。
成長するということは自分がそういう状態になることです。
ですので「自分が」そういう存在の段階に進むと 今度は自分が変えたいように「自分を」変えられるパワーが初めて生じるということです。自然にそうなっていくということです。
「成長」することが「変化」する力を生むということのようです。
ありのままを認める 許すことが変化を生じさせる ということです。
魂がここに居る理由はただ 本当の自分がどんな自分か体験的に知りたいだけなのです。ほかのことはどうでもいいのです。だから批判したり裁いたりすることもなく ただ喜んでいるし愛しているだけです。それが魂の姿のようです。
不足とか不満とかいう感情も既にないのです。ここで体験していることはすべてが幻想であるということも当然知っています。
しかし人間は違います。学びの途上にいるからです。いいことと悪いこと 正しいことと間違ったことを常に見極めようとするのです。とくに「悪い」と思えることに対してはチョー敏感です。そして非難し裁くのです。そして結果としてお互いが不幸になっています。人生とは正しく生きることだと信じているからです。それが目標だと思っているからです。
人間はなにかが間違っているのでしょうか。 生き方が間違っているのでしょうか? 心の中ではあるいはそうかと思っていても ただそうはいっても何かが不安だ。将来が不安だ と。
私たちの魂はただ本当の自分を知り 魂であることをこの世で表現しようとしているだけなのに・・・。
ではなぜ人間は今のように信じるようになったのでしょうか?
一番大きな影響は 幼いころに親から学び取った思い込みや刷り込み体験です。しかし実はそれもこの地球の人生での大きな仕掛けのひとつなのです。仕組まれたことです。魂にはよくわかっています。
幼い子供が親から受け取る大きなショックは自分に対する否定です。「自己否定」それが人間というものの特徴です。
だから自信が持てないのです。
その結果 前にも申しましたがいわゆるドラゴンという厄介なものが子供の潜在意識の中で育つのです。だから恐れや不安を持つのです。
親自身はまったく悪気ではなく しつけのつもりですが 子供にとっては親は最高の権威者ですから 大きなストレスを生み それが一生にわたって続くようです。また親自身もそのまた親から受け継いできた刷り込み体験なのです。
つい最近テレビで「毒親」という変な名前の特集番組を見ました。
親の過干渉とか 虐待あるいは ネグレクト(子育ての放置やスキンシップの無さなど)が元になって親と子が何年たっても和解できず それぞれに苦しむというものです。引きこもりやウツにもつながるようです。しかしほとんどの親が大なり小なりそのような親なのです。親も人間だからです。親を責めても問題は解決しないのです。
そこに提起されているのは今までの人間関係についての認識の見直しです。親の方も子供の方も。特に親は親としての立場というものがあると思い込んで頑なになっていたりします。
親子という関係だけでなく 上司と部下という関係 夫と妻 先生と生徒などなどみんな含まれるようです。
しつけというものの誤解 自分の望みの押し付け 愛と所有欲やエゴとの混同 お互いの依存関係 支配と隷属・・・
などなどの感情から離れて お互いが自分を見つめてしだいに成長していくことによって
お互いに独立・自立した平等な友情関係へ
親とか子という役割や立場から離れて・・・
一個の人間同志としての愛と尊敬の関係へ進むことによって 少しづつでも必ず成長する 問題が解決する・・・
真実はそういうことだと理解しています。
ですのでドラゴン(子育ての問題及び人間の性格的な問題)というものは そういう人間関係の悩みを生んで学ぶためのツールとして「仕組まれた」ものです。
ですので こういう問題は異常である 正常ではない プライベートな恥である だから人には言えない 自分だけが苦しんでいる 早く他の人たちのように?解決して正常に戻らねばいけない などと考えてしまうようになっているのです。
そういうとらえ方感じ方は皆誤解であり間違いです。
逆にそれこそが人生の主要な体験課題なのであり それに今取り組んでいるということなのです。成長という貴重な階段を昇っている最中であって それこそを大事に逃げずに取り組むということなのです。そして許す方向に・・・。
(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます