このブログを読んでくださる方々は 気付いておられると思いますが 私たちは死んだら 自分が何者であるのか ここで何をしていたのかについて すぐにわかるようになります。
それほどに この物質世界では生きているうちには わかりにくいようにつくられているということです。
自分の人生でどんなことを体験するのか これからの人生がどう展開していくのか その筋書きについて関心や不安を持つのは無理もないことです。
しかし実際は 人世でなにを体験するかは重要ではないということです。
大事なのは それによって自分がどれだけ成長できるかだけです。
つまり どんな境遇でも良いということです。そこから自分がどれだけ成長できるかだけが大事なのですから。人生の筋書きは成長のためのツールに過ぎないということです。ですのでそれは自分の人生で起こっても別の人の人生で起こっても変わりはないのです。
これが自分の人生だと思う必要もないのです。逆にそれがこだわりと苦しみを生んでいるのです。
また 自分というものについて 性格や外見や考え方のタイプなどについても こだわる必要は全くないということです。
大事なのは 自分がどれだけ成長できるかということだけです。
どんな自分であってもいいのです。そこから成長していけばよいのです。自分がこういう人間で他人がああいう人間で それが入れ替わったとしても 変わりはないのです。これが自分だと思うから こだわりと苦しみを生むのです。
こういう自分も こういう筋書きも 全部自分が選んだものですが それを今はすべて思い出せない状態で生きています。しかしその情報は他人のため みんなのためにも収集しているのです。ひとつの貴重な情報としてお役にたっているのです。ひとりはみんなであり みんなはひとりだからです。
実は大事なことというものもないのです。
それはその人の選択次第です。
ただ自分が出来る範囲で幸せに生きたいと思うかどうかの選択です。そして知っていて良いことは 成長するほど幸せになれるということです。魂は幸せな存在だということです。魂に近づくほど幸せな人間になれます。
人間とは何か。すべてを悟っていてすべてを知っているが 自分でないものを体験できないのでそれを体験しに来ている存在(魂)と 不完全でよくはわかっていないが成長したいと思っている存在(スピリット)が ひとつの肉体を利用して分担し協力し合っている姿 それが人間というもののようです。
人間はそして魂はここでありとあらゆるジャンルの体験をするのですが 人間はその時々の問題をそこで解決しようとします。その解決というのは成長によってしか根本的に解決できないのです。
逆に言えば成長すれば解決できます。そして成長した分だけ解決するのです。したがって魂のレベルになると一切の問題はないのです。そこまで成長すれば後は 体験の幅を更に拡げて更に成長することだといえるでしょう。
私たちはエネルギーなので 成長とはエネルギーの振動数(波動)が高くなるということになります。そのエネルギーの波動レベルはそのエネルギーの考え方のレベル すなわち人格と1対1で対応しています。したがって波動が高い存在とは それだけレベルの高い考え方を持って存在することを意味します。成長するとはそういうことです。成長は愛を喜びを幸せをもたらしてくれます。
逆もまた真なりです。
喜んでいれば波動は高くなる。幸せであれば波動は高くなる。
楽しんでいれば 愛で居れば 感謝していれば 満足していれば いずれも波動は上がります。したがってそういう心の状態を続ければ自動的に成長をもたらしてくれるということです。
さらに 成長すればその波動のレベルに対応した行動を自動的にすることになります。考えることも話すことも そのレベルにふさわしいことをするようになります。心と矛盾した行動をいやいやながらすることは起こらないのです。すべてが本心からの行動になります。(今だれでも 今の自分固有の波動レベルがありますから それに対応して無意識に行動しているはずです。政治家の失言問題をみるとよくわかります)つまり ある波動レベルはある人格レベルを表すということです。
日々の暮らし方も 人生の歩み方も 思いやりの心を持って 出来るだけ喜んだり楽しんだりしていることです。これがベースの行動です。幸せ・成長へのベース作りなのです。だから本心からそうするわけです。
愛も感謝も優しさも思いやりも 親切も寛大さも幸せも 一つの波動レベルに対応した人格です。その波動レベルに対応したすべての良いことが自動的にすべてできるようになります。波動がその人の人格を表すからです。
引き寄せの法則では 「最初から幸せ」あるいは「最初から金持ち」であること あるいはその「フリ」をすることといいます。 そうすると望むことが自動的に「豊かさ」でもなんでも叶うようになるといいます。
「最初から幸せ」でいる方法なんてよくわからないから 「そんなことできないよ」ってあきらめてしまうのです。
毎日優しさの心を持って あるいは親切の心を持って 喜ぶことや楽しむことを心掛けていることは出来ます。最初から幸せであるなんて・・・と思うからできないのです。
幸せでいるために理由はいらない ただ私は幸せであると決めればよいことだと知っていればできますから・・・。
そうすると自動的に成長し 「それが何であれ」望むことが実現する方向に着実に進むというわけです。これは魂も自我意識も両方を喜ばせる方法です。
成長すれば不安も減ります。
まさに信じる者は救われるだと思います。
(続く)
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