この前 第97話で 幸せに生きたければ魂に協力して生きるのが一番賢い楽な生き方だと申したつもりです。ではどんな生き方をすればいいのでしょうか?
今日はその辺をも少し書いてみたいと思います。なんらかのご参考になればうれしいです。
よく耳にすることだと思いますが「人生は筋書きが決まっている」と。それは本当です。それには理由があるのです。
そして その筋書きは魂が書いたものです。
魂は神なのですが それの議論は少し先の方でもよいかと思います。
とにかくどう生きたらよいのかという問題の方が先かと思います。
でも「私は筋書き通りに生きるなどといわれると抵抗を感じるよ!」とか 「もしそれがほんとなら人生ってわりとつまんないね」という人は実に多いのです。無理もないことだと思います。
今ワタシという存在は魂ではないからです。少なくとも今は。 というか人生ゲームをしている間は そのように別であり スピリットという存在が「人生を生きている」のです。魂との約束で。
でもスピリットは魂のために生きているのではなく 自分のために人生を生きています。自分が成長したいためです。
(でも魂とはずっとつながっていますよ。でもスピリット側からは目覚めるまでは一方通行です。)
魂の望みは自分とはどんな存在なのかを体験的に知ることですが そのためには自分でないものになる必要があるということです。人間として生きてるということは そういうことのようです。
必ずしも適切な例ではないですが 今あちこちで問題になっている第三者のいない第三者委員会と似た理屈で 容疑者?が取り調べもするのでは 自分を客観的に見ることがむつかしいのと同じ理屈かもしれません。ですので今私たちが感じる自分は魂ではないものになっているようです。でも魂に対してはすべてが筒抜け!ですが・・・。
自分が本当はどんな存在かを知りたいと望み それを体験したいと望んでいる存在と とにかく最後には魂のレベルまで成長したいと望むのだけどどうすればよいかを十分知らない?ので少しづつ学んで成長したい存在 その両方が 今一人の人間の中に居ると想像してみてください。(私たちはその目的のため今は善も悪も両方を体験しようとする存在のようです)
スピリットは魂に比べると 波動に雲泥の差があるようです。ということはスピリットはそれだけ成長できるということでもあります。
それにスピリットは人間の中に入ると魂との関係を当分は忘れた存在になる仕組みですから その分苦労する!ことになるようです。でもそのおかげで幻想の世界にドップリ浸かって成長しやすくなる?ともいえるようです。般若心経はその一面を手身近に伝えてくれています。
そのとき魂がつくる筋書きと人間がその場その場で好きなように考えて筋書きなしで生きるのとどちらを選びますか?
それに人生の目的は自分や他人を裁くためではなくて自分というものを体験的に知ることだけです。
こんなに複雑な仕組みの人生を生きるとき 筋書きがあることにこだわり抵抗する必要があるのかどうかです。
守護神だけでも人間ひとりに5,6人くらいはいないと筋書き通りにうまく生きれない仕組みの人生です。魂vs肉体あるいは魂vsエゴ・自我の摩擦?が人生です。抵抗する代わりに逆に筋書きを利用して効率的に成長してはどうでしょうか?
自分を知りそして成長することだけでも大変なのですから 筋書き通りに生きることで少しは楽に生きれるようになるのではないでしょうか? それだけでもかなりの自由度が残されているのではないでしょうか?
もし人間が筋書きなしに生きたら今以上の混乱と果てしない人生の回数が必要になるかもと私は思います。
それに 成長に伴って 成長した分だけ変更が利くような今のシステムでも喜びが生まれるのではないでしょうか? 急ぐことはないようです。
不満足な自分 不満足な人生 やりそこないや失敗に満ちていると思ってた人生! それが私でした。
それも筋書き通りです。想定内です。
しかし人生とはどんな体験をするかではなくて どんな体験をしても 自分を責め後悔して生きるのではなく 今のまま あるがままで「実は完璧」であることを知り 魂を信じ 感謝し 愛というものを信じてただ喜びを忘れず生きる。そういう生き方を「意識的に」する ということだと私は学びました。
意識して生きましょう。
ただ喜んで!
(続く)
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