弘前という字を学生時代に初めて見た時、読めなかった。というより、なんでかなと思った。最初に目にした時には、かながふってあったような気がする。それで、これは「ひろさき」と読むんだと疑いもなく思った。
さくらとりんごの町。そんな表現がぴったりかもしれないお城のある町。何度となく、数えきれないくらい実は訪ねているのだが、泊まるのはわずかの数回だけである。どうしても十和田湖や大湯や八幡平、その他の温泉などへ宿の足が向いてしまうのは仕方のないところか。
いつ頃だったか、繁華街で夕食に食べたやきめし。あの味はチャーハンではなくて、間違いなく「やきめし」であった。おみやげにもう一人前持ち帰り、部屋で遅くに食べたのを覚えている。東北の短い夏をほろ酔い気分でホテルまで歩いたその時の弘前の夜空はとても素敵だった。
次に泊まった時は初冬の頃だったろうか。夕食後に知人と町をブラブラした。何という名のスナックかは忘れたが、カラオケで「じょんがら恋唄」を歌った。酒のチカラで元気に歌ったら、いい歌を知っているなあとお世辞を言われたけど、お陰さまで弘前の夜を思いっきり気分よく過ごさせてもらった。前奏と出だしの「連れにはぐれて··」のメロディーがいいとのこと。その時、もう14年も前の歌なんだよと言ったら、相手はびっくりしていた。
たしか平成10年のお正月にもこの町にいた。「平成10年···」雪道を歩きながら、仲間が何気に呟いていたのを今でも覚えている。
この弘前で思い出す人といえば、即座に「華子さん」と答えられるくらい津軽華子様はなぜか身近に感じられる。旧津軽藩主の津軽家出身で、常陸宮正仁親王の妃。殿下とは手料理を差し上げるとの名目で津軽家に立ち寄られた折に初めてお会いし、その一度の見合いで婚約·結婚にいたった。
兄である上皇は正田美智子さまという民間出身の妃であるが、弟の常陸宮さまは津軽家伯爵のお嬢様を妃に選ばれたのである。
この弘前はゴールデンウィークの桜まつりが終わるとすぐりんごの花があたり一面にあらわれる。それは見事な白色だ。でも近年は温暖化の影響で、それも早まりつつあるという。今年はその温暖化が顕著に現れたのか、桜の開花がこの弘前でも早かった。
そして秋には赤や黄のりんごをたわわに実らせる。それは紅葉と重なって、津軽の秋を多くの旅行者に思う存分見せつけてくれる。岩木山を見上げるこの弘前近郊のりんご畑はまさに日本の実りの秋の象徴といっても決して過言ではないと思う。
路地裏を曲がりてほのと林檎の香
(平成26年5月 弘前コンベンション協会 俳句の部)
弘前の街にこの春もし行かば君の訛りでまた笑いたし
(平成26年5月 弘前コンベンション協会 短歌の部)
「心に残る旅(27) 弘前」