8月25日に、CHAGE and ASKA は、36周年を迎えた。
昨年は、嫌がらせかと思うほど、連日マスコミは「卑猥な報道」を続けていった。
ミュージシャンと薬物…今に始まったわけではないし、「噂」がありながら週刊誌がすっぱ抜く(もしくは敢えて記事に掲載する?)ことで、「このままじゃ捕まるぞ」とまるで「気をつけろ」と言わんばかりの先回りの記事によって、お縄にならない人間もいないわけではないのだろう…。
それでも、ASKAは止めることが出来ずに、今日に至ってしまったわけだが、今となっては、命を落としてしまう前に、下手をすれば薬物で人を危めてしまっていたかも知れない危険性の前に捕まったことは良かったことなんだと、ファンの一人として、やっと受け止めることが出来るようになった。
先に、「卑猥な報道」と表現したのは、マスコミは何故「薬物がいかに危険であるか」「常習性の高いものであるか」といった点において、注意喚起をするような報道をせず、一人の男と女の「色舞台」のみを、尾ひれ背びれつけて「これでもか!」と、吐き気のするような言葉を重ね、お茶の間を賑わせていったのか、私は、未だに納得がいかないでいる。
追放するのも、陥れるのも、芸能界やマスコミにとっては、いとも簡単なことだろう。事実、世間ではゴシップ記事を「うのみ」にしてしまう人も少なくない。
しかし、 それでいいんだろうか?
芸能界が「本気で薬物と縁を切る」気持ちがあるのだろうか?
日本のマスコミは、「本気で薬物の恐さを国民に知らせたい」そう思っているのだろうか?
何を目的としてワイドショーは報道しているんだろう…。
視聴率をあげるのも大事なことかも知れないが、もっと薬物の恐さや常習性の危険さ、芸能界と黒い連中との関係、こういった部分を「本気で断ち切る」気持ちがあるのなら、もっと違う報道の仕方になるのでは?と、同じような逮捕劇があるたび、私はいつもそう感じて仕方ない。
とは、ファンのひいき目で決してASKAを擁護しているわけではない。
薬物の常習性が「そう」させたのかも知れないが、まだ疑惑報道にあった折、ファンに向けた会報誌にASKAは、潔白であるとも受け取れる言葉をファンに向けて発している。あくまで「病気療養中」であると…。
長年、ASKAとともに仕事をしてきたスタッフは、当然ASKAの言葉を信じる…。
薬物をやっている場合、その「力」でもって「自分はやっていない」という感覚になるんだと言う。
体内から抜け切れていない段階では、強く否定もするらしい。
ASKAは当初「否認」を続けていた。相当強い薬物の力が己の感覚ではコントロールしきれない部分で、働いていたためなのだろう。
「そう思えば」、ファンクラブ会報誌でのASKAの言葉も、決して我々ファンを欺こうとか騙そうという気持ちで書いたものではないと信じたい。信じたいが、なかなか自らの言葉を発するタイプではなく、全ては「歌の中」で語られることが多かったASKAなだけに、私のような複雑な思いを未だ拭い去れないファンの方も少なからずいらっしゃるのではと思う。
ひとつ言葉を発すれば、マスコミの餌食になる。嫌という程それを分かっているASKAは、敢えて言葉を発することはしたがらないのだと、今後もそう感じている。
けれど…、「復帰」を考える場合、それでは済まないのではないかと正直感じてもいる。
それほど、悔しさをにじませ、地団太を踏んだファンもいたことは確かだ。
歌や楽曲に罪はない。それは分かっている。
しかし、以前と同じ気持ちで聴くことは出来ないかも知れない私のような人間もいる中で、だからと言って、ASKAのファンを辞めようという気持ちもないことは自分でよく分かっており、どうしたら「前向きな気持ち」で再び、彼らの曲を歌を聴くことが出来るんだろうか…。
そう悩み続けているファン、あるいは元ファンは私だけではないと思う。
今年の5月頃だったろうか、6月頃だったろうか、レンタルショップ店に久しぶりに足を運んだ時のこと。
昨年は一斉に棚から消えさっていた、CHAGE and ASKAのCD達が、何と戻ってきていたことに、「ある…、CDがある…」と少しだけ嬉しくなった自分がいた。まだまだ数は少なかったが…。
少しだけ嬉しさを噛みしめ、それでも、まだ複雑な思いでいる自分…。
音もなく過ぎ去っていった36周年を振り返り、ふと、彼ら のことを思っている今日この頃だった。
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