建築・環境計画研究室
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「♪ 京の五条の橋の上」で始まる「牛若丸」の舞台,五条大橋は京都駅の北東方向,鴨川にかかっておりますが
(googlemap)
今日は京の五条の横断歩道橋の話です。今日・京・橋。
福祉転用京都会議の,見学会会場の下見,会場との事前打ち合わせ・準備の日に,福祉転用・コミュニティ研究の関係で団地をいろいろ見て回る時間をつくれました。
その話はまた別として,その移動中に「へえ,そうなんだ」がいろいろあった橋の話。
五条通を歩いておりますと,
たまたま時間あるよってことで,一部ご同行いただいた都市デザイン研究室の先生が「おお,あれは面白い」とおっしゃる。
「なにが面白いですか?」
この歩道橋だそうです。
「え,どこが??」
「橋脚の繊細さ,リベット留めの意匠,橋桁の薄さ・手すりの低さによる見附のシュッとした比率,マンション側への配慮として取り付けられている見切り板・・(延々)・・・」
「あー…そういうものですか…」
都市デザインの分野と,建築計画の分野の目の付け所の違いというか,ちょっと目から鱗でした。
さらに進むと交差点に架かっている歩道橋がありまして,
同じ意匠です。きっと五条通の拡幅の際に,一斉に架けられたのでしょうね。
「設置基準が変わったんだな,あとから手すりがつけられてる。やっぱりこういうデザインは今はできないですよ」
「え,なんで分かりますか?」
「ここ」
「?」
「橋の銘板の上に,手すりが来てるでしょう」
「あー,なるほど。先生,ちょっと建築探偵みたいです」
登ってみますと,
確かに見附が薄いので。シュッとしていて見通しが利いています。
美しいなって気持ちがしました。
「そして確かに手すり低いですね。」
「でしょう,落ちそうでしょう。僕の半分くらいです。今はもうこの基準は変わってしまっているので,こういう歩道橋はもう作れません」
(先生は背が高くていらっしゃるのでちょっとアンフェアな気がしますが)
「はい,手すり低いですね。既存不適格ってことですね」
「あとはっきり言ってめちゃくちゃ揺れますね」
銘板がありました。
「1965年の歩道橋指針」基準でつくられた,1970年3月竣工の歩道橋だそうです。
46年前。それは頑張ってきましたね。
あと個人的に面白かったのが,
バイクマーク,それ?
スクーター専用? そうなの?
あと,届きそうで届かない
アアアアア なんとかしてあげたいけどどうにもならない
この照明は,納め方がちょっと当初設計じゃなさそうだから,後付けされたのかなあ。
などと写真を撮っていたら,通りかかった老夫婦に「何の写真を撮っているのですか?」と訊かれました。
ええ,気になりますよね。そうですよね。
「イヤこの歩道橋,古いデザインなんですけど,今だと基準が変わってしまってこういうのつくれないので。面白いところが色々あるなと思って」
「ああ…そういうものですか? 普段見ているけど気付かなかったな」
「そうですねえ,身近にあると当たり前で気付きにくいことってありますよね」
「そういうお仕事をなさっているんですか?」
…“そういうお仕事”? …まあ,大局としてはそうかな…?
「あ,はい,そうですね。建築関係で」
「いつ本が出るんですか?」
「「本?」」
「まだちょっと…出版の目処はついていないんですけどね」
「あ,そうですか。じゃあ,がんばってくださいね!」
「ありがとうございます!」
「…励まされてしまいました」
「励まされてしまいましたね」
「若干誤解されてしまいました。…じゃあ,がんばりましょうか」
「がんばりましょう。え,何を?」
「調査の本筋に戻りましょう」
「ですね」
というわけで京の五条の橋の上のお話はこれでおしまいです。
あのすれ違った老夫婦も含めて,居合わせたひとたち“それぞれ”,見るところが違うなあ。
同じ世界に居合わせても,それぞれの環世界(Umwelt)のなかで生きているんだな,見えているもの感じているもの読み取っているものすべて違うんだな。
という,出会いとすれ違いと気づきの物語でした。
(参考)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京の五条の橋の上
大のおとこの弁慶は
長い薙刀ふりあげて
牛若めがけて切りかかる
牛若丸は飛び退いて
持った扇を投げつけて
来い来い来いと欄干の
上へあがって手を叩く
前やうしろや右左
ここと思えば またあちら
燕のような早業に
鬼の弁慶あやまった
JIHa医療福祉建築1/2010,166号より
こども関係の書類を書くことが多いこの季節(イヤ普段からいろいろ書かないといけないですけれども。保育所の申込み,学童保育の申込み,就学準備の季節ですね!),
「正常分娩」「異常分娩」というワードに傷つかれる方が居ると聞き。
もう7年前になりますか,寄稿した原稿を掘り起こしましたので掲載します。
届け! この思い!
*著作権は放棄していません。引用の際は,出典として
「山田あすか:医療福祉建築,日本医療福祉建築協会,P.18,2010.01」
を明記してください。
必要な方に届くことを願って,公開しています。ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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*著作権は放棄していません。引用の際は,出典として
「山田あすか:医療福祉建築,日本医療福祉建築協会,P.18,2010.01」
を明記してください。
必要な方に届くことを願って,公開しています。ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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■ 失地回復 −主体・関係・過程の回復
近年,お産環境には様々な話題がある.産科医・出産場所不足やお産環境の地域格差などが指摘される一方,個室や食事,マッサージなどのサービスが行き届いた産院や,助産院や家庭での出産も注目されている. “畳敷きの「分娩室」で家族に見守られて生まれる新生児は,いわゆる出産シーンのように大声では泣かない1.ほっとしたような声を上げたその子は母の胸に抱かれ,柔らかく暖かな薄闇に母の汗が誇らしげに光り・・”などという助産院レポートを読むと,おそらくその真逆の出産経験をもつ筆者は思わず腕組みする2.ある助産院では見学者の多くがそこでの出産を希望するそうで3,その親密で穏やかな環境が妊産婦をひきつけるらしい.なぜか.
察するに,そうしたお産のあり方に「生む・生まれる」ことの本質を見いだすからではないか.出産に関する文献で取り上げられたキーワードを抽出し,整理してみた(図).ここからは,過度の医療依存を脱し,主体的なお産や家族・助産師との関係,親子になっていく過程を取り戻そうとする動きが見える.これを「主体・関係・過程の回復」と呼んでみる.もう一度それを体験するかもしれない一人として,生む/生まれる空間としての療養・生活環境にはこの失地回復を助けて欲しいと思う.
■ 「主体」の回復
産婦が自分の楽な姿勢や呼吸法で出産に臨む「アクティブバース4」は近年のお産キーワードのひとつである.産婦がリラックスできる出産環境にも関心が払われており,例えば薗部5は,英国での出産経験を元に,個々の妊婦が一番居心地良く感じる環境が用意されていたことを報告している6.先述の助産院も含め,「生む」主体にとっての環境が重視されることで,生む力,生まれる力を引き出すことが支援されていると言えよう.
■ 「関係」の回復
医師や看護師,助産師との信頼関係を構築したうえでお産ができ安心だった,などのレポートが出産雑誌で報告されている.産婦が主体性を発揮し自らが望むお産を伝えるためにも,コミュニケーションは重要だろう.田島ら3は助産院でのじっくりと時間をかけた検診や穏やかな診察室の様子を紹介しており,助産師等とのコミュニケーションが計れる環境づくりの大切さが読み取れる.
家族や母子の関係にも触れたい.出産直後の母子の過ごし方が愛着の形成を助けると言われ,新生児を母親が肌を合わせて抱くカンガルーケアや母子同室が可能な出産施設も多い.例えば池川医師は産科医が子育てに関わるべきだとの井深の論に触れ,「母子の絆を断ち切らないお産」を目ざしてカンガルーケアを導入した経緯を紹介している7.検診や出産の際にはパートナーやきょうだいなどの家族が立ち会うことも多く,待合い空間や産後の回復期なども含めて家族で過ごせる環境ならば嬉しい.
■ 「過程」の回復
生む,生まれるという行為はおなかに生命が宿ったとき(あるいはその前)にはじまる一連の過程であると思う.胎児は周囲の様子を聞き母の感情にも影響されると言われ,妊娠中からの母子の関係づくりやそれを支援する環境づくりに積極的に取り組む医師や助産師もいる.
筆者の母の育児日記には,陣痛が始まった夜明けに窓から白む空を眺めたとあった.それが印象深く,自分も出産当日の夜明けに病棟の廊下の窓辺に立ち数時間後に生まれる子に言った.青と橙と桃色に染まるこの綺麗な空を一緒に見よう,世界はあなたを歓迎すると.6床室の廊下側で入院生活を送っていた筆者にはその場所は貴重で,振り返るに母となる覚悟を決めるというか,自分とこどもに向き合う場所/環境を必要としていたと思う.
出産のときはむろんのこと妊娠中から産後まで,環境は新しい家族が生まれる過程を支援できると考える.
■ 自然なお産:受容し肯定する環境
3つの失地回復の目的は,家族の愛着形成と肯定感だと思う.正しいお産などというものを論じてはいない.「自然なお産」という語も見るが,現代的意味での自然は,リスクを含めて一人ひとり1回ごとに違うお産を受容することではないか.帝王切開もなるべくしてなったそのお産の「自然」だと言えば詭弁か.分娩台で産むのも昰,元気に泣いて生まれてくればそれも良し.生き物が命をつなげようという営みに敬意が払われ不安すらも肯定される,柔らかく穏やかな環境にありたいと思う.
注・参考文献
1) 無影灯が白々と照らす「病院」の分娩室では,赤ちゃんは急にまぶしくて,寒い場所に出るのでビックリして泣くのではないかとはある産婦人科医の談.
2) 【参考文献】田島喜美恵,他:特集 激動のお産空間,建築雑誌 第124集・第1590号,pp.24-35,2009.05
3) 医療主導のお産ではなく,産婦が自分に合った呼吸法やリラックス法,分娩の姿勢などを選び,主体的にお産に臨むことと解説される.
4) 【参考文献】薗部容子:子供の生きる国,新風社,2005.07
5) 【参考文献】池川明:おぼえているよ.ママのおなかにいたときのこと,二見書房,2002.10
【和文要約(150字以内)】
近年の出産に関する文献などで取り上げられるキーワードを,「主体・関係・過程の回復」に整理してみた.そこに見えたのは,過度の医療依存を脱し,主体的なお産や家族・助産師との関係,親子になる過程を取り戻そうとする動きである.一つひとつ違うお産を受容し,家族の愛着形成を助け肯定感をもたらす環境が望まれる.(149)
病気の子どもの「きょうだい」支援している #しぶたね さん こどもが大きな病気になると病児さんに、大人の目は集まり、その「きょうだい」は不安や孤独感などつらい気持ちをひとりで抱えていることがあります
— プルスアルハ/ぷるすあるは (@pulusualuha) 2016年12月10日 - 18:35
阪急梅田本店9階 ゴマも応援 pic.twitter.com/xecP15Jr6y
私が今住んでいる長野県で、三男、三女以降を結婚させず長男世帯の家庭内奴隷として一生酷使する「おじろくおばさ」という貧しい山間部の奇習を廃止できたのは紡績工業のおかげ。野麦峠によっておじろくおばさとして一生を送る運命を逃れた人がいた twitter.com/waseda_fablab/…
— 早稲田治慶@安全Fab十勇士 (@waseda_fablab) 2016年12月10日 - 20:44
息子からノロがうつった旦那さん「嘔吐と下痢、いずれも数回。翌日には元気。三年前の猛威と比べたらだんぜん軽くてヌルい、過去最高の軽さ」
— ふくやまはさまる (@F980830) 2016年12月11日 - 07:54
私「ボジョレーみたいに言うのやめて」
天才ゲーマー永夢くんが癖の強い院長の息子や無免許医を攻略するゲーム #nitiasa pic.twitter.com/NSOrgYLxg6
— 雪光 (@YukiAnilog) 2016年12月11日 - 08:26
本学の論文掲載料補助制度には、前任校であった「年間1本まで」などの制限がなく嬉々として(論文投稿はしばしば研究助成金の期間終了後になる…)ワーイこの論文も出せるぞー!とお願いしていたら、「あの人のせいでお金が足りないので制限つくる」という検討が持ち上がったと聞き(ノД`)・゜・。
— やまだ (@yamada__asuka) 2016年12月11日 - 17:52
そうしたら事務部長が、その検討提案に「(学生と一緒に)研究するのが大学教員の仕事、研究させるのが事務部の仕事。つまらんこと言うな」と一蹴してくださったと聞き、マジで事務部長愛しているし彼女のようなプロがトップに居てくれる本学も愛してます。おかげで研究ができ、論文が書けます。
— やまだ (@yamada__asuka) 2016年12月11日 - 17:54
東大は法人クレジットカード(コーポレートカード)が支給されて、ここから全ての研究費が使える。アマゾンも使える。基本事務には領収書を提出するだけ。
— 深野 祐也 (@Alien_Evolve) 2016年12月11日 - 10:14
異動してこのシステムを知ったときは感動した。このシステムを全ての研究機関が導入するだけで、生産性が5%くらい上がるのではないかと思う。