建築・環境計画研究室 (山田あすか)

東京電機大学未来科学部建築学科

建築・環境計画研究室

この研究室は,2006年4月に立命館大学にて開設され,2009年10月に東京電機大学に移りました.研究テーマは,建築計画,環境行動です. 特に,こどもや高齢者,障碍をもつ人々への環境によるサポートや,都市空間における人々の行動特性などについて,研究をしています.

*当ページの文章や画像の無断引用・転載を禁じます*

いまひとたびの「経年」礼賛

2019-07-29 12:22:51 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

*どなたでもアクセスできるオープンスペースのみ写真掲載していますが,転載はご遠慮ください*

 

(有料老人ホーム「新(あらた)」メインアプローチより)



先週、仙台で多世代複合施設「アンダンチ」さん(サービス付き高齢者向け住宅、保育所、就労支援、レストラン、地域交流スペース・カフェ・手工芸作品展示販売、駄菓子屋) → 須賀川市民交流センターtette → 那須塩原市まちなか交流センター「くるる」→ SHOZOカフェ(黒磯本店) → 栃木県小山市の有料老人ホーム「新(あらた)」さん → 特別養護老人ホーム「栗林荘」さん を訪問しました。
盛りだくさんで楽しい二日間だったのですが、地域の人にたくさん訪ねてほしい、というコンセプトがどれも共通しています。

 

そのための方法として複数の事例に共通していること,提案・実践されていること。これまでもいろいろ見てきた事例と併せてまとめようとしているところなので,考え中メモを。今年度9月の建築学会大会の研究協議会でお話しするのと,執筆構想中の本の内容の走りです。

・まずはただ居られる場所をつくる

 (→「居る」からはじまる個の居場所の集積としてのコミュニティの場)

・カフェ,レストラン,工房,レンタル教室スペース,駄菓子屋 のように,「だれでも使える場所」「安い金額で(質の良い空間を)利用できる場所」をつくる

 (→利用縁コミュニティ)

・混在の価値

 (佛子園さんの「ごちゃまぜ」)

・学び,遊び,食べる・飲む,という日常の生活を取り込むこと

 (→衣食住ライフコモンズ・コミュニティ≒日常生活の場を共有することによる“結果としての”コミュニティ形成)

・まちと建物(主機能)を取り持つ存在としての外構・ランドスケープデザイン・植栽を大事にすること

・デザイン(いわゆる「福祉」「公共施設」らしい堅くないセンス)で一見さん・地域利用者に対するwelcomeの意志を表す

・時間と物語を取り込む

 (→リノベーション,コンバージョン,古材利用,リサイクル品・アンティーク品の利用,手工芸品の展示・販売)

 

今回,「時間と物語を取り込む」について,かなり共通項があった・・というか,複数の取り組みや思想を「時間と物語を取り込む」というワード(概念)で捉えられそうだな,と考えた次第です。

福祉の分野,コミュニティづくりの分野で「顔の見える関係」という表現があります。顔の見える関係性,距離感が地域だと(加藤悠介@『福祉転用による建築・地域のリノベーション: 成功事例で読みとく企画・設計・運営』)。

そういった,人や地域の「顔の見える感じ」,ものがやってきた背景に共感したり興味をもったりする感じ,その感覚です。

スーパーの野菜コーナーで,あるいは道の駅などの産直コーナーで「○○さんがつくったほうれん草」「■■さんがつくった松前漬け」など書かれていると,親近感ないし信頼できるなという感覚を持つことがあると思います。カフェやレストランで,「これはこういう地域文化の文脈で,このようにつくられたものです」「こんなエピソードがあって」のように書かれたメニューは気になるもの。手作りなんだろうなと思われる家具や住民さんが育てているのだろうなと思う草花,キチッと刈り込まれた植栽に残る刈りたての枝口の白さと樹の香り。それもまた物語。○○さんや■■さんや,△△地域の物語が取り込まれている。

 


アンダンチ内のカフェ・地域交流スペース,就労支援「アスノバ」さんの一角に置かれた地域の方や障碍者授産施設の作品等の展示・販売コーナー。

お気づきと思いますが手前の家具は色や形,素材もバラバラなリサイクル品,ユーズド品。

 

アンダンチレジデンス(サービス付き高齢者向け住宅)さんのロビー・ラウンジスペースに置かれている家具も,ユーズド品を織り交ぜて。「全部新品だと,きれいすぎる。きれいすぎると,いわゆる施設っぽくなってしまう。」という感覚から,ユーズド品を使おうと考えられたとのこと。

施設っぽい,というのはいろいろ施設を見ている方にはだれでも多かれ少なかれ共通の感覚だと思うのですが,堅くて・統一されていて変化や差異がなく・機能性がそのまますがたになっている(汚れにくい,壊れにくい,掃除しやすい,燃えにくい)・テクスチャが浅い・経年変化が=劣化,などの雰囲気です。私はこれを言語化しにくいのですが,イメージ共有できるでしょうか。

(もっといい表現があったらぜひ教えてください)




こちらは有料老人ホーム新(新)さんに併設のカフェ「くりのみ」さん。 *写っているのは今回動向の先生方と学生さん,設計者さん

こちらも同じく,人と人の距離が近くなる場として設計したかった,だから「きれいすぎない落ち着いた雰囲気」を狙って,形も色も素材もバラバラなユーズド家具を入れて,コーディネートされているとのこと。

 

こちらにも,地域の作家さんの作品の展示・販売コーナー。

 



外観もご覧いただくように,経年の味わいが出る外装です。



新(あらた)さん本体も,居住施設では多くなる「窓」がキツい雰囲気にならないようにリズムが出るような大きさ・高さのバラツキを出す(=統一・画一からの脱却),窓枠を木製として雰囲気を和らげる,ことを企図した設計をされたそうです(わくわくデザイン・八木様)。

 

人間の存在,時間,物語を取り込むこと。宮脇檀先生も「アクティビティを設計せよ」の小島一浩先生も,関係や活動や動線,居方,過ごし方を設計するということをおっしゃっていたわけですが,その概念はいま,「いまここ」を豊かにするために「いままで」と「これから」を取り込んでいくことへの概念と進化して,共有されていると言えるのではないでしょうか。これはそうあって欲しいという私の希望的な解釈ですが。記憶と評価の蓄積が人の価値観や人格の土台の一つを形成している,また三次元的存在である人間は記憶とその共有によってもう一次元を内に持てるので。

 

リノベーションやコンバージョンされた建築物についても感じる「良い感じ」さ,暖かさやなじみ感,そういったものも,根底にあるところは同じなのではないかと思います。

 

また少し,深まりました。今回の見学会をご一緒いただきましたみなさま,ありがとうございました。

 

 

そして,この記事のタイトル,このメモを書いておこうと思った頭のなかの一群のもやもやの中心にある「記憶」がこれです↓


学生当時、20歳そこそこの頃、建築材料の講義で経年劣化しない材料などについて講義で学び、材料についてのレポートを自由に書きなさいという課題に「経年」礼賛というレポートで返しました(建築仕上学会の学生寄稿の企画?に載っています)。

若いころ考えたことはその先もずっとテーマになると言われますが(雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百まで)、当時リノベーション、コンバージョンというキーワードは出始めで、その概念もこんなに普及していなかったけれど、通じるところは同じだなあ、とも20年くらい経っても私あんまり進歩していないんだなあとも。苦笑。

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仙台の多世代複合施設「アンダンチ」さん見学。ありがとうございました!

2019-07-25 23:31:51 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

*どなたでもアクセスできる,オープンスペースのみ,写真掲載していますが,転載はご遠慮ください*

 

仙台の多世代複合施設「アンダンチ」さんを訪問しました。

 

2階テラスからの見下ろし。中庭を囲んで,4つの棟(アンダンチレジデンス,看護小規模多機能,レストラン+保育所,就労支援+地域交流スペース)が建っています。

 

アンダンチは,仙台の方言の「あなたの家(あんだ・ん・ち)」にかけて,「あなたの「地(場所)」と,「知(知恵)」という意味を込めて付けられた名前とのこと。

お話しをうかがい,

・住まい(生活の拠点)である  *ただし,ここで生活は完結しない

・地域の人々の居場所をつくる,活動の場を提供する

・学びをキーワードとして,成長と関係性の中での学び合いがある

というコンセプトがそのまま反映されているなと感じました。

 

こども,若者,高齢者,医療や介護・支援が必要な人もそうでない人も,様々な人々にとっての日常の中にある居場所となっています。

手がかりのある余白の空間がちりばめられていることで,そこを活動の場として見いだしたり,そこから新たな活動が生まれたり。活動を通して,自分の役割を見いだし,それが自己肯定感にもつながります。とてもすてきです。


敷地に入るとまず,ヤギがいます。このヤギの小屋は建築の学生さんたちと一緒に造ったとのこと。さすが山の羊,高いところに登る習性があるそうです,そんなヤギの習性を組み込んで設計されており,ヤギのくろごまさん,高い場所が定位置です。白いだいふくさんは日陰になっているスキマにいます。暑いですねえ今日は。


ランドスケープデザイナーの方が入られて,四季折々の表情のある草木,花や果樹が植えられた豊かな庭。「造ってみてあらためて思ったけど外構大事! 地域との接点になる空間なので,外構がウェルカムって言ってないと入りにくいですよね」とのこと。本当にそうだと思います。

その場所に来た人が一番最初に見るのは外構ですから。だから団地再生を外構から始めましょう!という提案でリデザインされた左近山団地(STGK:熊谷玄)でもそのようにおっしゃっていました。

子供が遊びたくなる仕掛け。正面に見えるのは「アスノバ」。



地域の方がちょっとお散歩に来たり,「レジデンス(サービス付き高齢者向け住宅)」の方が外に出られたりするときにも使われているベンチ。イベント時にも大活躍。居られる場所を提供する=ウェルカムですよ・ぜひここに座ってゆっくりしてくださいと環境が発信することの意味を再認識します。



路地的空間,奥まできれいに見え隠れの空間が作り込まれ,奥性を感じられます。

 

レジデンス(サービス付き高齢者向け住宅)の入口には駄菓子や「福のや」があります。1階のラウンジスペースは,こどもたちが駄菓子を買って,溜まって遊べるスペースにもなっています。こどもたちが騒がしくしていると,入居者さんが「うるさい!」と一喝するシーンもあるとか。公共の場での集まり方・楽しみ方を学ぶ,社会性を身につけるための場にもなっているのです,とのこと。「和気あいあい」だけではない,生の関わりですね。本当に大事。

多様な居方のできる,畳のスペースやソファスペース,テーブルなど,素敵な家具が置かれたラウンジスペースや食堂は,子育てサークルや地域の子供の活動の発表場所,放課後のこどもたちの居場所,趣味や生涯学習の場など,地域の方の活動の場としても活用されています。まずは気持ち良く「ただ居ること」ができる,「余白」があることで,活動の場として見いだされています。

こうして多世代の交流(直接的にも,間接的な居合わせの意味でも)の場が実現し,高齢者の方と,こどもたちとが世代を超えて関わることができる。2018年7月にオープンして,お看取りもすでに経験されたそうです。

こどもたちは,人生の完成期にある人々の姿を近しく見聞きすることで,人生は有限だよ,そのなかでなにをするの? ということを考えさせてくれる。それが高齢者の最期の大仕事でもあるのではないか,と。

 

このお話しには大変感銘を受けました。ある人が,その人生を完成させること,そこに次の世代が寄り添うことは,そのこと自体が見送られる側にとってもひとつの「お役目」と言えるのではないか。それは人々を見送っていく側にある(調査先等でいろいろな方と関わり,そして見送ってきました。近しい人をゆっくりと見送る日々でもあります)と思っていた身としては救われる気持ちがします。見送られることにも,すばらしい価値がある。それを完成させるのは関係性である。

 

(誰でもアクセスできるオープンスペース以外は写真アップ&レポートしないので,レジデンスの方はここまで!)




就労支援+地域交流スペース「アスノバ」の物販コーナー。障碍者の制作等の販売スペースとして始めたところ,地域で趣味のものづくりをしている方たちが,自分たちも作品販売の場が欲しい,ということでレンタルスペースとしても活用することになったそうです。(この振り返りも素敵なカフェのようなスペースなのですが,ご利用者さんがお食事中でしたので)

で,またそのネットワークが口コミで拡がって,「アンダンチ」の利用者の拡がり(知っていただく,来ていただく)につながっているとのこと。

講義などで「売り買いはエンタメ」とお話ししていますが,やっぱりそうですよねと認識を新たにします。メルカリ,minneなどネット活用のサービスもそうですが「つくる」「うる」「みつける」「かう」楽しいです! 「つくる」「うる」は,利用者であり,主体として関わる者でもあるという点で,主体的「活用者」を拡げる活動ですね。

自然食レストラン「いろは」さんから庭の方向を見る。





美味しい「寝かせ玄米」の定食をいただきました。三種類の玄米ごはんから,おかわり自由。もっちもちで美味しいです。

炊いてから3日寝かせるからこそのこの食感!という店内の説明文章を読んで,「天の星は昔の光」って詩があったね‥という話題など(そこまで昔じゃない)。




ロゴもとってもオシャレですよね。「デザインで“福祉”との心理的距離感を縮める,親近感を持ってもらう」というきもちで,グラフィックデザインも建物も,考えていくことが大事だと,関わったデザイナーさんたちとのグループで議論されたそうです。「デザインで心理的距離感を縮める」,とても心強いワードだと思います。

「福祉施設ってどうしてもちょっと違う場所だっていう感じがありますよね‥拒絶されているというか,自分たちとは違う世界だというか。自分が設計に関わるまではそういう印象がやっぱりありました」という,ご参加の設計者さんの感想が印象的でした。

それは,ご利用者さんたちを守りたいということだからというのは勿論です。「オープンにすることで守る」「地域の目を入れることで守る」という“積極的な守り”って,でもまだ一般的ではないですねと。“開かれた学校”についてのせめぎ合いとも共通します。

 

①オープン,②シェア,③混在。共生コミュニティのキーワードはこの3つに集約されるのではないかという仮説で議論をしています。

今回また,その議論が深まりました。



ありがとうございました。とても勉強になる,また楽しい時間でした!

 

 

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前期末恒例!スイカ割り大会

2019-07-24 13:20:37 | 研究日誌
毎年恒例のスイカ割り大会@屋上テラス。




仕入れました! スイカ重いです お店で一番大きいやつ。


集まってきた…



仕留め人ビジュアル。かっこいい


交代


おっ


スイカ開きの儀式的な。


わーい


切り分けます


久しぶりの晴天。いよいよの夏。夏びらきのスイカびらきでした。



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レポートも「設計図」を書いてから。

2019-07-23 21:24:30 | 雑記

学生のみなさんは,そろそろ期末レポートラッシュの時期でしょうか。

読書感想文にもレポートにも,小論文にも共通するコツですが,書き始める前にネタ(書きたい項目)と文章の「設計図」をわっと展開することをおすすめします。

本人だけがわかる,その時だけわかるメモでOK。

ネタを書き出し、ネタの相互関係をつないでストーリーをつくる。


例えばこれ,先日書いた原稿の設計図です。

んー,3週間ほど前のメモなのですが,もうすでに,読み方を自分でも忘れかけてます‥

でもその程度でOK,そのことを考えているときに,ネタ出しをして,思考の密度を上げて,それからネタ同士の関係を整理して順番をつける=ストーリーをつくることが目的のメモです。

羅列ではなく,論旨構成(論の展開)がしっかりした,説得力のある文章にしたいときにはやっぱり設計図が大事です。(設計図がちゃんとしてないと現場で施工する時に困るんですよね)

通常のレポート(小論文)は,「背景,目的,方法,結果,考察,提言」が骨格ですが,そういうガイドのないレポートや原稿の場合はぜひどうぞ。


最初のうち,関連づけとか発展がイメージしにくかったら。

1.付箋にネタ(書きたいコンテンツ)を書いて、連想ゲームでキーワードを増やす。セルフ・ブレインストーミング。

2.キーワードを出したあとで,その付箋を並べ替えてネタを相互に関係づけつつ,かたまりをつくる

3.かたまりをどの順番で並べたら,説明しやすいかな? を考えて順番をふる=ストーリーにしていく

のがやりやすいかと。

 


ちなみにレポート,原稿などの文章を作るだけではなくて,ディスカッションでも設計図をつくっています。自分が司会をするときには。

ぶっつけの方もいらっしゃるのでしょうけども,自分は「設計図」を書きます,展開のイメージメモです。

パネリストを立てての公開研究会のときには,「話すこと」はパネラーのプレゼンパートで済んでいるので,ディスカッションパートでは,前半のプレゼンを踏まえて「意見の噛み合い」「重ね合い」「ぶつかって新しい見解が生まれること」をエンハンスしたいところです。そういうので設計図をつくるのはやらせじゃないの〜? という向きもあるかもしれないのですが。

例えばこれ,研究シンポジウムのディスカッションパートの設計図です(2018年の日本建築学会大会建築計画研究懇談会のやつ)。

(読んでもほぼ分からないと思います,テンポラリな自分用メモなので。自分でももう読めない‥)


パネリスト(や資料集への寄稿)のプレゼン(や原稿)に,共通していて議論をかみ合わせたいところ,違いを明確にしたいところ,重ねたり並べたりするとメタな知見が出そうなところ,を抽出して,どういう順番でそれらを展開すると一連の議論としてまとまりを持てるか,ディスカッションの成果の落としどころのイメージをなんとなく骨格づくる感じです。

また,ディスカッションしながらその場で展開が追加されたり変わったりするのをメモして,新しい組み込み方をその場でつくっていったりしています。

実際には落としどころのイメージに肉付けしていくのでかなり違う見え方をしますし,骨格も‥人の骨格と思って並べてたら尻尾の骨出てきた〜ありゃ牙‥えー恐竜だなこれは〜みたいな展開もあったりします(種がかなり違ってしまっても二足歩行脊椎動物というセンは守ります)。

敢えて数字にすると3割が事前の骨格,7割がその場の議論。でも骨格の3割がやっぱり全体のプロポーションと方向性をある程度決めていて,それがないと成り立たない。という感じです。

 

原稿でも,骨格に具体的な文章を肉付けして始めてひとさまに見せられる,伝えるためのツールとしての姿になるのですが,骨格がちゃんとしてないとスライムか軟体生物なので,とらえどころがないですね。文章の「設計図」,おすすめします。

 

さ,おたがいがんばりましょう。私も原稿書きます!

 

 

 

 

余談‥書きながら思いましたが,これは論文でたくさんの既往研究を並べながら,自分の研究の必要性や方法の妥当性の説明に持っていくためのストーリーづくりをするのともちらっと関連しますね。

「要素でストーリーをつくる」の経験と技術って,大事なんだなあ。 

 

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建築学会 地域施設計画研究シンポ2019の巻。

2019-07-23 14:49:57 | 研究日誌

日本建築学会 地域施設計画研究シンポジウム。通称地域シンポ。終わりました〜

1月あたまのアブストラクト投稿,採択されたら3月の本論提出とその後査読対応というスケジュールで,卒論をこの時期までにまとめて出そう! という目標で研究をすすめていくため,うちではM1の発表が比較的多いです。

(テーマによっては,人間・環境学会やEDRA,建築学会学術講演大会,都市計画学会など分散するので全員ではなく)

今年は8題。集合住宅のDIY改修,高齢者施設のエンドオブライフケア,戸建て住宅の子育て要素,介護医療院,教育機能を起点とする共生コミュニティ,既存建物の活用による地方創生事業の地域拠点,ICUでの看護負担感。

お披露目できたのは一部分ではありますが,それでも日々の研究活動を反映して,医療・福祉・教育・居住,地方創生に共生ケアにと幅広い分野での発表題目の展開になりました。

 

幅広く展開して,毎年(卒論のレベルで)まとまった論文にまで仕上げるのはすごいねと,学生たちの成果が委員の先生方にお褒めいただいて嬉しかったです。(そう,うちの学生さんたちはすごいんですよ。みんな努力家です)

 

建築計画,特に施設計画では良くも悪くも制度の枠組みと完全に離れては語れず,制度は社会状況の変化や理念の進化に伴って変容していくものなので,必然,「建築計画」はその枠組み自体が日々更新されていきます。

(多くの分野もそのように自己刷新をしていると思います)

研究室のゼミは対象もフィールドも手法もそれぞれで,一人ひとり個別の課題に取り組む状況が報告され,相互の気づきや知見の援用を重ねて進んでいきます。ともすれば「とっちらかっている」ですが,そのように研究フィールドを幅広く構えて多様性・個別性・複層性のなかで研究を展開することが,新しい計画の枠組み,自己刷新の仕組みにつながっていると感じます。

いろいろな興味関心を持っている人々が集う環境に,個々の学生さんたちそれぞれに,改めて敬意を。

 

そろそろ前期も終わりです。今日もまた小さな一歩ずつです。 

 

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Quest of RED  パーティで立ち向かう。

2019-07-13 06:39:37 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

 はじめに,以下は幅広い計画系の一部に位置する,また大学に籍を置く研究・教育を業とする筆者の個人的見解であることをお断りいたします。

 建築学会の会員誌「建築雑誌」の編集グループから,「研究と設計の関係について,建築計画の研究者の立場から寄稿してください」というご依頼をいただきました。2018年の9月号に掲載された記事です。もともとは研究者と設計者は別れておらず,研究と設計を両方やっていくことが基本だった。そこから,役割・活動範囲が分化していき,研究者でもある設計者,設計者でもある研究者の割合は少なくなった。もう一度,研究と設計を統合的に捉える必要があるのではないか。そういった問題意識のもとでの寄稿依頼でした。今の,計画分野ならではの状況と課題認識についても盛り込んでください,というリクエストもありました。

 そのお題に対して寄稿をしましたが,分量の制限があり(編集とレイアウトのご都合があり,3段階くらいで減っていきまして),カットした部分がかなりあります。せっかくなので,加筆してフルバージョンを残しておこうと思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

研究者と建築家。そう呼べばそれらが異なるように聞こえても,両者は根本的には「建築の職能者」グラデーションのなかに定位する位置と広さの違いに過ぎないと考える。設計の対象は大小の建築物全体に加えて,インテリア,テンポラリ空間,使いこなし,コンセプト,制度や仕組み,ガイドライン,イベント,まち・・と多様である。それらの実践を大きく捉えると,開発・製作・技術や専門的知見の橋渡しなども含まれ,これらに一切関わらない「研究者」は逆に珍しい。設計者や事業者選定(の支援)などもまた,専門的知見や技能と社会の橋渡しにあたる。一方,建築計画分野を顧みれば,拡大の時代に分化した専門分野が複合化・多機能化によって再統合されていく時代にあって,また人口と居住域の縮小が起こり社会支援の統合化も進むなかで,各職能者個々の定位エリアは拡大を免れず,多面的展開が必要になる。例えば従来の施設類型ごとの研究,その類型だけの研究という取り組み方はとても困難になっている。

 その加速する変化の中での研究と設計の関係を考えると,同時に,自己研鑽を含む教育や次世代育成を無視できない。新たな人材や視点が導入され続けなければ,その分野は衰退し消滅する。建築の職能者個人や組織は,研究・設計・教育を3枚羽根とする風力発電機のように,ニーズや社会的課題という風を受けて価値を創造する。3つのバランスは多様であってしかるべきだが,極端に偏りがあれば創造の効率が悪く,強い風でしか動けない。

写真:3枚羽根の風車。(フリー素材)

 一方で,大学の研究者の多くに社会貢献として実践の比重を高める圧があることを危惧してもいる。研究成果を活かした研究者自らによる実践活動は,大学や研究,研究者の成果や価値を視覚化しやすい。もちろん,実践活動を通して研究にリアリティのある進展が見込め,その価値は高い。だが皆が二兎,三兎を追えば,あるいは追わなければならないと強制すれば,結局は研究も設計も追求しきれないこともあるだろう。知識や技術が高度化・複雑化するなかで,幅広い研究や実践,教育を一人ですべて突き詰めることは不可能だ。その意味で,連携して3枚の羽根を成す体制が必要である。

 現実的には,自分の強みとなる研究・設計の分野を芯に,他とつながるための手(興味関心,共通言語としての最低限の知識や技術,敬意)を持つ「連携できる職能者」は強い。つなぐこと=ハブ機能そのものも重要な職能である。

 また敢えて言えば,自分は大学では一度は研究にしっかり取り組める体制をつくりたいと考えている。設計課題や長期インターンシップは必須になっているカリキュラムが一般的である。一方,研究による本質の探究や,そもそもを考える力と技術の獲得は,その実現のためのデザインの選択肢の拡がりや,他の研究分野への興味や基礎知識という手を増やすことにつながる。

 結論として,個人の職能領域の広さもさりなん,相互補完できるサブスキルをそれぞれが持つ戦士(設計に強い人),魔法使い(研究に強い人),ヒーラー(教育に強い人)のそろったパーティが強い。いかなる勇者も,1人では強敵に勝てない。全員が“すべてできる”“バランス型の”賢者を目指す必要もない。それぞれの得意が突き詰められていくなかで,新たな展開や突破口が生まれる。

 学会はさしずめ,こうした様々な得意をもつ職能者たちの出会いと別れ(新たな連携)の場である。

図:Quest of RED (This is some kind of game to advance with balanced Parties of Research, Education and Design)

 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
賢者の石は,一般的には赤いものだと思われているようですね。合わせてみました!
 
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