静かに新年を待つ年末の「御頭御社宮司総社」を訪ねた。
❖ 御頭御社宮司総社
茅野市宮川の「神長官(じんちょうかん)屋敷」西南上段に位置し、静かに新年を待つ「御頭御社宮司総社」は、茅野市指定天然記念物の「社叢」に囲まれて、「ミシャクジ(御左口神/御社宮司)神」を祀る社だ。
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「ミシャクジ神」は石や樹木を、神霊が現れる時に宿る「依代(よりしろ)」とする神で、やがて蛇の姿をする神にもなったと言われているが、縄文時代の遺跡から「ミシャクジ神」の御神体や依代とされるものが出土することから、信仰が縄文時代から存在し、ご当地でも先住民族の信仰の神だと考えられている。
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近接「諏訪大社」は、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」を祭神とするが、本来の祀神は土着神「ミシャクジ神」だとも、「ミシャクジ神」と後から進出した出雲系稲作民族の「建御名方神」が習合して同一視されるようになったとも言われている。
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共棲の道を選んだ先住「洩矢神(もりやのかみ/もりやしん)」子孫の「守矢氏」は、「建御名方神」子孫「諏訪氏(後に『諏方氏』)」の「大祝(おおほうり)」に仕える「神長(後に『神長官』)」として祭祀を取り仕切ったが、その中核に「ミシャクジ社」が存在して来たという。
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この社叢に囲まれた社に向かい合う時間は、宗教が権力として人々を支配する以前の原始信仰の神韻を感じ取るよい機会になる。
❖ 神長官守矢史料館
「神長官守矢史料館」は「神長官守矢家」敷地内に建ち、鎌倉時代から守矢家が伝えてきた県宝155点を含む1618点の古文書「守矢文書」を保管・公開している。
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「守矢家」の由緒については、「古事記」説話「国譲り(くにゆずり)」まで遡る。「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神(たけみなかたのかみ)」率いる出雲系稲作民族の諏訪への進出で、「諏訪大社」は始まったと伝えられるが、狩猟系先住民族「洩矢神」子孫「守矢氏」は共棲を選択して、現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて君臨した「建御名方神」子孫「諏訪氏(後に『諏方氏』)」に仕えたという。
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縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊「ミシャクジ(御左口神/御社宮司)神」を中心とした祭祀を取り仕切って、1871(明治4)年「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで、「神長官(筆頭神官の位)」として世襲を続けたといわれる。