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諏訪湖😐😐😐氷結したが待望の四年ぶり「御神渡り」出現はまだまだ

2022-01-17 18:00:00 | 国内旅行


寒気に包まれて「諏訪湖」が氷結した。しかし、待望の四年ぶり「御神渡り」出現はまだまだ…か。
宮坂清「八劔(やつるぎ)神社」宮司の曰く「この冷え込みが、あと4~5日続くと、氷の厚さが10cmくらいになってきます。氷脈が出来てくれるのでは…という期待を、大きく持っています」と。



 ❖ 諏訪湖 
「糸魚川静岡構造線」と「中央構造線」が交差する長野県中央部「諏訪盆地」にある断層湖で、「天竜川」の源流となっているが、「八ヶ岳(やつがたけ)」などの火山地から流入する「上川(かみがわ)」「宮川(みやがわ)」「砥川(とがわ)」などによる土砂の堆積が激しく、埋め立て工事もあって面積は縮小しているという。
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面積約12.8平方キロメートル、周囲約16キロメートル、湖面標高 759メートルで、平均水深約4.7メートル、最大水深部でも 6.3メートルにすぎないが、湖岸には温泉が多く,湖底にも湧出口があるという。
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周辺の岡谷市、下諏訪町、諏訪市には、「諏訪大社」や「高島城」などのほか美術館や博物館が点在するなど観光スポットが数多く存在する。また、毎年8月には打ち上げ数4万発という日本有数の規模をもつ「諏訪湖祭湖上花火大会」が開催されるほか、9月には「全国新作花火競技大会」も開催されている。

 ❖ 御神渡り 
全面氷結した湖や沼の氷が堤状にせり上がる自然現象で、「諏訪湖」のものが知られている。伝説では、「諏訪大社上社」の男神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が「諏訪大社下社」の女神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」へ会いに通った道とされている。
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「御神渡り」が現れた年の冬には、特殊神事「御渡り神事(みわたりしんじ)」が、「八剱(やつるぎ)神社」の神官により行われる。これは「御渡り」を拝観して、氷への亀裂の入り方などを「御渡帳(みわたりちょう)」などと照らし、その年の気候農作物の作柄、世の中の吉凶などを占いまとめた「御渡注進状」を、「諏訪大社上社」の神前に捧げるという神事だ。その年の天候によって「御神渡り」の観測されないこともあるが、「明けの海(あけのうみ)」と呼び、「注進式」は行われる。
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平安時代末期の歌人「西行(さいぎょう)」(1190/建久元年~1118/元永元年)の私家集「山家集(さんかしゅう)」(成立年未詳 3巻 1569首)に「春を待つ諏訪のわたりもあるものをいつを限にすべきつららぞ」とあることから、古く平安時代末期には呼称があったと考えられているという。
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「御神渡り」の記録は、1443(嘉吉3)年から1681(延宝9/天和元)年の「当社神幸記(とうしゃしんこうき)」、1682(天和2)年からの「御渡帳(みわたりちょう)」があり、現在まで毎年記録され続けているという。

 ❖ 八劔神社 
全国に鎮座する「八劔(やつるぎ/はっけん)神社」だが、ここ「諏訪市小和田」の「八劔神社」は、JR中央本線「上諏訪駅」から徒歩約12分、中央自動車道「諏訪インターチェンジ」から車約10分にある旧社格「県社」で、「諏訪大社上社」の「摂社(せっしゃ)」(本社の祭神と縁故深い神を祀る本社と末社の中間に位する神社)だ。社は始め当時の「高島の里」で現在の「高島城址」の場所にあったというが、築城にあたって1590(天正18)年に現在地へ遷座したという。
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「諏訪大社」祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の父神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の異称「八千矛神(やちほこのかみ)」を主祭神に、第12代「景行天皇」の皇子で記紀伝説上の英雄「日本武尊(やまとたけるのみこと)」と、第15代「応神天皇」の諱である「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」を祀っている
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初代高島藩主「諏訪頼水(すわよりみず)」(1571/元亀元年~1641/寛永18年)が城の鎮護神社として以来、歴代藩主が生まれた土地の守り神「産土神(うぶすながみ)」として、崇敬の念を寄せて来たという。
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現在は「小和田地区」の氏神として信仰を集めるというが、同神社が守り伝えて来た1682(天和2)年以降の「御渡り」拝観を記録した「御渡り帳」は、現在も書き継がれているという。


新年おめでとうございます☺️☺️☺️今年もよろしくお願いいたします

2022-01-01 18:00:00 | 神社仏閣
昨年末、初詣への準備が進む「諏訪大社」四社を、巡りました。
諏訪大社上社本宮 幣拝殿
諏訪大社上社前宮 本殿

諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社春宮 神楽殿

諏訪市「上社本宮(かみしゃ ほんみや)」と茅野市「上社前宮(かみしゃ まえみや)」、下諏訪町「下社秋宮(しもしゃ あきみや)」、下諏訪町「下社春宮(しもしゃ はるみや)」の四ヶ所に境内をもち、軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社(すわたいしゃ)」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社だ。「建御名方神(たけみなかたのかみ)」とその妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」を主祭神とし、旧社格「官幣大社」で神社本庁の「別表神社」だが、記録に示される「上社」「下社」の区分けは、1180(治承4)年が初出だという。
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「建御名方神」は、「高天原(たかまがはら)」系の大和朝廷の神々「天津神(あまつかみ)」の主宰神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」に対し、我が国の古称「葦原中国(あしはらのなかつくに)」系の土着の神々「国津神(くにつかみ)」の代表的な神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の次子で、「高天原」から派遣されて「国譲り」を承諾させた「建御雷神(たけみかづちのかみ)/建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」への抵抗を発端に「州羽の海(すわのうみ)」に逃れることになったとされる。
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一方、「建御雷神/建御雷之男神」にすぐに服従したと言われる兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」は「下社」で合祀されるが、大和朝廷との縁は深く、娘「媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)」(「古事記」では「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」)が初代皇后で神武天皇の岳父となり、皇室の守護神として祀られているという出雲系譜の神だ。
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「国津神」の主宰神「大国主神」次子「建御名方神」は、「建御雷之男神」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海」に逃れたが、進出による狩猟系先住民族との争いに勝利し、出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」子孫「諏訪氏(後に『諏方氏』)」が、「諏訪大明神」の「依代(よりしろ)」として現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて諏訪地方に君臨したとされる。世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
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「下社」神官の最高位「大祝」は、皇族を祖先とする氏族「皇別(こうべつ)」の「科野国造(しなぬのくにのみやつこ)」後裔と言われる「金刺(かなさし)氏」が務めたが、「上社」と「下社」の対立は続き、戦国時代の1518(永正15)年「上社大祝」の「諏訪頼満(すわ よりみつ)」(1473/文明5年~1540/天文8年)によって、断絶に至ったと伝わる。
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「諏訪大社」は「上社前宮」以外に神霊を安置する社殿「本殿(ほんでん)」がなく、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで、社殿の四隅に「御柱」が建つ「諏訪造り」という独自様式で、「上社本宮」は「守屋山」を御神体、「下社秋宮」は「櫟」、「下社春宮」は「杉」を御神木としている。「本殿」にあたる社殿といわれる二つの「宝殿」の一方に納められた「神輿(みこし/しんよ)」は、6年ごとに遷座するという。
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なお、「下社」の祭神は半年毎に遷座される。「秋宮」から「春宮」へ遷座する「遷座祭(せんざさい)」は2月1日に、「春宮」から「秋宮」へ遷座する「御舟祭(おふねまつり)」は8月1日に行われる。
諏訪大社上社本宮 勅願殿
諏訪大社上社本宮 拝所
諏訪大社上社本宮 幣拝殿
 ❖ 諏訪大社 上社本宮 
「上社本宮」は「守屋山(もりやさん)」を御神体とし、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで「本殿」がなく、社殿の四隅に「御柱」が建つ「諏訪造り」という独自様式だが、1964(昭和39)年に指定を受けた「長野県天然記念物」の落葉樹自然林「社叢」に相応しい質実森厳な趣をもって、その姿を見せてくれる。
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「拝所」は、1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されているが、一般参詣者が進むことのできる最終の社殿で、ここから恒例祭典や重要神事の場である「幣拝殿」への参拝をおこなう
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現在の「幣拝殿」は、1835(天保6)年に左右「片拝殿」「脇片拝殿」とともに、宮大工「二代目立川四郎富昌(たてかわ わしろう とみまさ)」(1782/天明2年~1856/安政3年)と地元の宮大工「原五左衛門親成」によって上棟されたという。1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されている。
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御神体「守屋山」に向かって建てられた「勅願殿(ちょくがんでん)」は、1690(元禄3)年の建立とも、1847(弘化4)年の再建ともいわれるが、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けた社殿だ。「勅願」とは「勅命による祈願」「天皇の祈願」が本来の意味だが、ここ「諏訪大社上社本宮」では、古く「祈祷所」と記された祈祷をおこなう場所で、「幣拝殿」が「諏訪大社」の恒例祭典や重要神事を斎いおこなう場所であるのに対し、「勅願殿」は個人私事の祈祷をおこなう場所だったという。
諏訪大社上社前宮 御神燈
諏訪大社上社前宮 拝殿
諏訪大社上社前宮 拝殿
諏訪大社上社前宮 内御玉殿
 ❖ 諏訪大社 上社前宮 
「諏訪大社 上社前宮」は、主祭神の「建御名方神」とその妃神「八坂刀賣神」が、最初に居を構えた「『本宮』以前にあった宮」で、諏訪信仰発祥の地と伝えられている。
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 「諏訪大社」の中で唯一「上社前宮」だけが持つ「本殿」は、主祭神「建御名方神」とその妃神「八坂刀賣神」が鎮まり坐すと伝えられる「御神陵」を奥に控える。「拝殿(はいでん)」は、1932(昭和7)年に「伊勢神宮」から下賜された材で造営されたというが、質実端厳な「上社前宮」の社殿にあって、聊かの華を感じさせる社殿だ。
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「内御玉殿(うちみたまでん)」は、1932(昭和7)年に現在の社殿に改築されるまで1585(天正13)年造営の社殿で、「諏訪大明神」の祖霊がやどるとする「神宝」が安置されていた「上社」では最も古い建物だったという。中世まで強大力な権力で君臨し諏訪地方を支配した神職「大祝」が、神事にあたり「内御玉殿」を開いて、神宝「弥栄の鈴(やさかのすず)」「眞澄の鏡(ますみのかがみ)」「御鞍轡(みくらくつわ)」を人々に示し、現身の「諏訪明神」そのものとして神威を示威して、「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体をなす」と言わしめたと伝えられている。
諏訪大社下社秋宮 さざれ石
諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社秋宮 幣拝殿
諏訪大社下社秋宮 幣拝殿
 ❖ 諏訪大社 下社秋宮 / 春宮 
JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩約15分、「長野県下諏訪町」の旧「中山道」と旧「甲州街道」分岐に、「下社秋宮」は鎮まり坐している。
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「下社秋宮」から徒歩約20分、西に「砥川(とがわ)」が流れる「下諏訪町大門」で、「下社」最初の遷座地とされる地に鎮まるのが「下社春宮」だ。
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「神楽殿(かぐらでん)」はその名称のとおり雅楽や舞を奉納するほか祈願も行う建物だ。「下社秋宮」の「神楽殿」は、宮大工「立川和四郎二代目富昌」によって、1835(天保6)年に上棟され、1983(昭和58)年に国の「重要文化財」指定を受けている。一方、「下社春宮」の「神楽殿」は、天和年間(1681~1684)の造営といわれるが、その後修改築が繰り返され、1936(昭和11)年に大改修されて現在に至っているという。同一の図面で建築されたというが、「下社秋宮」より小ぶりの建物で、施されている彫刻も異なっている。
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「幣拝殿」は、地元宮大工の立川流初代「立川和四郎(たてかわわしろう)富棟(とみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)が「秋宮」を、大隅流「柴宮/伊藤長左衛門矩重(のりしげ)」(1747/延享4年~1800/寛政12年)が「春宮」を、同じ図面で請け負って、技を競ったといわれる。
◇ ◇ ◇
その「幣拝殿」は、参詣者が神前に奉献する「幣帛(へいはく)」を捧げる社殿「幣殿(へいでん)」と、拝礼を行うための社殿「拝殿」が、一棟の楼門形式「二重楼門造り」になった「幣拝殿」を中央に、「右片拝殿」「左片拝殿」を並べた祭祀と拝礼のための「下社」独自の様式の建物だ。「下社秋宮」と「下社春宮」の「幣拝殿」は、いずれも1983(昭和58)年に、国の重要文化財に指定されている。
諏訪大社下社春宮 大鳥居
諏訪大社下社春宮 神楽殿
諏訪大社下社春宮 幣拝殿
諏訪大社下社春宮 幣拝殿