「処暑」を過ぎても厳しい暑さの毎日だが、標高約1600mの「八島湿原」は、すでに「秋」がはじまっている。
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「匂宮」が「藤袴(ふじばかま)」「吾亦紅(われもこう)」など秋の花に関心を寄せる「源氏物語 巻42『匂宮』」の記述「御前の前栽にも、春は梅の花園をながめたまひ、秋は世のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にもをさをさ御心移したまはず、老いを忘るる菊に、おとろへゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し棄てずなどわざとめきて、香にめづる思ひをなん立てて好ましうおはしける。」 を思い出しながら、枯れ色の秋へと移り行く時間の中で、命の終わりを静かに待つチョウたちの舞う姿を眺めた。
❖ 八島湿原 再掲(写真は更新)
「八島湿原」(諏訪郡下諏訪町東俣)は、標高約1,600メートルに位置する高層湿原で、国内高層湿原の南限にあたる。
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約12,000年前に誕生したという面積約3,000ヘクタールの同湿原は、1939(昭和14)年に国の「天然記念物」に指定されているが、寒冷地のため植物の腐敗と分解がしにくく、約8メートルの厚さとなった泥炭層が堆積しているという。
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周辺の森林化や降雨量減少による乾燥化、水生植物繁茂や土砂の流入などによって、湖沼は面積の後退が続いているが、一帯は繊細な花を咲かせる湿原植物や亜高山植物、過酷な環境の中でいのちを繋ぐ昆虫などに接することが出来る癒しの環境が広がっている。
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周辺からは「富士山」「八ヶ岳」「中央アルプス」「南アルプス」などへの眺望が開けている。
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高原中央部の「御射山遺跡(みさやまいせき)」は、鎌倉幕府が全国の武将を「諏訪大社下社」の「御射山祭」に参加させて祭事を執行し、一帯で武芸を競わせたりした場所で、階段状の地形は桟敷だったと考えられるという。
❖ 霧ヶ峰 再掲(写真は更新)
「八ヶ岳中信高原国定公園」に指定されている火山で、主峰「車山」から噴出したという溶岩により広がった大規模な高原をいう。火山活動は「八ヶ岳連峰」とほぼ同時期の約140万年前からで、現在のような地形になったのは約30万年前と言われている。
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「亜高山帯針葉樹林」境界付近の存在で、例年5月下旬「コバイケイソウ/小梅蕙草」、6月中旬「レンゲツツジ/蓮華躑躅」、7月中旬「ニッコウキスゲ/日光黄菅」(ゼンテイカ/禅庭花)、8月には「マツムシソウ/松虫草」などが見ごろを迎える。
❖ 源氏物語
平安時代中期に成立した全五十四帖からなる長編物語で、日本古典文学の最高峰と評価されている。
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作者は、「一条(いちじょう)天皇」の中宮「彰子(しょうし)」(「藤原道長(みちなが)」長女)に女房として仕えた「紫式部(むらさきしきぶ)」というのが通説で、夫「藤原宣孝(のぶたか)」に死別した1001年(長保3)から、中宮「彰子」のもとに出仕した1005あるいは1006(寛弘2あるいは3)年までの間に起筆し、「藤原道長」の支援の下で物語を書き続けたと推定されている。
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王朝文化最盛期の宮廷貴族の生活を克明に描きながら、時の「桐壺帝(きりつぼのみかど)」を父とし「桐壺更衣(きりつぼのこうい)」を母として生まれた主人公の「光源氏(ひかるげんじ)」が、「葵上(あおいのうえ)」「夕顔(ゆうがお)」「紫上(むらさきのうえ)」などの女性たちと交渉をもち、また父帝の中宮「藤壺(ふじつぼ)」との恋に苦悩しながらも、運命に導かれて栄華をきわめる姿を、約70年にわたって構成している。最後の「宇治十帖」と称される10巻は、「薫大将(かおるだいしょう)」(「光源氏」の二男とされるが実は「光源氏」の妻「女三の宮/おんなさんのみや」と「柏木右衛門督/かしわぎ うえもんのかみ」との不義の子)と宇治の「浮舟(うきふね)」の恋愛を描いている。
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「源氏物語」五十四帖の巻名のひとつ「巻42『匂宮』」は、「光源氏」の子孫とその縁者の後日談を描く。登場人物「匂兵部卿宮(におうひょうぶきょうのみや)」の通称「(におうのみや)」は、今上帝「冷泉院(れいぜいいん )」の第三皇子、母は「明石中宮(あかしのちゅうぐう)」(「光源氏」の娘)で、光源氏の孫にあたる。容色、才能ともにすぐれた情熱的な貴公子で、「薫大将」とともに「宇治十帖」の中心人物として描かれている。