A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

アートブレイキーが今度はマルサリスを引連れて登場・・・

2012-05-13 | CONCORD
Straight Ahead / Art Blakey and The Jazz Messengers

昔は、仕事のやり方は先輩から直々に教わったものだ。職人の世界はこの徒弟制度が当然だったし、ホワイトカラーの仕事も我々が会社勤めを始めた頃はまだ当たり前の世界だった。ところがいつのまにか、会社の運営方法が人材の育成中心にした自由度の高い仕事のやり方から、マニュアル化、プログラム化された組織運営になり、個性を生かす場がどんどん少なくなってきた。当然組織の中では職人芸を生かすことも難しくなり、特にルールに反した仕事のやり方はコンプライアンス上からもご法度となってしまった。結果は、人材が育たないつまらない会社になり、今の時代を迎えてしまった。

ジャズの世界もある種の職人技の研鑽によって人材は育っていくのであろう。その場を作れる人物がある種の親分格になる。ウェストコースト出身のプレーヤーの多くはハーマン、ケントンオーケストラの出身。このオーケストラはどちらも新人育成の場であった。
では、ハードバップに始まるメインストリーム派の、研鑽の場というとやはりジャズメッセンジャーズであろう。アートブレイキーの発掘した新人の見立ては間違いがない。特に、トランペットは初代のクリフォードブラウンに始まり、メッセンジャーズの経験が代々一流トランペッターになるための登竜門になっていた。これは晩年まで続く。

Concordレーベルにアートブレイキーが登場したのは1978年。ブレイキーは還暦を迎えようとしていたがまだまだ意気軒昂、若者を引き連れて相変わらずホットな演奏を続けていた。
80年代に入り、そのジャズメッセンジャーズにまたまた大物新人が加わった。トランペットのウィントンマルサリス。加わったときは弱冠18歳であった。
そのメッセンジャーズが、コンコルドの本拠サンフランシスコに再びやってきて、前回同様地元のクラブ「キーストンコーナーズ」で演奏したときのライブがこのアルバムだ。

ピアノのジェームズウィリアムス、アルトのボビーワトソンなどは前回のアルバムにも参加していたので在籍期間も3年を超えてすっかりメッセンジャーズの看板となっていた。そこにマルサリスが加わったわけだが、他のメンバーと比べて全くひけをとらない演奏振りで、とても19歳の新人とは思えない。“How deep is the ocean”では大きくフィーチャーされているが、テーマの演奏のちょっとしたプレーズでもすでにグループを引っ張っているような貫禄だ。
この録音から30年経ち、マルサリスも50歳になり、今やマルサリスが新人を育てる役割を果たす年になっているが、マルサリスはジャズの伝統を受け継ぎ後世に残す役回りの重鎮の一人にまで育った。ブレイキーも天国で自分の教えを守った弟子の立派に育った姿を見てさぞかし喜んでいるだろう。俺の目に狂いはなかったと。



1. Falling in Love With Love    Hart, Rodgers 7:53
2. My Romance            Hart, Rodgers 3:42
3. Webb City             Powell 10:00
4. How Deep Is the Ocean?      Berlin 9:45
5. E.T.A.              Watson, Watson 6:10
6. The Theme             Blakey, Davis, Dorham 3:07

Wynton Marsalis (tp)
Bill Pierce (ts)
Bobby Watson (as)
James Williams (p)
Charles Fambrough (b)
Art Blakey (ds)

Produced by Frank Dorritie
Phil Edwards : Engineer

Recorded live at Keystone Corner、San Francisco, California, June 1981

Originally released on Concord CJ-168


Straight Ahead
Art Blakey
Concord Records
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トーナメントコースは、TVに映る名物ホールや話題のホールが気になるが・・・・

2012-05-12 | SHOT OF THE DAY
久々の東名方面のゴルフ。場所は東名カントリークラブ。最近富士山周辺は地震だ、噴火だ、崩壊だと物騒な話題が続くが、こればかりは心配しても仕方がない。近くに行った時に事が起こったら、それも運命と割り切ることにしている。
東名カントリーといえば、女子ツアーのスタンレーレディースの会場。昨年は有村知恵のアルバトロスとホールインワンの同日達成で話題になった。ゴルフを始めた頃一度行ったことがあるが、ほとんど覚えていないので初めて行くコースに等しい。さて、どんなホールで出したのか・・・・。



コースは裾野インターから15分位、富士山に向かって少し登っていった傾斜地にある。入り口近くの下を開通したばかりの第2東名が通る。開場してから大分たつので、コースに落ち着きがあるが、2グリーンを1グリーンに順次変えているので、特にグリーン周りのレイアウトは少しずつ赴きを変えているようだ。特に、桃園コース最終ホールのグリーン周りのバンカーの配置はアベレージゴルファーには難しいとアドバイスを受けたのだが、自分も3打目の辺りが薄くて見事に入れてしまった。何とか脱出できたが、やはりこのホールのバンカーは要注意。

富士山周辺のコースの特徴である富士山からの芝目は難しい。グリーンが少し重めであったが同じ組の同伴のメンバーは皆下りに大苦戦していた。初めてのグリーンだったが。何故か自分はタッチが合って、3パットは一回だけ、長めのパットも気持ちよく入って30パットとまずまず。結果がそのまま本日のスコアに反映して久々の80台。

有村のアルバトロスは裾野コースの8番。488Yのロングホール。打ち下ろしで2打目が池越え。ティーショットがそこそこ飛べば、2打では池はあまり気にならない。
このホールのティーショットは本日一番の当たり。残り200Yまで転がった。2オンすれば可能性はあるなと思った途端に力んでミスショット。まあ、素人はそんなもの。
右にプッシュアウトして隣のホールまで。グリーン手前まで戻してのアプローチ。距離はあったが、最近寄せは8番のランニングに決めているので躊躇なく転がしを選択。少しトップ目のミスショットに近い当たりであったが、距離があったので結果はナイスタッチでそのままカップインのラッキーバーディー。

もうひとつのホールインワンは桃園の7番。少し打ち上げのそれほど距離のないホール。ティーショットは好調であったが、アイアンは右に行きがちであったが、このホールも右にプッシュアウト気味でバンカー。バンカーショットはピンを3メートルオーバー。順目の少しスライス気味のラインであったが、ここは読みどおりにカップイン。

有村のアルバトロスとホールインワンにはとても及ばないが、有村のツキを分けて貰ってどちらのホールもミスからのリカバリーは完璧だった。
この日は知人のコンペに空きがあるからということで助っ人参加であったが、午後の出だしに大きく崩れた2つのホールが隠しホールに見事にはまり、アプローチとパットの好調に助けられ見事優勝。このコースは自分も相性のいいコースになりそうだ。

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マルチリードの達人ディックジョンソンは、地元に帰るとマルチタレントのスパーマンだった

2012-05-10 | CONCORD
Swing Shift / Dick Johnson

名義貸しというのは合法であろうと違法であろうと色々な世界で行われている。先日のバス事故での「名義貸し」は問答無用だが、最近大手のスーパーに行くとPBの商品が溢れている。PBとは結局、流通の「名義貸し」だ。
昔は同じ商品でもどこのメーカーの物にするか悩んだし、それを選ぶ楽しみもあった。選んでもらうためにはメーカーも自ら広告費をかけてブランドの浸透に力を入れていたが、このPBが広まるとメーカーは作り手に徹し、生活者からは遠い存在になってしまう。作り手と流通の役割分担といえばそれまでだが、流通が強い社会はある意味で便利ではあるが、何か選択の自由が無くなって寂しい感じがする。
その反対に、ネット社会の到来で地方の超マイナーブランドが一躍グローバルに打って出ることも可能になった。利用者側も選択眼を養うことが益々重要になってきた。自分で努力すれば良い物が手に入るが、楽をすると当たり前の物しか接触できない時代だ。

コンコルドレーベルも、設立当初はローカルのマイナーレーベルであったが、カタログ枚数が200枚近くになるともはやマイナーレーベルとはいえない中堅レーベルに育っていた。オーナーのカールジェファーソンの個性もあり、ブランドイメージも確立してきた。コンコルドレーベルということで、「あるジャンルのファン」は中身を聴かなくとも安心して新譜を買うことができたのだ。
一方で、毎月のように多くのアルバムを出すようになると、ジェファーソンだけでのプロデュースでは量、質とも限界に達していた。そこで、次なる策はNo.2のプロデューサーを起用すること。Frank Dorritieがその任を果たすようになった。ジェファーソンとは少し違ったアプローチで、主役の意向をかなり重視するアルバムが作られるようになってきた。結果的に幅が広がったことで、コンコルドレーベルとしてのステータスはより確固たる物になっていった。

マルチリードプレーヤーのディックジョンソンも、そのコンコルドレーベルに参加したミュージシャンだ。ジェファーソンのプロデュースの元、何枚かのアルバムに登場して、マルチで楽器を操る器用な腕達者振りを披露してくれた。
しかし、「彼の本質は今まで聴いたアルバムでの演奏なのか?」というとひょっとしたら違うかもしれない。あくまでもジェファーソンの眼鏡にかなった演奏であり、彼の本質は自分の納得がいく別の演奏にあるのでは?と思った。

今度のアルバムは誰との共演か?と思ったら、今回のアルバムはディックジョンソンのグループSwing Shiftの登場だ。
プロデューサーは?というとディックジョンソン自らが加わっている。
録音場所も、地元ボストンのお隣のロードアイランドだ。
完全にディックジョンソンの自主制作アルバムでコンコルドレーベルは「名義貸し」のようなものだ。これまでの、過去に自主制作したアルバムをコンコルドから世に出した例はあったが、今回は新録音。これが、初めてだったかもしれない。

ジョンソンが自らプロデュースしただけあって、このアルバムは色々なことが考えら、盛り込まれている。
地元に戻って地元のメンバーと一緒の演奏、それだけで生き生きしている。
編成は管を5本入れたオクテット。ウェストコーストジャズの全盛期はよくあったがその頃は珍しい。
アレンジは基本的にジョンソンが自ら行っているが、2曲だけ別のアレンジャーを起用。その2曲が、最初と最後に配置され、どちらもリズミックでご機嫌。
一方で、ジョンソンのアレンジは自分だけでなく管全員に持ち替えをさせる懲りよう。単にスインギーなだけでなく、オープンハーモニーなモダンなアプローチも取り入れている。
実際に、エリントンナンバーのサテンドールでは、演奏を終えてプレーバックを聴いて7人のハーモニーが14人のアンサンブルのように聞えるとご満悦だったとか。
さらには、バリトンとテナーで参加しているJimmy Derbaのラストレコーディン。
というより、他にもう一枚しかレコーディングが無い程無名だったDerbeが、実は地元の名士ハーブポメロイに、ボストンが生んだ偉大なバリトン奏者3人と言えば、ハーリーカーネイ、サージシャロフ、そしてこのJimmy Derbaだと言わしめる名手であったとか・・
おまけに、自分が好きなサドジョーンズのチャイルドイズボーンも入っているし。
話題に事欠かないアルバムである。

ディックジョンソンはマルチリードの達人ではなく、実はプロデュース、アレンジにも長けたマルチタレントであったということが分かるアルバムだ。
このアルバムが世に出たのも、ジョンソンにジェファーソンが余計なことを言わないでコンコルドが名義貸しを始めたからかも?
であれば、カルコリンズのシンシナティーに戻ってからのアルバムも出せばよかったのに・・・・。

1. Jones
2. It Never Entered My Mind
3. The Night Has A Thousand Eyes
4. Perdido
5. Satin Doll
6. A Child Is Born
7. How Are Things In Arborea

Dick Johnson (as,ts,ss,cl,fl)
Jimmy Derba (bs,ts,,cl,fl)
Rick Hammett (tp,flh)
Ken Wenzel (tb,flh)
John DeMasi (tb)
Paul Schmeling (p)
Paul Del Nero (b)
Gary Johnson (ds)

Arranged by Dick Johnson & Hal Crook
Produced by Dick Johnson & Ron Gamache
Recorded at Normandy Sound, Warren, Rhode Island, march 1981
Engineer ; Bob Winsor

Originally released on Concord CJ-167

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ライブ録音の残り物は消化不良を解消してくれる・・・

2012-05-09 | MY FAVORITE ALBUM
Smokin’ At Half Note Vol.2 / Wes Montgomery & Wynton Kelly Trio




ベニーグッドマン、そしてコンコルドオールスターズに加わって、あっという間に全国区で有名になったカルコリンズであったが、田舎での生活が音楽的にもプライベートでも自分の生活のリズムに合うのかシンシナティーに引っ込んでしまった。そこでは、自分のスタイルで気兼ねない演奏に戻っていたかもしれない。

ジャズの世界では多くのプレーヤーは、ニューヨーク、そしてロスを拠点としている。プレー仲間を探して切磋琢磨するにも必要な場所だ。また、スタジオで仕事をする者は、仕事場がニューヨークやロスなので仕方が無い。そんな中で、地元を離れなかった有名プレーヤーもいる。その一人がウェスモンゴメリー、生まれ育ったインディアナポリスを離れなかった。

もちろんレコーディングの時はニューヨークを訪れたが、スタジオワークをやる訳ではなく、自分のアルバムや他の有名プレーヤーとの共演の時だけだった。
しかし、名が売れるにしたがって、各地で演奏を披露するためにツアーはやらない訳にはいかず、ニューヨークや西海岸、そして遠くヨーロッパへも遠征していた。
その時のライブのアルバムが何枚かあるが、やはりウェスの演奏を楽しむにはこのクラブでのライブのアルバムが一番だ。特に晩年はオーケストラの演奏をオーバーダビングしたものが多く、ウェス自体は変わっていないものの、それらからは心地よさは増してもプレーの熱気は伝わってこない。

ウェスのライブ物といえば、まずはフルハウス、そしてハーフノートが定番。どちらもピアノはウィントンケリー。この組み合わせがやはりベストだろう。どちらもジャズ喫茶でよく聴いたアルバムで懐かしい。
未発表録音が陽の目を見出した時、スタジオ録音だと別テイク物が多かったが、ライブだと当然未発表物が多い。フルハウスの続編は無いものかとディスコグラフィーを見たが、これは同じ日の録音の別テイクが多い。この日の録音はライブといっても、スタジオライブのような物だったのかもしれない?

一方で、ハーフノートの方は、日付が異なっていくつもの録音がある。この年は、春に長いヨーロッパツアーがあり、帰ってきてすぐの5月にはドンセベスキーオーケストラと一緒の録音があったが、翌月の6月24日からハーフノートのライブがスタートだ。それから、8月、9月、11月と毎月のように続く。
有名な”Smokin’ At Half Note”に収められたのはその中から2曲だけ。当然他の演奏も気になる。後にこのVol.2が出て、全貌が明らかになった。最初のアルバムでは消化不良であったが、期待に反しないライブでの演奏がたっぷり聴ける。
この中には後にオーケストラを加えてアルバム化されたものあったが、このアルバムではすべてカルテットの演奏。惜しむらくは、一部曲の中でカットされたものがあること。その後コンプリート盤は出たのであろうか?

ウェスの良さは何もオーケストラを加えなくても何の飾りっ気もない「スッピン」でのプレーが素晴らしい事。その後オーケストラ付がヒットしてしまったせいか、’68年に亡くなるまでの間のライブアルバムは無いし、コンボでの演奏も僅か。
忙しくなってしまった合間を縫って、きっと地元のインディアナポリスに戻って、どこかで「スッピン」でリラックスした演奏していたのではないかと想像してしまう。
その時の演奏を聴いてみたいものだ。

1. No Blues
2. If You Could See Me Now
3. Willow Weep For Me
4. Impressions
5. Portrait Of Jennie
6. Surrey With The Fringe On Top
7. Oh, You Crazy Moon
8. Four On Six
9. Misty

Wes Montgomery (g)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

Produced by Creed Taylor
Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded Live at Half Note, New York, on July 24,25, August 13, Sep.17 1965


ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオVo2
Wes Montgomery
ポリドール
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ワンポイントマイクで聴く923 Big Bandの迫力は・・・

2012-05-08 | MY FAVORITE ALBUM
Introducing The Kunizo Big Band

連休中は雨でゴルフが流れたこともあり、ライブへ出掛けた回数が増えた。連休中の最後のライブは、KUNIZOこと木幡光邦率いる923 BIG BAND。
正統派4ビートから、ゴードングッドウィン張りの8ビートのファンキーな曲までレパートリーの幅は広い。前々回のライブは、彼が昔属していた東京ユニオンの譜面を再演というプログラムで、これはこれで盛り上がったオールマイティービッグバンドだ。

リーダーのKUNIZOさんは、ビッグバンド以外にも、ホットコルネットというアコースティックなサウンドのグループや、bbフラッツというジャズにこだわらず少し毛色の違うジャンルも幅広く演奏をするグループなども率い、さらには他のビッグバンドでも時折プレーヤーとして見かける。ライブだけでも多方面で大活躍だ。本人も語っていたが、50を過ぎて新境地が開けたそうだ。羨ましい限り。

今回メンバーはほぼレギュラーメンバーだったが、ベースとドラムがBBフラッツのメンバー。ベースの桜井奈緒子は演奏中の笑顔が可愛い女流ベーシスト。1部と2部の間では、そのBBフラッツの演奏も楽しめた。



今回のプログラムは、彼らのアルバムに収録されている曲が多く、最後はアンコールでアルバムの最初に入っているインナメロートーンの大盛り上がりで終わった。来月以降の予定も毎月決まっているようなので楽しみだ。

さて、この923 BIG BANDのアルバムは、白地にKUNIZOさんのイラスト入りの洒落たジャケットだが、実はこのアルバムはその録音で話題になった。
ジャズの録音というと楽器毎に多くのマイクを立てるマルチ録音が主流。さらにセクションの間を衝立で仕切ったりして、楽器その物の音の再現に力が注がれる。編集やオーバーダビングなども自由自在だ。
一方で、クラシックはワンポイントマイクでの一発勝負。コンサートホールの響きも考慮に入れたオーケストラ全体の音の再現がよい音作りの尺度になる。



このアルバムの録音は、ジャズのオーケストラでありながらワンポイントマイクで収録されたところがミソ。場所は杉並公会堂の小ホール。200席くらいなのでジャズには最適な広さだ。
昨年久々に大きなホールでデュークエリトンオーケストラを聴いたが、このコンサートではPAをほとんど使わず、オーケストラのサウンドがホールと一体となった演奏会だった。管楽器のアンサンブルは良かったがドラムの音のシャープさがどうしてもボケる印象であったが、このアルバムの録音も同様だ。いい悪いは別にしてヨーロッパのジャズ録音ではワンポイントマイクの音がする演奏を時々見かけるが、自分の好きなライブはやはり客席のテーブルの食器の音やプレーヤーが譜面を繰る音までリアルに入った録音に軍配が上がる。

こちらで詳しい解説が

このアルバムの録音は5年前。演奏自体はこのアルバムでも悪くは無いが、昨今の演奏は5年間の積み重ねでさらにこなれてきたようだ。もう一度このような録音をすれば、バンドの一体感が増した分、さらに素晴らしいオーケストラサウンドが聴けそうだ。

1. In A Mellow Tone
2. Take The A Train
3. When I Fall In Love
4. Hobo Flats
5. Caravan
6. Samoana
7. C.T.A
8. Elephantman-life
9. Everything Must Change
10. The Jazz Yoriki

Mitsukuni Kohata (to,g)
Masanori Suzuki (tp)
Isao Sakuma (tp)
Narihiro Kikuchi (tp)
Keisuke Nakamura (tp)
Jun Kondo (as)
Toshimichi Imao (as)
Tatsuya Sato (ts)
Masakuni Sano (ts)
Yasuo Niwa (bs)
Haruki Sato (tb)
Michi Kagiwada (tb)
Yoshiaki Hashimoto (tb)
Junko Yamashiro (btb)
Kazuaki Kondo (p)
Kiyoshi Murakami (b)
Shouji Hirakawa (ds)
Hiroaki Murakami (ds)

Produced by Koichi Kitagawa
Engineer : Todd Garfinkle

Recorded live, December,18, 2007. in the small hall of Suginami Kokaido,Tokyo




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ウェストコーストの老舗グループの録音に飛び入り参加したおかげで・・・

2012-05-07 | PEPPER ADAMS
In The Solo Spotlight! / Howard Rumsey’s Lighthouse All Stars

ロスアンジェルス空港のすぐ南、ハモサビーチにLIGHTHOUSE というCAFÉがある。ダウンタウンからも遠く、ハリウッドからも離れていたが、ここがウェストコーストジャズの全盛期に若いジャズファンが集まるメッカであった有名なライトハウスである。
今でもライブをやっているようだが、当時は西海岸を代表するライブハウスで地元のスタジオミュージシャンが毎夜集まってはジャムセッションを繰り広げていた場所だった。

そこを取り仕切っていたのがベースのハワードラムゼイ。彼が率いるライトハウスオールスターズの名前でアルバムも多く残されているが、西海岸を代表するミュージシャンの多くが一度はこのオールスターに加わっていた。
彼らは時にはロスを訪れるミュージシャンとも他流試合を繰り広げていた。先日紹介したリーモーガンとの競演もその一例だ。アレンジ重視のウェストコーストジャズではあるが、ここでの演奏はソロを重視した熱っぽい演奏が多い。

このライトハウスがオープンしたのは1949年。スタンケントンオーケストラのベーシストであったハワードラムゼイが、ビッグバンドでの演奏に飽きて、自分のグループを編成しようと思っている時に、たまたまこのライトハウスの前を通りかかった。
そこのオーナであるジョンレビンから買ったばかりの場所を一杯にする術を尋ねられので、ラムゼイはできる限り大きな音を出せるミュージシャンを集め、入口のドアを開け放して演奏を始めた。するとすぐにお客で溢れるようになり、ラムゼイとそのグループのメンバーはめでたくライトハウスの専属として雇われることになったのが歴史の始まりだそうだ。

ラムゼイの拘りはソロを大事にすること。残されたアルバムの中に、改めてソロにスポットライトを当てたアルバムがある。録音は54年のセッションと57年のセッションの2つに別れている。このライトハウスオールスターズも時代によってメンバーの変遷があるので、メンバーはがらりと替わっている。
57年の録音のメンバーの中に何故かペッパーアダムスの名前がある。よく見るとサックスセクションはアルトがレニーニーハウスでテナーがリッチーカムカ。直前までスタンケントンのオーケストラで一緒にツアーに加わっていたメンバーと一緒だ。アダムスの記録でもレニーニーハウスの録音に付き合うとあるので、ニーハウスに誘われたのかもしれない。アルバムではニーハウスとカムカにはしっかりソロの曲が割り当てられているが、残念ながらアダムスのソロは無い。新参者には出番が無かった。

アダムスは、この録音の前日には先日紹介したボブキーンのアルバムの収録。たまたまどちらもソリストに順番にスポットライトを当てつつきっちりアレンジを施したアルバムを作っていたとは偶然とはいえ両リーダーとも同じようなことを考えていたのかもしれない。

アダムスの第一期のロスの滞在は4ヶ月足らずであったが、このライトハウスオールスターズ、ショーティーロジャーズ、そしてデイブペルとウェストコーストを代表するグループのアルバム作りに軒並み参加して名を売った。これもスタンケントンオーケストラ卒業の看板と、卒業生同士の繋がりの強さの証かも知れない。その年のダウンビート誌の新人賞を獲得できたのも、この期間の活躍があったからだであろう。



1. Funny Frank
2. That’s Rich
3. If You Are There
4. Stan
5. Coop
6. S&B
7. Claude
8. Concerto For Doghouse
9. Bud

Stu Williams (tp)
Bob Cooper (ts)
Bud Shank (as)
Bob Enevoldsen (vtb)
Bob Gordon (bs)
Claude Williamson (p)
Howard Rumsey (b)
Stan Levey (ds)

Recorded in Los Angels on August 17, 1954
Engineer : John Palladino

Conte Candoli (tp)
Frank Rosolino (tb)
Richie Kamuca (ts)
Lennie Niehaus (as)
Pepper Adams (bs)
Dick Shreve (p)
Howerd Ramsey (b)
Stan levey (ds)

Recorded at Contemporary Studio’s Studio in Los Angels on March 12, 1957
Engineer : Roy DuNann

Produced by Lester Koenig


In the Solo Spotlight
Howard Rumsey
Ojc
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有名になることがいつも幸せとは限らない・・・・・

2012-05-06 | CONCORD
Cross Country / Cal Collins

古めかしい蒸気機関車をバックに、ギターを片手のカルコリンズ。彼にはお似合いの絵柄だ。

シンシナティーでローカルな活動をしていたコリンズがベニーグッドマンに見出されたのが’76年。翌年にはジェファーソンの目(耳)に留まりConcordへ登場して4年目になっていた。デビュー作を含めて、最初はコリンズのギターを生かすトリオの演奏であったが、いつのまにかコンコルドのオールスターズに加わり世界を股に駆けて活動するようになっていた。ギター一本に賭けて長年ローカルで生活をしていたコリンズにとって、オールスターズでの活動はきっと嬉しくもあり反対にストレスの溜まるものであったのかもしれない。

それを察してかどうかは定かではないが、お祭り好きのジェファーソン親分とは別に、コンコルドのもう一人のプロデューサーであるフランクドリティーはコリンズのギターを存分に味わえるソロアルバム、”By Myself”を制作した。ジェファーソンのあっと驚く組み合わせにこだわるプロデュースと異なり、ドリティーのプロデュースはこれまでの他のアルバムでも、そのミュージシャンの本質により迫るアプローチをしていたように思う。ドリティーは今回はソロアルバムを選択した。
自己のプレーをある程度犠牲にしてでもジェファーソンのコンセプトに従わざるを得なかったミュージシャンにとっては、ドリティーの存在は救いだっただろう。

ミュージシャンにとって究極の自己のプレゼンテーションをする場はソロだ。リズムの良し悪しも、相方の良し悪しも、あるいはアレンジの良し悪しも関係ない、ソロはすべて自己責任の場である。
聴く方にとってもソロというのは、どんどん引き込まれてしまうものと、反対にすぐに飽きが来て眠くなってしまうものの両極端が多い。コリンズのギターは、最初のソロアルバムを聴いた時も惹き込まれてしまったが、このアルバムも同じである。ソロプレーになると彼のギターの素晴らしさがより浮き彫りになるがコリンズのスタイルというと・・・。

彼の音楽への取り組みは、最初はブルーグラスのマンドリンで始まった。その後いつのまにかアートテイタムやナットキングコールのピアノをギターでコピーするようになったそうだ。カントリーの盛んな中西部で生まれ育ったコリンズのギタースタイルは、知らず知らずのうちにジャズとカントリーのハイブリッドスタイルになっていったのだろう。コンコルドのモダンスイングの響きにそのギターはうまくマッチした。しかし、オールスターズの中では、彼のギターの良さがだんだん影が薄くなっていったのも事実だ。
小さい店を任されていた料理人が、たまたま大きなレストランの料理長を任され、それぞれはそれで嬉しいが、自分の本当の腕を試す機会が減ったと嘆くのと同じ心境かもしれない。

このコンコルドに残された2枚のソロアルバムは何故かCD化されていない。本人の意思であったのか、レコード会社の意思なのかは分からないが、今の時代に伝えられていないのは残念に思う。
ギターの演奏を知らない自分もこのコリンズのソロは絶品と思うので、気になって少しネットを調べてみた。このアルバムに収められている、オータムインニューヨークの演奏は多くのミュージシャンやギタリストにとっての宝物だとのコメントがあった。皆の想いは同じようだ。

一時はアメリカ大陸を、そして世界を飛行機で飛び回ったカルコリンズ、彼にとって気が休まるCross Countryとは蒸気機関車に乗ってのんびり出かけられる範囲だったのかもしれない。

1. On The Atchison, Topeka, and The Santa Fe
2. Poor Butterfly
3. Corina,Corina
4. But Beautiful
5. My Gal Sal
6. I Can’t Help It (if I’m Still In Love With You)
7. Suzie Q
8. When Sunny Gets Blue
9. Among My Souvenirs
10. Autumn In New York

Cal Collin (g)

Produced By Frank Dorritie
Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, April 1981

Originally Released on Concord CJ-166


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過去の名演を再現するには色々手法はあるが、ジョンヘンドリックスが拘ったのは・・・

2012-05-05 | MY FAVORITE ALBUM
Love / Jon Hendricks & Company

せっかくの人生、忙しくてなかなかできなかった事を残された時間で色々やってみたいとは思うのだが、歳をとるにしたがってなかなか新たに事を始めるのは億劫になる。今までやっていたことの中で何か一つを極めるのも自分の生き様を全うするにはいいかもしれないと思うこの頃だ。このブログを再開したお陰でジャズを聴く時間は増えているのだが・・・さてそれだけでは?

女性陣に較べて劣勢な男性ジャズボーカルの中で一人忘れていけないのはジョンヘンドリックスだ。ジョンヘンドリックスはコーラスグループのランバードヘンドリック&ロスのメンバーであったが、このグループはジャズの過去の名演を歌にしてコーラスにすることを売りにしていた。
ボーカライズするには、スキャットはいいがちゃんと歌にするには歌詞をつけなければならない。この作詞をしたのもジョンヘンドリックスだ。ジャズの名演のコピーのやり方にはいくつかアプローチがある。LHRの得意技であるコーラスによるボーカライズもひとつの手法だ。マンハッタントランスファーなど他のコーラスグループにも引き継がれている。

このジョンヘンドリックスの活動は一歌手には収まらず多方面であった、作詞だけでなく良い演奏をボーカライズする想いも人一倍あったようだ。
ヘンドリックスは、LHRの解散後は独自で活動していたが、やはりコーラスでのボーカリーズは彼のライフワークとして拘りがあったのだろう、自らのグループCompanyを再編した。
ボーカライズはコーラスといっても普通のコーラスと違ってそう簡単に誰でもできるわけではないと思う。チームワークも大事だがオリジナルの演奏への想い入れも大事そうだ。
今回のグループは気心の通じ合った家族同士が中心。ジョンのワイフのJudithと娘のMicheleを加えたグループだ。
兄弟によるコーラスグループにはミルスブラザーズ、夫婦のグループだとジャッキー&ロイがあるが、夫婦+娘という組み合わせはあまり聴いたことがない。この3人にLeslie DorseyとBob Gurlandが加わった5人編成だ。このガーランドがトランペットを声で模すVoice trumpetを披露してくれるが、実にこれがいい感じだ。最近の活動の様子がビデオにあるが、彼のボイストランペットはこのようなボーカライズのコーラスグループと一緒だとより映える。



LHRの時とアプローチは同じなので、元となる演奏と対比してみると新たな発見があるかもしれない。きっと彼らの選曲にも理由があると思うので、その拘りが見えてくると興味も増す。きっと歌詞にも意味があるのだろう。

このアルバムに収録されている曲の中に、サドメルのオーケストラの演奏で有名な”Groove merchant”が入っている。サドメルではセントラルパークノースというアルバムに入っていたが、ファンキーなノリの良い曲でお気に入りのひとつだ。
作曲はサドジョーンズではなく、当時のサドメルのオーケストラのサックセクションの重鎮ジェロームリチャードソンだ。サドメルのオーケストラのアレンジではリチャードソンのソプラノがリードするサックスセクションのソリが素晴らしい。

このアルバムでは、そのリチャードソン自身がテーナーでバックに参加している。そしてメンバーをよく見るとジミースミスもオルガンではなくピアノで。自分の作った曲がこのように形で新たなメンバーで、新しい姿に生まれ変わっていくのに参加できるのは作曲家冥利に尽きるだろう。



1. Royal Garden Blues         Williams, Williams 3:07
2. Bright Moments                 Kirk 3:41
3. Willie's Tune                       4:34
4. Good Ol' Lady                Hendricks 3:29
5. Lil' Darlin'                    Hefti 4:25
6. I'll Die Happy                       2:04
7. Love (Berkshire Blues)                   4:40
8. Tell Me the Truth           Dunson, Hendricks 3:37
9. The Swinging Groove Merchant (Groove Merchant) Richardson   5:33
10. Angel Eyes                Brent, Dennis 4:31
11. In a Harlem Airshaft (HarlemAirshaft)          2:57

Jon Hendricks (vol)
Judith Hendricks (vol)
Michele Hendricks (vol)
Leslie Dorsey (vol)
Bob Gurland (vol,voice trumpet)

David Hazeltine (p)
Jon Burr (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Harry "Sweets" Edison (tp)
Jerome Richardson (ts)
Jimmy Smith (p)
John Williams (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Produced by Jon Hendricks
Buddy Pollock : Engineer
Robert Grogan : Engineer
Richard Greene : Engineer

Recorded at P.D Recorders,Hollywood CA, 1981
      at Russian Hill Recordind,San Francisco, CA, September & November 1981
      at Sundragon Studio, NYC, January & February 1982

Love
Jon Hendricks
Muse Records
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バックの面々は東西対抗でもプレースタイルは変らず・・・・

2012-05-04 | CONCORD
Apples and Oranges / Scott Hamilton

インターネットの普及によって無くなってしまったものに百科事典がある。事典の内容を日々メンテナンスして紙の形で出版していたのは今考えると大変な労力であったろう。
百科事典は中身の情報が命だ。インターネットを利用してもデータのメンテナンスという作業は行わなければならない。だが、アウトプットへの反映はリアルタイムになるので利用者にとっては格段に便利になる。昨今のように変化が早い時代にはインターネットは不可欠になった。

データはWIKIのように皆でメンテするのが理想だ。百科事典の様なものは信頼性と信憑性をどう保つかが大事であり、トライアンドエラーで段々形作られて来たようだ。しかし、先日の食べログのような事が起る可能性はある。インターネットは便利だが玉石混交の情報から知りたい情報をどう選び出すかは情報の出し手にとっても、受け手にとっても永遠のテーマかもしれない。あらゆる事象に共通しているが、データを客観的な事実と主観的な情報に区分できれば便利なのだが。

このアルバムのライナーノーツで、1976年の終わりに出版された”The encyclopedia of Jazz in the 70’s”にスコットハミルトンの名前が無いという書き出しから始まっている。最初のコンコルドのアルバムが作られたのが翌77年だし、大した下積み経験も無く一躍世界に知られるスターになったので当然といえばそれまでだが、多くのジャズミュージシャンが表舞台に立つまでの間に何らかの経歴がある中で、それだけ短期間で世に出た稀有の例だということだろう。

ボストンに近いプロビデンス出身のハミルトンは少ない活動の拠点は東海岸、ニューヨークであった。一方でコンコルドの拠点は西海岸。ハミルトンはコンコルコルドのメンバーとの共演の時は西海岸を訪れていたのであろう。コンコルドのアルバムでデビュー以来このアルバムまでハミルトンが参加したアルバムは10枚を超えているが、ハミルトンのワンホーンのアルバムというのは殆どない。その点では、このアルバムはハミルトンのテナーをワンホーンで改めてクローズアップしたアルバムだ。

ニューヨークのニックネームをBig Appleという。アルバムタイトルのApples and Orangesはこのニューヨークを意味するアップルと、西海岸の名産のオレンジを意味している。バックを務めるメンバーが、西海岸のメンバーと東海岸の2つのセットの東西対決となっている。
西のメンバーはいつものコンコルドのアルバムでお馴染みのメンバー。東はジミーロールズを始めとして東海岸で活動していたメンバーだ。とはいうものの、ロールズも活動場所を変えていたし、ベースのムラーツの出身はチェコ。東西対抗といっても出身地対決というわけではない。

ハミルトンのプレーも、西と東でプレーが変る訳ではなく、ロールズとマッケンナのピアノの違いが楽しめるだけだ。ハミルトンのテナーはバックに廻っても、他のホーンとのコンビでも心地よいが、ワンホーンのハミルトンをたっぷりアルバム一枚分聴くと曲によっての音の表情の違いと歌心が伝わってくる。デビュー後まだ4年目とは思えない貫禄だ。

1. So Little Time
2. Royal Orchid Blues
3. With Every Breath I Take
4. Silk Stockings
5. Do I Love You(Because You’re Beautiful)
6. My Silent Love
7. Ham Fat
8. Tenderly

Scott Hamilton (ts)
Dave McKenna (p)
Bob Maize (b)
Jake Hanna (ds)

Recorded at Soundmixers, New York City, January 1981

Scott Hamilton (ts)
Jimmy Rowles (p)
George Mraz (b)
Joe La Barbera (ds)

Recorded at Russian Hill Recording, San Francisco, August 1981

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwards

Originally released on Concord CJ-165
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最終的に音楽の世界で何をやって成功するかは本人の才能次第・・・

2012-05-03 | PEPPER ADAMS
Solo for Seven / A Presentation in Jazz by Bob Keene Septet

音楽に取り組むスタートは大部分の場合楽器の演奏からスタートする。そしてそのまま演奏家として大成する者もいれば、作編曲の世界に活動領域を広げる者もいる。さらにその経験を生かしてステージやアルバム作りのプロデュースに取組む才能に恵まれる者も。
クインシージョーンズはその代表格であり成功者の一人でジャズの発展に寄与した功績は大きい。

ボブキーンというベニーグッドマンを目標にクラリネットを極めようとした人物がいた。クラリネット奏者としてもそれなりの評価を得られた頃に、バップムーブメントに始まるモダンジャズの到来が始まった。何の世界でもそうだが、一部のファンは新しい物に飛びつくが、多くの保守的なファンはそのムーブメントをすぐには受け入れらないのが世の常だ。
ジャズの世界でも、映画「バード」の中のシーンでもあったように、東海岸では認められ始めても西海岸ではバップに対する拒否反応が強かった。その中でウェストコーストの面々も徐々にバップ色の入ったモダンジャズを作り上げていった。

このキーンもその一人。自分のグッドマンスタイルを好む保守的なファンに、モダンジャズを受け入れてもらうためのアルバムを企画した。
モダンジャズの熱狂的なファンも満足させ、保守的なジャズファンの為に魅力的なメロディーやリズムも重視するような演奏ができないかと。当時のウェストコーストのバンドはセプテットやオクテットが多い。この趣旨に合わせたアンサンブルと、モダンジャズの特徴であるソロを重視するようなアレンジが求められ、その大役を務めたのはジャックモントローズ。

その演奏はというと、アルバムの企画どおりコンベンショナルなスイングジャズの延長をベースに、アレンジもあまり凝ったことをせずにメロディーラインを大切に、そしてアルバムタイトルどおり7人のソロを適度にまぶしている。
ちょっと聴いた感じはアメリカのホームドラマのバックでもおかしくないような感じだ。何の予備知識も無くこのアルバムを聴くと、あっと驚くアレンジも無く、際立ったソロもないB級アルバムのような感じだが、制作意図を理解して聴くとなるほどと頷ける点もある。

メンバーは、ウェストコーストのミュージシャン達だが、レッドノーボ、レッドミッチェルやシェリーマンなども参加している。そして、バリトンサックスにはペッパーアダムスが加わっている。イーストコーストから吹いてきた新しいモダンジャズの風を取り込むには最適な人選だったかもしれない。
アダムスが加わった最初の録音の3月11日の前日にはレニーニーハウスのアルバムの録音に参加していた。また2回目はデイブペルのアルバムの録音の翌日21日だった。アダムスは、この月は1日にはクインシージョーンズの名盤“Go West Man”の録音にも参加し、連日のGigや録音で大忙しの状態になっていた。

ところがこの2回目の録音の翌日3月22日に、ファーガソンオーケストラのメンバー3人と一緒にロスを離れてしまう。ファーガソンのオーケストラがしばらく西海岸で活動していたが再び東海岸に戻ることになった。アダムスもやっとロスでの生活に慣れて連日仕事が続く生活と、ファーガソンオーケストラでのプレーを秤にかけて迷ったのではないかと思われるが、この時点ではファーガソンを選択していた。参加したアルバムの録音途中で抜けたのも仕方がない。

このアルバムの制作者のキーンは、しばらくするとクラリネットの演奏から離れてプロデューサー業が本業となる。それもジャズではなくてロックンロールの世界で。このアルバムの翌年にはリッチーヴァレンスを世に出し、ラバンバの大ヒットでいきなりスターの座を得る。
その後のボブキーンはデルファイレコードのオーナーとして有名になり、プロデューサー稼業が本業となって成功を収めている。このアルバムも演奏の中身よりも、アルバムのコンセプト作りに彼の本質があったのかもしれない。
誰でも人生の中で分岐点はいくつもあるが、キーンににとってアダムスにとってもこのアルバムは何かの分岐点であったろう。

1. I Won’t Dance
2. There’ll Never Be Another You
3. Soft Winds
4. Solo
5. Can’t We Be Friends
6. I Hear Music
7. Once In Love with Amy
8. Let’s Fall In Love
9. Anna
10. A Lonesome Cup Of Coffee
11. Faces, Places And Things

Bob Keene (cl) all
Bobby Burgess (tb)  1,2,3,5,6,7,8
Milt Bernhart (tb)  4,9,10,11
Pepper Adams (bs)  1,2,3,5,6,7,8
Bill Hood (bs) 4,9,10,11
Red Norvo (vib) all
Dick Johnson (p) 1,2,3,8
Paul Moer (p) 4,5,6,7,9,10,11
Red Mitchell (b)  4,5,6,7,9,10,11
Ralph Pena (b) 1,2,3,8
Shelly Manne (ds) 4,5,6,7,10,11
Dick Wilson (ds) 1,2,3,8

Produced by Bob Keene
Arranged by Jack Montrose

Recorded in Los Angels on March 11, 21 & ??, 1957




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第一印象が強すぎると、それを越えるインパクトはなかなか得にくいものだ・・・

2012-05-02 | CONCORD
Jellybeans / The Barney Kessel Trio

ゼリービーンズといえばアメリカの代表的な砂糖菓子、何でもレーガン大統領が好物だったとか。きっとアメリカ人にとってゼリービーンズというと、それぞれ百人百様の思い出があるのだろう。色とりどりのカラフルな菓子といえば自分の世界ではマーブルチョコレート。遠足の時のお菓子の定番でもあった。
歳をとると感受性が鈍くなるのか、物事の興味が無くなってくるのか、様々な物や人に接する機会は増えているのに第一印象の記憶がすぐに薄れてきてしまう。ところが若い頃のそれはいつまで経っても忘れない。不思議なものだ。

バーニーケッセルといえば、自分の第一印象はPoll winnersシリーズのケッセルだ。ケッセルのギタープレーもひとつの要素だが、このアルバムは何と言ってもレイブラウンとシェリーマンとのコラボが最高だった。このアルバムがきっかけで、レイブラウン、シェリーマンもファンとなったので。
しばらくして、当時スタジオワークが多かったケッセルが久々に出したリーダーアルバムということで早速買ったのが”Feeling Free“だった。あのケッセルがどうなっているのか興味津々だった。ドラムがエルビンだったりして新鮮ではあったが、今ではあまり印象には残っていない。自分の中ではケッセルといえばやはりポールウィナーズである。

コンコルドで再び復帰したケッセルであったが、ハーブエリスやチャーリーバードと一緒のグレートギターズの一員としての演奏が中心だった。スインギーなプレーは復活したが、自分の中ではポールウィナーズのケッセルとはやはり別物であった。その後トリオのアルバムも一枚あったのだが・・・・。
一目惚れして付き合った女性と長い間付き合うと、色々な良い面、悪い面が分かってくる。付き合いは深まっても、それに反して最初の印象の再現がなかなか出来ないのと同じかもしれない。何事も進歩、進化しているので、昔の物をそのまま追い求めるのは懐古趣味かもしれないが、第一印象が素晴らしいとそれに引きずられる。

このアルバムは久々のトリオの演奏。ケッセルファンはこのアルバムをどう感じるのか興味が沸く。自分は特にファンということも無く、色々なアルバムを聴いたわけでもないので、どうしてもまたポールウィナーズとの比較になってしまう。
このアルバムはプロデューサーが御大のジェファーソンではなくドリティーのせいか、のびのびした演奏で昔のトリオでのケッセルらしさを感じさせて悪くはないのだが、やはり、ポールウィナーズは当時の人気投票の一位同士が集ったオールスターという重みがある。ジャズというのは生き物だ。形を整えれば再現できるというのではない。同じ構成・メンバーでも月日が経てば中身が変わるのが当たり前、人が変われば同じ構成でも別物になるのがまた楽しみの一つにはなるのだが、新たなポールウィナーズの再現とはいかなかった。とりあえず、自分のジャズ入門時代のファイバリッツであったトリオ演奏を腕達者な3人のプレーでまた聴けたということでよしとしよう。

1. Jellybeans            Kessel 4:08
2. Stella by Starlight        Washington, Young 5:46
3. Mermaid              Kessel 4:27
4. My Foolish Heart         Washington, Young 4:34
5. Juarez After Dark         Kessel 4:26
6. I've Never Been in Love Before  Loesser 5:19
7. St. Thomas            Rollins 4:45
8. Shiny Stockings          Foster 5:14

Barney Kessel (g)
Bob Maize (b)
Jimmie Smith (ds)

Produced by Frank Dorritie
Engineer, Remixing : Phil Edwards

Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, April 1981
Originally released on Concord CJ-164



Jellybeans
Barney Kessel
Concord Records
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寝坊のお陰で、ショットが復調?

2012-05-01 | SHOT OF THE DAY
ライブがあった日の翌日がゴルフというのは朝がシンドイ。昨日もライブに出かけたら、そこでバッタリと会社勤め時代の友人と再会。彼の友人も一緒だったのでそのまま夜も遅くなりそうになり、「翌日ゴルフなので・・・」と詫びを入れ早々に切り上げてきたのだが・・・

何と今朝は寝坊をしてしまった。ゴルフの時は自然と目が覚めるものだが、最近はゴルフの気力も無くなったせいか寝起きが悪い。タイマーもしっかりセットしておいたのだが、携帯のタイマーのマナーモードを切り忘れていて気がつかず。何と一時間寝過ごしてしまった。
コンペでもなかったので、途中からでも良いと割り切って、遅れるとの一報をいれて慌てず出かけたが、結局道路も混んでなく滑り込みセーフ。素振りもしないでのスタートになったが間に合って一安心。

コースは、潮来カントリークラブ。何度か行ったことがあるが、久々の訪問。成田から少し距離はあるが、インターから近いこともあり渋滞も無いのであまり遠いという感じは受けない。レイアウトもフラットだが変化があるいいコースだ。
フェアウェイの緑も大分濃くなってきたが、グリーンは丁度更新時期。全体的に遅め、穴の開いているところもあったがこの時期は仕方がない。

素振りもしないスタートでは、いいショットは望めないが、案の定一打目は右への大スライス。右のOBラインギリギリの林の中。出せず、乗らず、寄らず、入らずのミスの4点セットでいきなりトリプルスタート。
いつもは出だしホールでつまずくと、2ホール目もめげて影響を受けるものだが、今日はプレーできただけでも良かったので切替は早かった。
仕切りなおしで打った2ホール目のドライバーショットが今年一番の会心の当たり。
久々に脱力ができて体の軸で綺麗に触れた。最近どうしても手打ちになって悩んでいたのだが、この開き直りがきっかけで直るとは。不思議と次のホールでもこのショットの感覚を維持できた。ショットに余裕が出来てくるとアプローチも冴えてスコアの方も面白いようにパーが並ぶ。1ホールだけアプローチミスと、それを挽回しようとして3パットにしてしまったダボがあったが、久々にゴルフらしい感覚が戻った。

後半も、アプローチとパットのミスが続いたがショットはほぼ完璧。最近の絶不調のショットが嘘のよう。寝坊のお陰で治ったとは思えないが、結果的には2ホール目の開き直りがきっかけになったのは間違いない。ゴルフは調子は何がきっかけで左右される分からない。
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