やさいの家

小さな日常・小さな風景

「自分の感受性くらい」 

2013-02-20 10:10:31 | 日記
「自分の感受性くらい」 茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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(茨木のり子さん談 より抜粋)


実は、この詩の種子は戦争中にまでさかのぼるんです。 

美しいものを楽しむってことが禁じられていた時代でしたね。

でも、その頃はちょうど美しいものを欲する年ごろじゃありませんか。

音楽も敵国のものはみんなだめだから、
ジャズなんかを ふとんかぶって蓄音機で聞いたりしてたんです。
隣近所をはばかって。 

それに、一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。
それに対して、おかしいんじゃないか、
死ぬことが忠義だったら、
生まれてこないことが 一番の忠義になるんじゃないかという疑問は
子供心にあったんです。 

ただ、それを押し込めてたわけですよね。
こんなこと考えるのは非国民だからって。

そうして戦争が終わって初めて、
あのときの疑問は正しかったんだなって わかったわけなんです。 


だから、今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。

そうしたときに、
自分の感受性から まちがえたんだったら まちがえたって言えるけれども、
人からそう思わされてまちがえたんだったら、
取り返しのつかない いやな思いをするっていう、戦争時代からの思いがあって。

だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。

一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。


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時代に翻弄されながらも、自分の足で立ち続け、
自分の言葉で語り続けた人なのだと思う。




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