都七福神5つ目に行くのは、
⑤ 行願寺~寿老人
(京阪電車 神宮丸太町 徒歩10分
地下鉄東西線 京都市役所前 徒歩15分 )
ここは蓮が見られるということで、早めに行きました。
天台宗 革堂行願寺(かくどう ぎょうがんじ)
西国三十三個所第19番札所となります。
6月末でしたので、ちょうど蓮が咲いていました。
蓮の花を見ただけで、極楽浄土に近づいたような気持ちになります。
一千年の歴史をもつお寺。
本堂は「有形文化財」に指定されています。
行願寺を創建した行円が俗人のころ、鹿を射止めた所、
その鹿が子を孕んでいたことから悔いた行円が仏心を起こし、
1004年に寺を建立し、千手観音像を刻み安置しました。
さらに鹿の皮を衣と身に着け布教したので、
「皮聖」(かわひじり)と呼ばれ、
寺は「革堂」(こうどう)と称されました。
なんという心優しい、行円さまなのでしょうか・・・😭
行願寺には宝物館があり、行円が着ていた「鹿の衣」と「幽霊絵馬」が
所蔵されているそうです。
毎年、地蔵盆の頃、
2022年は、8/21~23まで「幽霊絵馬供養」として一般公開されるようです。
絵馬は、縦1m 横30㎝で、幼い子供をおぶった女の子の姿が描かれてあり、
その女の子が大事にしていた手鏡もあるそうです。
幽霊絵馬のお文(おふみ)の悲しいお話。
革寺の近くにあった質屋の主人、八衛門は強欲で気が短いことから、
「鬼の八衛門」と呼ばれていました。
その八衛門に子供ができたので、
子守りとして近江からお文が連れてこられたのです。
母から「辛くても我慢するんだよ~」と手鏡をもらい、
送り出されたお文。
子供は、すぐにお文になつきました。
子供がむずがる時には、革堂から聞こえてくる御詠歌を
子守歌代わりに唄っていました。
しかし、その御詠歌が気に入らなかった八衛門。
八衛門は熱心な法華信者(日蓮宗)だったのです。
お文が唄う革堂の御詠歌(天台宗)を子供に唄うなど、
とんでもない!と不満がつのっていました。
ある日、その不満が爆発!
「御詠歌を子供に唄うな~!」とお文を折檻の末、
殺してしまったのです。
そして、庭に埋めました。
お文の親には、娘が出て行ってしまったと嘘をつきました。
心配したお文の両親は、八衛門に詫び、探し回りました。
革堂でよく子守りをしていたということを聞き、
革堂の観音様にお文の居所を教えてくださいと拝み、
お堂に泊まることにしました。
するとその夜、両親の目の前に現れたのは、
お文の幽霊。
「わたくしは、もうこの世にはおりません。
ご主人に殺され、庭に埋められました。
ここは暗く寒いのです。
どうか、堀り起こし供養して下さい」
お文の足元には手鏡が置いてありました。
翌朝、両親はお奉行所に駆け込み、
八衛門の庭を掘り起こし、亡骸を供養しました。
不憫なお文のために、子守り姿のお文を絵馬にし、
大好きだった革堂に奉納したといわれています。
まだ宗教もわからないであろう女の子でしょうに・・・
人の心を救うための宗教であるはずが、
人のお金、財産、家族、心、命を奪うことになるなんて。
あってはならないと思います。😠
😅 す、すっかり七福神がどこかへいってました。
行願寺には、寿老人堂がございます。
安土桃山時代に造られた寿老人像が安置されているそうです。
寿老人は、巻物をつけた杖をつき、頭が長く、
不老不死の桃を持ち、鹿を連れているそうです。
右から3番目が寿老人さまですね。
このお寺に縁があるのは、鹿つながりですか?
また、行願寺は「猫寺」とも言われていたので、
猫ちゃんに会えるかな?と期待してましたが、
鳴き声すれど、姿が見えずでした。
残念でした~。
行願寺を後にして、寺町通りを四条へ下って行きます。
~ つづき ます ~
*** およみいただき、ありがとうございます。