前回のブログ
松尾大社からの続きになります
松尾大社近くのバス停で、
外国人に「嵐山のトロッコ駅に行きたい」
と尋ねられ、
すらすらと英語で案内できるわけでもなく、
「とにかく、一緒にバスに乗って嵐山へ行きましょう」
と適当な英語で言い、
それでも何となく伝わっているみたい😁
嵐電前でバスを降りて、
外国人にトロッコ駅は歩いて近いことを伝えると、
「ここら辺を少しウロウロするわ~」
とおっしゃってました
嵐山は、人だらけ~
ここから嵐電で
「太秦広隆寺」まで行きます
嵐電乗るの嬉しい~♪
嵐山駅で電車を貸し切りもしているんですね
太秦広隆寺駅から歩いて5分もすると
「広隆寺」が見えます
広隆寺から、ガイドさんが案内して下さいました
(京都ガイド観光 時間料金で頼めるようです)
広隆寺は、飛鳥時代に起源をもつ京都で最も古いお寺です
日本に帰化した秦氏族の秦河勝(はたかわかつ)が
聖徳太子のために建てたお寺で
794年の平安京遷都前からありましたが、
正確なことはわかっていません
上宮王院太子殿(本堂)
御本尊 聖徳太子像
「赤堂」
広隆寺で最も古い建物
広隆寺で有名なのが、国宝第一号の
弥勒菩薩半跏 思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)
社会の教科書で見たことあります
飛鳥時代の日本の彫刻では使われない
赤松材でできていることや
韓国の国立中央博物館に、
そっくりな弥勒菩薩像があることから
新羅で造られたと推定されるそうです
(写真撮影☓なので画像お借りしました)
新霊宝館(拝観料要)で仏像が観ることができます
仏像は他にも50体あり、そのうち16体が国宝
広隆寺を出てから
商店街を通って住宅街へ
太秦(うずまさ)って普通では読めませんが、
この太秦の地名の由来にも秦氏が深く関わっていました
秦氏(秦酒公)がヤマト政権に税を収める際に絹を
「うず高く積んだ」ことから朝廷より「うずまさ」の姓を
与えられ、これに「太秦」にしたと、、、
聖徳太子の「太」と秦氏の「秦」だとか、
ヘブライ語に由来しているだとか、
イスラエル系渡来人の秦氏はユダヤ人だとか、
謎が多いらしいです
なんせ大昔のことですから・・・・😌
すっかり住宅街なんですけど、
突然、古墳なんです
「蛇塚古墳」(へびづかこふん)(国指定史跡)
古墳時代後期の7世紀頃築造されたと考えられ
前方後円古墳
横穴式石室で石室全長17.8m
秦氏一族の首長の墓といわれています
蛇塚とはキモイ名前です
江戸時代は、ここら辺は竹藪で
ここに蛇が棲息していたから蛇塚~😓
現在は、この古墳を囲んで住宅があり
妙な感じです
目の前に古墳なんてねぇ😖
蛇塚古墳から、また広隆寺の方向へ
以前は、広隆寺内にあった
「大酒神社」
神仏分離令により広隆寺から少し離れた所に移動
秦始皇帝の子孫 功満王が大酒明神を祀ったことが始まりと
いわれています
功満王の子「弓月王」が大勢率いて帰化し
天皇に宝物を献上し、弓月王の孫「秦酒公」
秦一族を率いて養蚕や酒造、
桂川の大堰を作り嵯峨野一体を開墾したり
伏見稲荷大社にも関わりがあるようです
秦氏は官僚として活躍し
大蔵省・内蔵寮も役人としても名が残っているそうです
その後、秦氏は惟宗朝臣(これむねあそん)に改姓
秦氏一族のすごい業績には驚きました
今日の嵐山の人出は、秦氏一族のお陰です
(嵐山だけじゃないわね)
最後に行ったのは
蚕の社(かいこのやしろ)
正しくは、⤵このしまにますあまてるみたま神社
秦氏ゆかりの神社で
本殿右にある養蚕神社は養蚕・機織・染色技術に優れた
秦氏にちなんで蚕の社を呼ばれるようになりました
「三鳥居」(みつとりい)
明神鳥居を正三角形に組み合わせてあります
なぜ、鳥居が三角形なのか?
諸説ありありのミステリー鳥居
古くは水が湧いていて「元糺の池」と呼ばれていました
「元糺の森」もあったそうで、
下鴨神社の糺森の名はこの池に発祥すると伝えられています
「光る君へ」でも宋の周明という謎の人物が登場しましたね
どのように影響していくのでしょうか
*** およみいただき、ありがとうございます